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東京 千代田区の特許事務所 弁理士安瀬のブログ [全386件]

2012.05.22楽天プロフィール Add to Google XML

弁理士試験(短答 論文)
[ 知的財産関連 ]  

 5月3日に本ブログの、草森紳一著「中国文化大革命の大宣伝 上・下巻」中で、草森紳一氏の「暗誦」について
 「「暗誦」は、理解ではない。 理解への道ではある。 日本の昔のインテリ階級の子弟が、四歳の時から中国の古典である「四書五経」を暗記させられたのは、理解への道としてである。 まず、暗誦からというわけである。 しかし、後年になって、その暗誦が生きて理解の道に達するものは、ごくわずかであるし、その理解を足がかりに応用の世界へ踏みこみ、ましてや自らの世界を切り開くものなど、さらにすくない。 そのようなむなしさに「暗誦」は、最初からつきまとわれている。 ただ、私は理解しましたという見せかけの魔力なら、暗誦によって備わる。
 この世の「学習」とか「試験」には、この暗誦力が左右する。 なまじ、理解から入ろうとするものは、テストにつきまとう社会からは落伍する。 
 人間の頭脳を機械にすることなしに、暗誦はかなわぬからだ。 丸暗記とは、理解の拒否ではじまる。」 を紹介した。
 そして、 「多少抵抗を感じたが、なるほどと思うところがある。」 と書いた。

 それは、弁理士試験の受験中に同じようなことを感じたからである。

 弁理士試験の勉強をはじめたとき、条文を読んでもそれが理解できず、なかなか憶えられなかった、そんなとき、条文中の要件(主体的要件、客体的要件、手続的要件など)はアンド(AND)回路かオア(OR)回路のようなものにすぎない、アンド回路かオア回路かを知れば、憶えるのは簡単だ、と教わったことがある。 これは確か弁理士試験ゼミに入ったとき、その年の合格者体験談によるものであった。

 要件を全てを満たす必要があるのか、あるいは要件のうち一つでも満たせばよいのか、である。

 そして、要件を満たしたらどうなるの 満たさなかったどうなるの 満たさないとき、救済策はあるのか、ないのか などである。

 また、別の人から、特許法、実用新案法、意匠法、商標法の各法文中の条文の相互の関係(条文の並び、前後 原則 例外など)や、特許法、実用新案法、意匠法、商標法の相互の関係(他法との関係)や、パリ条約、PCT、マドプロ(注 私の受験時にはマドプロは有りませんでした パリ条約とPCTのみ)などの条約と国内法との相互の関係などを考えると、一見すると無味乾燥にみえる条文が面白くみえてくると、教わったことがある。この楽しみを一度憶えたらカッパえびせん状態(注 オヤジギャグ)になるとのこと?

 その他にもいろいろ教わったが、実行したのは上述した二つの手法である。条文中の要件についてはそれがアンド回路かオア回路かをみる、各法文中の条文の並び、他法との関係、条約と国内法との関係などである。

 当たり前のことであるが、実はこれが最も基本的なことであると、思っている。

 条文を理解したと、錯覚している人は多数いるけれど、そんなアホな連中は無視し、へたに理解しようと思わずに、条文を如何に効率的に憶えるかである。

 実はこの手法、論文試験に役に立つ。書くべき項目を落とさないようになるのである。

 特許庁のホームページを開いたとき、平成24年度短答式筆記試験問題とその解答が掲載されていたが、点数が十分とれなかった人(合格ラインの点数が得られなかった人)は来年度に向けて直ぐに勉強をはじめるべきである。

 1年もないからだ。

 実は試験後、解放感にひたりきり、遊びほうけ、秋風が吹き始めた頃、気付いて勉強をはじめたが、時既に遅く、翌年見事に落ちた経験があるので。


Last updated 2012.05.23 11:04:57


2012.05.14

特許鑑定雑感
[ 知的財産関連 ]  

 特許の鑑定作業をしていると色々と気付くことがある。その一つは、企画中の新製品(イ号物件 イ号方法)が先行する他人の特許に抵触するか否かを鑑定する、抵触鑑定 の場面である。

 抵触の疑い有りの鑑定結果がでた場合、イ号物件やイ号方法を実施する側の立場からみた対策として挙げられるのが、例えば

 1.セカンドオピニオンを求める

 2.特許庁の判定制度を利用する

 3.設計変更をして先行する他人の特許に抵触しないようにする

 4.無効審判を請求して先行する他人の特許を無効にする

 5.特許出願、実用新案登録出願又は意匠登録出願をする

 6.ライセンス交渉をする


などである。

 実はこれら対策のなかで厄介なものがある。

 その一つが設計変更である。

 簡単に出来そうに思うが、そうではないのだ。

 通常、設計変更が求められるのは、イ号物件、イ号方法の核心部分が他人の特許発明の本質的部分に該当する場合が多いからではないのか。

 そすると大幅な設計変更が求められるのでは?

