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メキシカン・アメリカンな暮らし

メキシカン・アメリカンな暮らし

タイミングの悪いお姑ごん

タイミングの悪いお姑ごん 


午後の昼下がり、お姑ごんが写真を見せてくれた。
どれも夫からお姑ごんに送られた写真で、
その中に私の写真も混ざっていた。
『最初は前歯が一個欠けている人かと思って、驚いたわよ。』
とお姑ごんは写真の中の私を眺めながら言う。
確かに、私はいわゆるすきっ歯の持ち主なのだが、
こう言われるまでそんなに気にした事も無かった。
それに加え、昨日の傷の話といい、
今日のこの歯の事といい、
まるで容姿審査を受けているような感じがして
正直嫌な気持ちになってしまった。
何だか容姿だけで駄目ねと拒否され、
知り合っていくというチャンスさえ
与えられないような気もしてしてきたのだ。


でも考えてみれば、
人間皆何らかの判断を毎日の生活の中でも下しているし、
人を判断するにも「第一印象」という名の見かけから入っていく。
ただ、お姑ごんの場合はそれを公に口に出してしまうだけなのだ。
そんな小さな違いである。
そう思うように心がけた。
それに、お姑ごんの一言一言で
私の心はあっちに行ったりこっちに行ったりと忙しくしているから、
疲れた心を休ませるには
冷静に平和な気分になるよう心がけるのが一番なのである。
そう、お姑ごんは悪くない、、、。


何処かに消えたお姑ごんが戻ってきたと思ったら、
手に一杯の写真を持ってきていた。
その全部がお姑ごんの若い頃の写真だ。
私は『うわー、綺麗ですねー!』と言いつつ眺めていたのだが、
お姑ごんは『綺麗でしょー? これは丁度今の貴方と同じ年頃かしら。』
と言いつつ、
その写真を私の写真の隣に置き、
『同じ年なのに雰囲気が違うでしょー?』、
『この頃は町中の男性にモテたのよ。』
などと話に花を咲かせるのである。
お姑ごんの自信に満ちた様子や綺麗さには参ったが、
もし私があのくらい綺麗だったなら
私も毎日自慢ばかりしていたかもしれない。
けれど、私に『最初は前歯が一個欠けている人かと思って、驚いたわよ。』と言った直後に、
彼女自身の若い頃の写真をその隣に置いて、
雰囲気が違うし、綺麗でしょ?と言われると、
遠まわしに私の容姿が不満だと聞えるのである。
私が僻んでいるから、そう聞こえてしまうのかもしれないが、
ある意味、お姑ごんは本当にタイミングが悪い人だなって思うのである。

例えば、Aさんが冷蔵庫を買って
『新しい冷蔵庫を買ったんだ。
大きくて使い勝手がいいから気に入っているんだ。』と言った側で、
Bさんが『うちのはこれの一回りくらいのサイズで、性能がいいよ。』
と言う。
冷蔵庫の話が出たからついでに
最近買った冷蔵庫の話をしたつもりなのに、
あたかも相手に張り合って自慢しているかのように見えてしまうという、
ああいう類のタイミングの悪さだ。


そんな事を考えている内に、
側に居た夫1号は『お嫁1号も綺麗だし、すごくモテるんだよ。』
と言い出した。
私は誰かがそう言ってくれる事が嬉しかったのだが、
何だか気恥ずかしい瞬間でもあった。
すると、お姑ごんは『ええ、そうでしょうね。』と言うのだ。
その時初めて、傷だらけですきっ歯の私が
お姑ごんにも認められたような気持ちになったのは言うまでも無い。
ここに来てから忙しくしている、
私の心のバロメーターも
幸せの最高値を示していたのではないかと思う位だ。
勿論、『綺麗』という言葉に対して同意してくれたからというよりも、
やっと受け入れられたような気がしたからである。
、、、が、そこはさすがお姑ごん。
また、タイミング悪く口を開いてしまったのである。

『私はね、本当にモテたのよ。街を歩いているだけで注目の的だったし、私に求婚してきた人も大勢いたの。』

夫も放って置けばいいのに、
いちいちその発言に対して『お嫁1号もだよ。』と言い張る始末。
お姑ごんもおもむろに比較しているつもりは無かったとしても、
本当にタイミング悪いよなー、、、と思わずにはいられなかった。



その日の夜、
テレビで『Beauty is in the eyes of the beholder』
という言葉を耳にした。
『美は見る人の目の中に存在する』という意味で、
美に対しての観念は人それぞれだという事だそうだ。
確かにそうである。
何が美しいという世界基準なんて無いのである。
今日のこの日にこの言葉に出会うなんて、
何てタイミングがいいんだろうと思うと同時に、
夫に綺麗と言われた事は大切にしたいと思った。


 




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