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2006/01/13
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カテゴリ:カテゴリ未分類
皇位継承に関する皇室典範の改正について、皇族の発言が問題になっています(こちらを参照)。

「皇室典範に関する有識者会議」の出した結論に対して、皇族が発言することを、宮内庁長官が、憂慮せざるを得ない、と、言っているのですが、皇族の「発言」すら禁じなければならないのでしょうか?
私は、この皇族のお考えには反対ですが、発言を禁じてしまうと言うのは、民主主義社会においては、あってはならないことだと思います。
もう一つ気になるのは、天皇誕生日に天皇陛下が会見されたときに、メモを読みながら会見されていたことです。
メモを読みながら、ということは、発言内容について宮内庁などの事前チェックを受けていたのではないか、と、私には思えてなりません。

宮内庁は、天皇陛下でさえ発言を控えているのだから、皇族も発言を控えるべきだと言いたいようですが、天皇陛下がメモを見ながら、言いたいことも言えない、ということの方が問題だと思います。
今の状況では、まるで天皇は宮内庁官僚に従属する下部機関です。

あと、ラジオなどを聞いていて思うのですが、「皇室典範に関する有識者会議」が天皇制研究の専門家ではないからけしからん、という意見をよく聞きます。
私はこの意見にも反対です。

ところで、日本国憲法には、
第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

第2条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
と書かれています。

どこにも、皇位継承について、天皇、皇族が発言してはならない、というようなことは書かれていません。
私は、むしろ積極的に発言していただきたい、宮内庁官僚に発言を抑止する資格などないと思います。

宮内庁官僚が心配するのは、皇位継承で争いが起こり、南北朝のようなことが起きては困るということかも知れませんが、この21世紀に、日本の中が南北に分かれて、男系を維持するか、時代の流れに沿って新たな皇室の姿を作るか、戦争でも始めるんでしょうか?
もしそうなるのなら、日本は、世界に誇る天皇制を維持する資格のない国だ、ということです。
そうなら、世界に向けて、日本国内が皇位継承問題で二分されるという、嘲笑の材料を提供すればよいのです。

「皇室典範に関する有識者会議」について、私は、天皇制研究の専門家は不適と考えます。
憲法第1条は、天皇制は「日本国民の総意に基づく」と言っているのです。
サラリーマンにも、トラックの運転手にも、保育園の保母さんにも、発言権があるんです。
専門家がこうだと決めてしまうのなら、「日本国民の総意」になりません。

国会議員を選ぶのに、なぜ選挙をするのでしょうか?
見識の高い国会議員を選びたいのだったら、政治学の専門家だけで国会議員を決めればよいかも知れません。
そうではないのです。
日本国の政治は、日本国民全てのものです。
天皇制もまた、日本国民全てのものです。
「皇室典範に関する有識者会議」を専門家以外の人で構成するのは当然です。

先の皇族の方は、「一度切れた歴史はつなげない」として、女系天皇は日本の伝統に反すると言われます。
その他にも、「皇室典範に関する有識者会議」が女系天皇を認め、第1子の皇位継承を優先するとしたことに強い批判があります。
ですが、月刊現代の2月号の40ページで、原武史さんという方が、昭和天皇が側室を自身で廃止してしまったことを述べています。
天皇家が側室をやめた以上、皇位継承権の考え方に大きな変更が起こるのは当然です。
しかし、そもそも日本書紀のどこに、男系天皇が日本の伝統だ、と、書かれているのでしょうか?
たまたま、日本では、平安時代後期から武士の時代が続いたために、武士となる男子が家系を嗣ぐような雰囲気ができただけです。
将軍家も側室を設けていたので、男子の後継者にはそれほど困りませんでした。
男系社会は側室を設けることが普通だった武力闘争時代の伝統とは言えるかも知れませんが、日本古来からの伝統と断定できる根拠が日本の古代史のどこにあるのでしょうか?
日本の皇祖神は、「天照大神」です。
文字の形で初めて絶大な権勢をふるったことがわかるのは、邪馬台国女王卑弥呼です。