 例えば、既に金型が出来上がっている場合などは、抵触しないように設計変更することは不可能といえないものの非常に難しいと思う。

 金型は通常何回かの修正を繰り繰り返して製作するといわれているが、ここでの修正は例えばプレス金型ではプレス加工後に生じた製品の”しわ”や”たるみ”などに対処するものであり、大幅な設計変更に対するものではない。

 大幅な設計変更に対応するにはすでに出来上がった金型を廃棄して新たに金型を作り直す場合が多いのでは?

 設計変更してはとのアドバイスは慎重にしなければならない。実行するのが難しいからである。


 自分のケースではなく、知り合いの弁理士から聞いた話しではあるが、技術開発能力の高い企業、個人事業主の場合、抵触の疑いありとの鑑定結果に対して ”ああそうですか” と、いい、その後、いとも簡単に設計変更をし、その結果、先行する特許の抵触を回避したばかりか、その特許に開示された技術を凌駕する内容の新技術を開発したとのこと。

 そうすると、一概に ”設計変更してはとのアドバイスは慎重にしなければならない” とはいえないのか。

 技術開発能力があれば直ぐに設計変更をすることが出来るが、そうではない場合、設計変更で対処するのは難しいということなのか。
 
 設計変更してはとのアドバイスについて、技術開発能力の有無で異なると、言い換えた方がよいかも知れない。

 上述した対策、実は教科書的なものであると、思っている。

 技術開発能力がなく、設計変更で対処できなくても対策はある。

 対策の具体的な内容についてはいろいろと差し支えがあるのでここでは公表出来ないが、実際にはいろいろある。相手方(特許権者側)の出方次第で変わる。


Last updated 2012.05.14 12:34:19

2012.05.03

草森紳一著の「中国文化大革命の大宣伝 上・下巻」
[ 団塊世代 ]  

 最近読み終えた本の一つとして草森紳一著の 「中国文化大革命の大宣伝 上・下巻」 がある。

a-中国文化大革命の大宣伝 上巻.jpg

a-中国文化大革命の大宣伝 下巻.jpg


 アマゾンの商品の説明中の内容紹介によると、

 「プレゼンの天才・毛沢東の魔術を100万字で読み解きました。

 コラムニストの天野祐吉氏は、この本を評して「毛沢東の文化大革命を宣伝という視点からとらえ、ここまで執拗に紹介・解説した本は、世界にもまず例がない」と語っています。最後の文人草森紳一が、現代史最大の謎の一つ「文化大革命」に挑み、情報分析官さながらそのプロパガンダ(=プレゼンテーション)の一部始終を読み解いた上下巻計1200ページの大冊です。
 60年代半ば、「文化大革命」の号令によって、1000万人が亡くなったと言われています。権威が失墜しつつあった毛沢東は、中学生高校生を煽り立て、敵対勢力を一掃します。「司令部を砲撃せよ」とまで号令を発し、民衆はおろか国家元首までをもリンチにかけ、ついには殺害してしまいます。人々も「毛沢東万歳」を御旗の下、進んで破壊・殺戮を繰り返したのです。
 本書では「社会主義国家においてはすべてが宣伝である」と喝破しています。宣伝はいかに人をダマし、人はいかにダマされたのか──プロパガンダの手管を飽きることなく穿っていきます。
 草森は、「執筆時に頭によぎったことは、一件無関係でも、何か繋がりがあるはずだから書く」という主義で、本書も、学術的な文革論とは明確に一線を画しています。「ゴルゴ13」や、中国詩論、ユーモア論など縦横無尽です。そして、その先には悲劇の中にあっても生き続けようと意志する人間の姿が見えてくるはずです。
 『広告批評』に足かけ11年の連載が待望の書籍化です。
 内容(「BOOK」データベースより)
 人は宣伝にいかにダマされ、ダマすのか?プレゼンの天才・毛沢東の魔術を100万字で読み解いた。」
 

