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2007.09.11
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カテゴリ:書籍

医療の限界

医療の限界


著者は、「医療崩壊」(2006年5月)で医師の「立ち去りがたサボタージュ」を示し、現場から日本の医療の危機に警鐘を鳴らす泌尿器科医である。
著者は、「こと医療については、市場原理にはなじみません」(184ページ)と主張する。その理由としてアメリカの歴史を紐解き、「市場原理主義は、宗教を背景にしており、歴史的、倫理的に日本人にはなじみのないもの」(188ページ)と説明する。
これが真実かどうかは別として、医療が市場原理になじまないことに対しては同意する。
市場原理では、消費者は自己の意志で商材を選択するだけの十分な情報をもっており、かつ、市場には十分な種類/量の商材が流通していることが大前提である。ところが医療の場合、あまりにも専門的であり、われわれと医療スタッフの情報量・情報理解度には彼我の差がある。さらに、医療サービスは常に不足している。ゆえに、日本国は皆保険制度を導入し、いつでも・どこでも同水準の医療サービスを受けられるという社会主義的なルールを編み出した。
これらを考えただけでも、医療が市場原理で動くわけがない。
さらに、われわれ国民は「医療はサービスだ」と主張する一方で、医師は患者を分け隔て無く診なければならない(医師法第19条「応召義務」)と強要する。だが、サービス業なら断っても良いのである。お客様が「神様」であるのは、正当な対価を払う場合に限定されるのだから。
先日、奈良県で搬送中の妊婦が死産するという事故が発生した。昨年の妊婦死亡事故に続き、マスメディアの医療バッシングは度を超えている。母子手帳を持たないようなリスキーな妊婦を受け入れ、万が一のことがあったら、そのリスクは誰が負うのか――。
われわれは権利ばかりを主張し、義務を放棄していないだろうか。これは医療だけでなく、日本人として考えていかなければならない問題である。



■メーカーサイト⇒小松秀樹/新潮社 医療の限界


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最終更新日  2007.09.11 23:18:35
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