ぱなっちの窓

初恋ばなし

むかーし、むかし。私がティーンズを終えようとしていたころ。
とある恋愛の達人の国から来た男性と恋に落ちた。
恋とは、こんなふうに落ちるものなんだな。恋とは、こんなふうにどきどきするものなんだな。恋愛とは、こうして楽しむものなんだな。
と、恋に酔いしれるような、恋だった。
まともにKISSをしたのは、彼が初めてで、本当にくらくらした。一緒にいると、めまいがするくらい恋してた。
初めてこのままずっと一緒にいたいと思った人だった。朝がこなければいいのにと思った。
でも、その人が帰国するときが来た。初めから期限付き恋愛ごっこだって知ってた。でも、聞いてしまった。
「あなたが帰った後、私はどうしたらいい?」
彼は言った。
「すぐに忘れるんだ。よく聞いて。僕は君の為に君のそばにいてあげられなかった男だ。一緒に連れて帰りたいけど、学生の身分で、それは無理だ。だから、そんな男のことは、すぐに忘れて。次に君が出会う男がどこの国の人であれ、君のために君のそばにずっと一緒にいてくれる男を選ぶんだよ。いいね。」
正直な人だなと、思った。何の連絡先も残さず彼は帰国した。私はていよくふられたのだ。

それからほどなくして、あるギャラリーで、ある詩に出会った。

退屈な女より もっと哀れなのは 悲しい女です
悲しい女より もっと哀れなのは 不幸な女です
不幸な女より もっと哀れなのは 病気の女です
病気の女より もっと哀れなのは 捨てられた女です
捨てられた女より もっと哀れなのは よるべない女です
よるべない女より もっと哀れなのは 追われた女です
追われた女より もっと哀れなのは 死んだ女です
死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です

マリー・ローランサンの「鎮静剤」(堀口大学訳)という詩。
私は彼女の絵はあまり好きではなかった。でも、彼女の恋人であったアポリネールは大好きだった。この詩もアポリネールに向けて書かれたものなのだろうか?


ああ、私は忘れられたくなかったんだ。忘れ去られるのは死ぬことより哀しいという、その気持ち、よく理解できる。私の哀しさはこれだったんだ。自分のことをすぐに忘れろと言った彼は、私のことをたまには思い出してくれるのだろうか?私は最も哀しい女なんだろうか?

それから私は、彼に言われた通りに一緒にいてくれる男を選んだが、心が満たされることはなかった。

5年が過ぎた。哀れな女になりたくなかった私は、彼に会いに行くことにした。
住所は電話帳からすぐにみつかった。管理人のおばさんに、尋ねてみる。この国の人は英語をしゃべらないと評判なので、この日の為に日常会話まではマスターしておいた。難なく管理人さんと会話が成り立ち、すぐに鍵を開けて中に入れてもらえた。古い螺旋階段を最上階まで昇る。古びたドアをノックしてみる。返事はない。「日本から来ました。わたしのことを憶えていますか?きなこです。今はこちらのホテルに滞在中です。」とメモを残して帰ってきた。
彼からすぐにホテルに電話が入った。ここに電話するようにと、メッセージを渡された。「ことば、喋れるようになったんだね。」「少しだけ。」「じゃ、英語の方がいいかな。」懐かしい声。
あの部屋は学生のときに住んでいたぼろアパートで、今は学生の弟が住んでいること。その弟が、慌てて電話をくれたこと。今は別のアパートに住んでいること。そんなことを話た。なんだか、弟の驚きを想像するととってもおかしい。
彼はすぐに会いに来てくれた。「変わってないね。僕は変わったかな?」あんなことがあったね。こんなこともあったね。懐かしい話を次々とする。私が忘れていたようなことも、よく憶えていてくれた。
最後に、「今はガール・フレンドと一緒に住んでいるんだ。もう5年もたってるから。」と、ちょっと言い訳っぽく言った。私は全然そんなこと気にしてないのに。

私はちっとも哀れな女じゃなかった。
忘れていたのは、私の方。自分で忘れられないと、信じつづけていただけ。そう気が付いた。
私の中で彼との恋はとうに終わってたんだな。


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