 とにかく面白いので、一読を勧める。

 自分が特に面白いと思ったのは、 同書上巻 187頁の 老三篇を暗誦せよ である。

 毛沢東思想に忠実であることを示すには毛沢東の著作や講話などをまとめた「毛沢東選集」を暗誦するしかないが、これは世界中のインテリを夢中にさせるだけの内容をもったレベルの高いものである。

 暗誦していないと、文化大革命の嵐の中ではいきていけないが、「毛沢東選集」を、文盲の多い人民に暗誦させることなどはどだい無理な話しである。

 そこで登場したのが林彪編の「毛主席語録」である。でも、これは節録にすぎない。

 さらに、「毛沢東選集」の中から抽出した 「人民に奉仕する」 「ベチューンを記念する」 「愚公、山を移す」 の三篇が登場した。

 これならば、節録ではなく、暗誦も可能ではということで、「老三篇」の学習運動がはじまった。すなわち、「老三篇」を暗誦する運動がはじまった。


 ここで、草森紳一氏の「暗誦」についての考えが披露されている。

 それによると、

 「「暗誦」は、理解ではない。

 理解への道ではある。

 日本の昔のインテリ階級の子弟が、四歳の時から中国の古典である「四書五経」を暗記させられたのは、理解への道としてである。

 まず、暗誦からというわけである。

 しかし、後年になって、その暗誦が生きて理解の道に達するものは、ごくわずかであるし、その理解を足がかりに応用の世界へ踏みこみ、ましてや自らの世界を切り開くものなど、さらにすくない。

 そのようなむなしさに「暗誦」は、最初からつきまとわれている。

 ただ、私は理解しましたという見せかけの魔力なら、暗誦によって備わる。

 この世の「学習」とか「試験」には、この暗誦力が左右する。

 なまじ、理解から入ろうとするものは、テストにつきまとう社会からは落伍する。

 人間の頭脳を機械にすることなしに、暗誦はかなわぬからだ。

 丸暗記とは、理解の拒否ではじまる。」



 「理解の拒否」と言い切ってしまうところがすごい。

 多少抵抗を感じたが、なるほどと思うところがある。


Last updated 2012.05.10 09:29:36

2012.04.27

中国における周知(馳名)商標の保護
[ 知的財産関連 ]  

 独立行政法人 日本貿易振興機構(ジェトロ)から模倣品被害の多い国・地域における法制度や判例・事例を紹介する目的で、2011年度版各国別「模倣対策マニュアル」、「知的財産権侵害 判例・事例集」を発行している旨、知的財産関連ブログで紹介されていたので、早速申し込んだら、直ぐに届いた。感謝!感謝!である。

 特に中国での周知商標(以下馳名商標と記す)の保護について、その実態を知りたいと思っていたからである。

 「模倣対策マニュアル」中国編 2012年3月 25頁から35頁には”馳名商標の保護手続”についての分かり易い解説がある。

 ここで、馳名商標とは、「中国において関連公衆に広く認知され、高い名声を有する商標のことをいう」と定義している(保護規定(馳名商標の認定と保護に関する規定 2003 年4 月17 日公布)2条1項)。

 同2条1項中の関連公衆とは、「商標を使用する特定商品又は役務を享受する消費者、同商品を生産し同役務を提供するその他の経営者、及び流通に係る販売者及びその他の関係者を含む」と定義している。

 そうすると、中国外で周知であってたとしても、中国内で関連公衆に広く認知され、高い名声を有していなければならないことになる。

 では中国内でも周知であると認定されるのにはどのような手続が必要となるのか。

 中国商標法14条に馳名商標の認定要件が列挙されている。同14条によると、
 (一)関連公衆の当該商標に対する認知度
 (二)当該商標の持続的な使用期間
 (三)当該商標のあらゆる宣伝の持続期間、程度及び地理的範囲
 (四)当該商標の著名商標としての保護記録
 (五)当該商標の著名であることのその他の要因

 また、保護規定3条で列挙されている以下の資料を提出する必要がある。
 (1) 関連公衆が当該商標に対する認知度を証明する関係資料。
 (2) 当該商標の継続使用期間を証明する関係資料。商標の使用、登録期間及び登録範囲の関係資料を含む。
 (3) 当該商標の全ての宣伝活動の継続期間、程度及び地理的範囲を証明する関係資料。広告宣伝と販売活動の方法と地理的範囲、広告メディアの種類及び広告宣伝費などの関係資料。
 (4) 当該商標が著名商標として保護された記録を証明する関係資料。当該商標が中国又はその他の国及び地域において著名商標として保護された関係資料を含む。
 (5) 当該商標が著名であることを証明するその他の証拠資料。当該商標が使用された主要な商品の過去三年間の生産量、販売量、販売額、利益及び販売地域などの関係資料。