皇室典範改正が拙速であるという意見もあります。
これについては、確かにそうかも知れないと私も思います。
まだ、天皇陛下も元気だし、皇太子殿下はまだ若いし、皇位継承を今決める必要がどこにあるのか、という意見は、その通りだと思います。
ですが、これについても、私は、賛成できない。

週刊文春の今週号に、天皇誕生日に天皇家で起こったある事件が書かれています。
このブログでは、ある意図を込めて、アスペルガー障害について繰り返し書いています。
私自身にそういうところがあるし、小泉首相やホリエモンにもそういうところがあります。
マイクロソフト会長のビル・ゲイツ氏もアスペルガーだと言われています。
社会で成功しているアスペルガー障害の人も多数います。
アスペルガー障害の子どもを見ていると、確かに誰が見ても、普通の子どもと違います。
挨拶することは人間として最も重要な基本だから、学校ではまず、挨拶することから教えるべきだ、ということを言う人がいます。
でも、アスペルガー障害の子どもは挨拶をしません。
なぜかと言うと、わざわざ挨拶をするということは、人間関係が希薄であることを隠すことだ、というように感じているからです。
本当に緊密な関係にあるのなら、挨拶をしなくても、あうんの呼吸で気持ちが通じるはずだ、と、考えているからです。
アスペルガー障害の人は、光や温度に過敏です。
ネクタイを締めることが苦痛です。
小泉首相は、ノー・ネクタイのクール・ビズを推進しました。
ホリエモンは絶対にネクタイをしません。
私も、余程でなければネクタイをしません。
しかしながら、アスペルガー障害だから仕事ができない、ということは全く言えません。
服装だとか、言葉つきだとか、そういうことが社会が常識であるとすることに適応できないだけです。
例えば、パソコン・ソフトウェアを制作する会社で、従業員にネクタイ着用を強要する会社があります。
ソフトウェア制作のどこにネクタイが必要なのか理解できない私のような人間には、本当に苦痛です。
ソフトウェア制作会社なら、必死にバグの原因を探しているときに、大声で、おはようございます、とか、お先に失礼します、などと言われたら、集中が切れてしまって迷惑、ということもあります。
目的到達のために、そもそも不必要な規制を導入しないでくれれば、アスペルガー障害の人間でも充分に社会に適応し活躍できます。
アスペルガー障害は、本来、「障害」でも、もちろん病気でもなく、単に、過敏、というところから来ている、個性とか、希有な感性とか資質というべきものです。

皇太子殿下がかねてから意中の雅子妃とご成婚になり、敬宮愛子さまが誕生しました。
その後、雅子妃に適応障害などの病気が言われています。
ですが、私には、どう見ても、雅子妃が病気であるようには見えません。
確かに、最近殆どベールに包まれて窺い知れない皇室より漏れ聞こえてくる言葉の端からも、皇太子殿下、雅子妃が深刻な苦悩を抱えていらっしゃる様子が伝わってきます。
皇太子殿下の、人格否定発言もありました。

週刊文春の今週号の記事の書き方は、まるで、雅子妃が皇室の伝統を崩している、とでも言いたげな書き方です。
宮内庁の役人の中にも、雅子妃の行動を責めるような雰囲気があるような気がします。

私は、宮内庁が、皇室の状況を隠そうとするのは大きな間違いだと思います。
皇太子殿下、雅子妃の苦悩は、日本国民と分かち合うべきです。
今になって、皇太子は側室を設けるべきだ、などと言うのは、天皇家に対する侮辱以外の何ものでもありません。
これ以上、雅子妃を苦しめるような意見を言って、何が楽しいのでしょうか?
こういう意見は、同じ日本人として、本当に嘆かわしく思います。
天皇制が憲法第1条で国民の総意に基づくとされ、雅子妃の苦しみを和らげるためであるのなら、皇室典範を今改正することは、拙速であるとは言えないと、私は考えます。





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最終更新日  2006/01/13 12:25:46 AM



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