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寄付先、用途についてはそれぞれのNPO団体が行っている社会貢献活動や環境活動に使われます TOP 躾の『肝』をゲット!~愛犬と心が通う飼い主の条件~ NAGAI DOG OWNERS SCHOOL案内 【頑張れ! オーストラリアン・シェパード】 オーストラリアン・シェパード ファンシャー倶楽部 問題犬の悩みを 飼い主自身の手で 一気に解消!!『生き生きドッグライフの入手法』 オーストラリアン・シェパードに関する考察 我が家の愛犬紹介 お役立ちリンク集 ADPA-2掲示板
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問題犬の更正を手がけていると 普通のしつけ教室などで行なわれている 「犬を良くするための手法」をいくら学んだところで 普段の生活における 「犬を悪くする習慣」「犬を悪くする関わり」というのを辞めない限り 犬は良くならないどころか 新たに導入した手法が 効果が出ないことで 犬側に耐性が出来てしまって それ以上に効果を出せる内容を探すことが困難になるという弊害を感じる。 しつけに悩む多くの飼い主さんたちが トレーナージプシーとなって流れてくるのは この耐性によって 最初は効果があるように思えていたことに 効果が見えなくなって逆行したことによる。 犬が元の問題犬に逆行してしまうと もっと別の方法が無いだろうか?と探し回った挙句 やりつくしてしまった感に陥り途方にくれる。。。というパターンだ! そこで、見たくも無い偉く嫌味なうちのサイトを しぶしぶ覗くことになり アクセスしてきたりする。 それというのは 悪しき習慣をそのままにして 良くする方法を学ぶためで 本当は 悪しき習慣を排除していけば 良くすることなど学ばずとも 悪くしている原因がなくなるのだから 自動的に良くなっていくものなのだけど、 悪しき習慣を行なっている者が飼い主本人であることから 指導者がそこを突っ込んで言えなかったり オブラートに包んだ言い方をするから 飼い主がそれをしっかり理解できなかったり はっきり伝えたことで飼い主が怒って去ってしまったりということから 自動的に犬をよく出来るはずのところを 逸している飼い主というのが大半だろうと思う。 だからいつになっても 喫煙を続けたままサプリメントを摂取している 頓珍漢健康オタクのような おかしなことを続けてしまうのだけど 問題犬の更正を手がけていると ときどき他のトレーナーから こちらが飼い主さんたちに示している内容というのは 相手が「問題犬」だからでしょ?という見方をされることがある。 そう思ってしまうトレーナーさんは 失礼ながら犬と言う生き物が解かっていらっしゃらないのだなと感じる。 問題がありありだった犬が良くなれるということは 普通の犬に行なえば 普通の犬は極上の犬に成れるということなんだよね。 問題犬がよくなったのは 犬の本能とか思考回路とか そうしたものに合致しているからで 犬の根本に働きかけたかかわりだからだということが解かっていらっしゃらない。 そういう勘違いというか 思い込み?というのは 繁殖という行為に携わっている人たちの間にも多いなと思う。 この行為が仔犬には必要だ!と思って 良かれと思って繁殖者が行なっている行為というのが 後々問題犬に成長する要因を作っているということが少なくない。 問題犬の更正を手がけてみれば、 何が犬を悪くするのか?ということの傾向が見えてくる。 が、人間が気持ちよくなれる 人間的観点からの「良かれ」という思い込みによって わざわざそこを強化していたりするのは 犬を知らないとか 問題犬と関わったことがないからだったり 犬を擬人化していたり 自分の願望であることに気づいていなかったりということによる。 繁殖する行為というのは 他人に譲渡する犬を作出していることが大半で 自分の手元に残す子犬というのは この世に生み出した仔犬のうちの 極一部でしかない。 そういうことを行なうには まず問題犬というのが 何故問題犬に成ったのか? それを直すのには何が必要なのか? そういう犬にしないためには 何をすべきで 何をしてはいけないのか? という そうしたことを理解してから関わって欲しいなと思ったりする。 世間が考えている 「これが仔犬には必要だ!」という内容が 問題犬を作る大きな原因になっていることがとても多い。 それは犬を見ずに 自分たちの「良かれ」の気持を優先していて 善い人に酔っていることによる。
自分の人生を他人が演じてくれているのだなと思う。 あんな生き方をすると 損失が大きいのになぁと思うことが多い生き方をしている他者の行動は 神様が 老い先短い自分に 時間の節約を示してくれたのだと解釈する。
![]() この子等が無事に育って オーナーさんたちに 大いなる幸をもたらす子になりますように!
