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カテゴリ:書籍
飯田橋にある印刷博物館を訪れた際、コラボ企画として展示されていた小説――川越にある昔ながらの活版印刷所「三日月堂」に出入りするお客さんの心模様を描く番外編。短編7編を収録。本編で活版印刷所「三日月堂」の店主となる月野弓子が生まれて間もない1986年から、東日本大震災があった2011年頃が舞台になっている。主人公は、私と同じ世代である弓子の父母たち――自分の青春時代の記憶を重ねて読んでいった。 ヒーローたちの記念写真‥‥1986年、売れない映画ライター、片山が同人誌「ウェスタン」に連載を続けていた「我らの西部劇」を出版しようと、大学時代の友人、杉野が行動を起こした。だが、企画は通らない。片山は干されていたのだ。片山と杉野は喫茶店「桐一葉」で語らった後、守谷が経営する古書店「浮草」を回り、「ウェスタン」のファンである月野が経営する印刷所「三日月堂」を訪れた。片山は、月野の孫娘、弓子を見て、自分の過去を思い起こす。そして、カウボーイハットをかぶって3人で記念写真を撮った。 星と暗闇‥‥片野修平は三日月堂を継がず、天文学者になることを夢見ていた。修士は終えたものの、研究者になる道は険しく、高校の教員になった。同じ教員だったカナコと『銀河鉄道の夜』の話で盛り上がり、やがて結婚し、娘の弓子が生まれた。弓子が3歳になった頃、カナコは病気に倒れ、亡くなってしまう。弓子を実家に預けて教員を続けていたが、ある日、カナコの故郷、盛岡を訪ねる。川を見ながら、「ほんとうのさいわい」について想いをめぐらせた。 届かない手紙‥‥「我らの西部劇」を三日月堂で印刷することが決まった矢先に片山が急死してしまう。最後の原稿が行方不明となり、月野が組んだ組版は三日月堂の倉庫に保管されたままだった。明日は、弓子が横浜にいる修平の家へ引っ越す日だった。弓子は祖母、静子から料理を教えてもらい、自分のレターセットを印刷した。弓子は、そのレターセットで母カナコに手紙を書きたいと言う。片野は「届かない手紙。書いてもいいのかもしれないな」とつぶやく。 ひこうき雲‥‥学生時代、月野カナコ、大島聡子とバンドを組み、歌手を目指していた裕美は、父の会社の取引先の重役の息子、斉木茂と結婚する。2人の娘、未希と真子をもうけたが、茂は不倫し、裕美は2人の娘を引き取って離婚する。娘たちを連れてカナコの墓参に訪れた裕美は、自然と「ひこうき雲」を口ずさんだ。未希は母の歌がうまいと言って、自分は歌手になりたいと言った。裕美はカナコの言葉を思い出していた――生きてれば、きっといいこともあるよ。 最後のカレンダー‥‥静子が入院したことで、月野は三日月堂を店じまいすることを決めた。三日月堂に毎年カレンダーを発注していた和紙販売の笠原は残念だったが、最後にユネスコ無形文化遺産に登録された細川紙を使ってカレンダーを印刷することにした。月野は笠原に、「まあ、そこそこね、いい人生だったと思うよ」と語る。 空色の冊子‥‥静子が亡くなり、月野は三日月堂を閉めた。そして、東日本大震災が発生した。三日月堂でも活字棚が倒れるなどしたが、弓子が通っていた あけぼの保育園が卒園記念冊子を印刷できなくなっていた。園長はコピー機で作るしかないと諦めていたが、店じまいするまで記念冊子の印刷を請け負っていた月野は、「コピーの文字っていうのは、紙のうえに粉がのってるだけ。水に濡れたら流れてしよう。印刷の文字とはちがいよす。わたしもずっとこの園の記念冊子を作ってきよした。子どもたちにほんとの文字を手渡したい」と熱く語る。父母たちの協力を得て、三日月堂で記念冊子の印刷がはじまる。 引っ越しの日‥‥札幌から横浜に来ていた唯は、偶然、大学の友人、弓子に出会う。弓子は父を亡くし、横浜・野毛山のマンションを出て、川越で祖父母が住んでいた印刷所に引っ越すという。 『星と暗闇』は、印刷博物館とのコラボ企画の際に活版の冊子として書き下ろした作品を加筆したもの――。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.04.30 13:17:05
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