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2018.07.23
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カテゴリ:書籍
ナチスと隕石仏像

ナチスと隕石仏像

 ヒムラーこそナチスをカルト的結社に仕立て上げようとした張本人であった。(172ページ)
著者・編者浜本 隆志=著
出版情報集英社
出版年月2017年7月発行

著者は、関西大学名誉教授で、ヨーロッパ文化論・比較文化論に詳しい浜本隆志さん。
2012 年、シュトゥットガルト大学の研究グループが発表した「隕石仏像」は、1938 年にナチスのチベット探検隊が持ち帰ったものだとする論文を発表した。本書は、その審議の検証から始まり、ナチス、とくにヒムラーの人種差別の裏にあるオカルト主義に斬り込んでいく。

冒頭、アーリア人種主義を信奉していたナチスの親衛隊長官ヒムラーが、そのルーツをたどるべく、1938 年 4 月、チベットへ探検隊を派遣した史実を紹介する。
チベットには隕石信仰があり、そこで隕石(隕鉄)を原料に作られた仏像が、件の「隕石仏像」であり、これを探検隊のメンバがドイツに持ち帰ったというのが、冒頭の学説である。だが、浜本さんは仏像の作りを細かに分析し、ヨーロッパ人による贋作だと結論づける。
浜本さんによれば、アーリア人としての共通祖先をもつことの確証として、この隕石仏像を捏造したのではないかというのだ。ただ、ドイツやチベットの正史に、隕石仏像は登場した。もちろん、アーリア人という概念自体が、非科学的なものである。

後半は、こうしたナチスのオカルト主義について、わかりやすい説明が続く。
アーリア人をはじめとする、ナチスのオカルト主義の中心にいたのが、親衛隊長官ヒムラーである。ヒトラーでさえ、そこまでオカルトに傾倒していなかったとされる。
ヒムラーは裕福な家庭に生まれ、父は教師だった。子ども時代は病弱であったものの、勤勉で優しい性格で、第一次大戦が勃発すると、祖国を守るために積極的に入隊した。
戦後、農学を学び、リヒャルト・ヴァルター・ダレの人種論と農業論を結合した独特な「血と大地」思想に影響されていく。
ヒトラーによるミュンヘン一揆の当時は大した活躍もなく、逮捕も免れたヒムラーだったが、その後、ヒトラーのために親衛隊を組織、強化していく。
ドイツ軍が第二次大戦に突入し、ポーランドを占領すると、ユダヤ人の国外退去を進めた。だが、これも思うように進まず、ゲットーを作って隔離したり、最後には、強制収容所でホロコーストを起こす。
戦争末期には連合国との調停に乗り出すが、実戦や外交の経験がないヒムラーは何もできず、最後にはイギリス軍の捕虜になってしまった。イギリス軍の待遇に我慢ができなかったヒムラーは、服毒自殺する。

21 世紀の今日においても、人種差別や民族迫害は続いている。かつて隕石仏像を捏造し、いわゆるアーリア人に比べて背が低く、劣等感に苛まれていたであろうハインリッヒ・ヒムラーを、私たちは笑うことができるであろうか。
彼のように優しく頭が良く空想力のある人間が、同じ轍を踏まないとは限らない。オウム真理教による連続テロ事件が連想される。「ナチスは悪」「オカルトはトンデモ」と思考停止してはいけないと感じる。






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最終更新日  2018.07.23 21:00:52
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