感情が豊かな人は 一見冷徹な人に見えるかもしれない。 それは捨拾選択の中から 大切なものだけを選び抜く目を持っているため 不要なものを切り捨てていける思い切りの良さを身につけているためだ。 一方、一見優しげに見える人たちと言うのは 案外感情が未発達で 普段は世間体を気にして その未発達さを悟られないように 取り繕っているだけで 選択の機会を得ない温い暮らしに生きているため いざ厳しい状況に追い込まれると それまで優しげなことを語っていた口から そんないい加減な言葉が出るとは思えないような びっくりさせられる言葉が飛び出てきたりする。 そういう追い込まれた状況になったとき ナンじゃこりゃ!?と驚かされる言葉が出る人ほど 普段は軽薄な表面的な優しさで物を語る。
感情が豊かであることと感情的なこととは同じではない。 が、この簡単な違いを ちゃんと理解できている人と言うのは 案外社会には少ないのだなと思うこのごろ。 感情が豊かであることを望む人の多くは 単にわがままで 自分の感情を抑圧されたくないというだけだったりする。 感情が豊かと言うのは 感情を抑圧される生活が長かったような 苦しさを知っている人の方が その状態に至っていることが多い。 感情が豊かであることを望んだわけではなく 感情を抑圧される中で 何がもっとも大切かを知ることにより 豊かさを身に着けたというような 捨拾選択の中で結果的に得たというものだったりする。 そこには苦労や苦悩が通過点として存在し 大事にすべきものは何か?を見つめる機会が多く存在する。 が、感情が豊かであることを望む人たちと言うのは 温い暮らしの中で ただ、自分の感情を優先したいという 自分の欲望と言うか 我を優先しているに過ぎない。 我を抑える努力をすることで、 本当ならもっと周りの情報を 自分の中に取り込むことが出来たはずのところ 自分の感情や感覚を優先するだけで、 他者の意見に耳を傾けようという気持ちを持たないから 真実が何かということに気づく機会を自ら逸していたりする。 素直であることは 特に厳しい環境におかれていなくとも 他者の意見を取り入れ 真実は何かを知り得る機会を多くする。 素直さがあることは 温い暮らしにあっても感情的になるのではない 感情を豊かにする機会を増やしてくれる大切なことなのだと思う。 素直さは子供に広い世界を提供する。 自分だけの世界にとどまってしまうのは 自分の我に執着していることによる。 感情的であることと 感情が豊かであることの違いが ちゃんと理解できる冷静な部分があると 他者に対して素直に心を開けるのかもしれない。
犬に依存している飼い主って 自分が犬を褒めたときに 犬が嬉しそうな様子を返してもらいたがるんだよね。 犬を褒めているんじゃなくて、 自分が犬から好かれているという風に感じたいだけ、 自分が心地良く成りたいということなんだな。 だから褒め方も 変にテンションが上がりがちだし 犬のテンションも上げがちだったりして 自分自身落ち着いて褒めるとか 犬を落ち着かせるように褒めるということがなかったりする。 自分で犬を興奮させたがっていることも気づかず 犬が興奮して落ち着きが無いって言ったりする。 自分のやっていることが見えなくなっているんだな。 犬に依存している飼い主って言うのは そんな風に 矛盾したことを一杯やっている自分に自覚が無い。 褒め方一つ見ても 犬に好かれたがっている僕飼い主かどうかが 解かろうってものだ。
今日ドッグフードの買出しに出たのだが、 帰路道路の脇にある畑に 日本犬が1頭寒そうに ちんまり座っていた。 一応リードで繋がれて座っているようなので 車道に飛び出してくる心配は無さそうと ちょっと安堵しながらその犬をチラと横目で見ながら通過した。 犬は、飼い主らしいお婆ちゃんが 畑仕事のついでに連れ出されたらしく、 犬が寒そうに座っている割に 動いて暑いのだろうか 元気一杯のおばあちゃんが 畑の土をならしている姿が あまりに対照的で 犬がちょっと可哀想な気もしたのだけど、 犬の様子など まったく気にすることなく 畑仕事に精出すおばあちゃんの理不尽さというか マイペースさ?って だからこそこういう静かにじっと座っている犬を作ったのだろうなと思ったりした。 これがちやほやと甘やかされて 勝手に生きているような頭の中身が出来上がっている犬だったら つながれている範囲の中で 飛び回ったり 穴掘ったりして じっと座っているなんてことにはならないだろう。 あるいは、飼い主の御婆ちゃんが 動かないで座って待ってなさいと 指示を与えてあったのかもしれない。 訓練の時間なんていうものを わざわざもうけてしつけするような そんなおばあちゃんでは到底無い。 多分日々のこういう理不尽さというか 習慣?が こういう落ちついた犬を作ったのだろうなと思い この此方都合に犬をあわさせるという強引さは それが良いか悪いかは別として 見習うべき部分があるよなぁと 変に犬を思いやって 甘くなりがちの自分には ちょっと羨ましく感じるマイペースさだった。
飼い主と飼い犬の 信頼関係とか上下関係とか そんな言葉が語られるようになってン十年? が、未だにそれはどうやったら築けるのかと悩んでいる飼い主は沢山居る。 犬を従わせられれば上下関係が成立しているかといえば そういうことでもない。 かえって従わせようとしたことによって 信頼関係が出来にくくなっていたりするケースは多い。 何故そういうことが起きるのか?。。。といえば 飼い主側が 正しい犬との心的距離というのを保てて居なかったりするためだ。 信頼関係とか上下関係とか、 みんな小難しく考えているのだが、 一口に言ってしまうと 飼い主側にどれだけ人としての自立心が育っているか?が鍵。 正しいお互いの関係というのは訓練の手法でも 訓練の道具でもなく ましてや環境がもたらすわけでもない。 全ては人間側の自立心がもたらすというだけのことなのだが、 何故そこに至らずに 手法や道具にこだわり続けるのか? 結局業界に踊らされているだけだったりするのだなと思うが、 業界そのものが 飼い主の自立心というものを考えていなかったりする世界。 犬に寄りかからない飼い主こそが 犬に信頼され尊敬される。 自立している飼い主は 犬に対して嘘が無い。 駄目なものは駄目とはっきり示せるし 良いことは良いと落ち着いてほめる。 依存している人にはそうしたことが出来ないという とても簡単なことなのだ。 |一覧| |