 多くのケースでは、大量の証拠資料を収集して提出することになるとのこと(認定手続の類型と流れについては上記マニュアルの28頁から31頁を参照)。

 中国では、商標登録された馳名商標と未登録の馳名商標では保護範囲に差がある。
 具体的には、
 未登録の馳名商標については、「同一又は類似の商品について出願した商標が、中国で登録されていない他人の著名商標を複製、模倣又は翻訳したものであって、かつ同著名商標と容易に混同を生じさせる場合には、その登録とその使用を禁止する。」と規定されている(中国商標法第13条第1項)。
 一方、登録した馳名商標については、「非同一又は非類似の商品について出願した商標が、中国で登録されている他人の著名商標を複製、模倣又は翻訳したものであって、かつ公衆を誤認させ、同著名商標権者の利益に損害を与え得る場合には、その登録とその使用を禁止する。」と規定されている(同第2項)。
 簡単に言ってしまえば、未登録の馳名商標は同一又は類似の商品の出願を排除できるのに対し、登録した馳名商標は非同一又は非類似商品の出願を排除できるということである。 

 上記マニュアルの35頁には馳名商標の保護手続の内容から導き出したアドバイスである”実務のポイント 中国外での著名性について”が載っている。これによると、
 「外国で著名な商標であっても、中国において著名でなければなりません。著名の範囲を中国だけに限定すると、日本で著名であっても、中国で著名でなければ保護されず、中国企業が日本企業の日本で著名な商標を中国で先に商標登録を受けて、日本企業が事業展開をしようとしてもできないじたいが生じてきています。 日本で周知な商標であっても、中国で馳名商標と認定されない以上は未登録のままでは保護されませんので、早く中国で商標登録をすべきです。」

 実際問題として中国で馳名商標の認定を受けるには大量の証拠資料を準備して提出する必要があるが、これには手間と費用等がかかり大変である。また、証拠資料を提出したとしても、必ずしも認定を受けられるとは限らない。

 中国で商標登録を受け且つ地名商標として認定されればベストではあるが、実際問題としては非常に難しい。

 そうすると、上述したアドバイスのように、少なくと中国で商標登録を受けておくことが得策ではと思う。
 

 ちなみに日本では、外国の周知・著名商標に関して、日本商標法4条1項7号、4条1項15号などや不正競争防止法で保護していたが、平成8年改正の施行により、その保護をさらに強化するため、日本商標法第4条第1項第19号を新設している。

 この商標法第4条第1項第19号によれば、
 「他人の業務に係る商品又は役務を表示するものとして日本国内又は外国に於ける需要者の間に広く認識されている商標と同一又は類似の商標であって、不正の目的(不正の利益を得る目的、他人に損害を加える目的その他の不正の目的をいう。以下同じ。)をもって使用をするもの(前各号も掲げるものを除く。)」
と規定されている。

 上記規定では、周知・著名商標を使用する商品又は役務については全く問われていない。

 外国の周知・著名商標が日本国内で「周知又は著名」であることをについて、中国のように中国国内で「周知又は著名」であることやそれを裏付ける膨大な証拠資料を伴って馳名商標の認定請求をするようなことまでは要求していない。


 何故、中国での周知商標の保護について興味を持ったかというと(本音をいうと)、日本企業などとは全く関係の無い中国企業などが、日本、諸外国などで周知・著名になっている商標について、中国で登録されていないことを奇貨として、高額で買い取らせたりする等の目的で、中国で先取り的に出願をして登録を受けていると思われるような事態が多発しているからである。

 費用をかけてわざわざ日本、諸外国などで周知・著名商標について先取り的に出願・登録を受けているように思われるが、実は中国でも既に馳名商標になっているのではとの疑いを持ってしまう。果たして真相はどうなんだろう。

 換言すると、先取り的に出願・登録したのは、中国でも既に馳名商標になっていることをその出願人や権利者などが自認していることに他ならないのでは?


Last updated 2012.04.28 06:42:03

2012.04.22

地球温暖化より、むしろ、地球寒冷化の危機
[ 環境問題 ]  

文藝春秋5月号(平成24年4月10日発売)にある立花隆氏のコラムに興味深い記事「太陽の謎」があった。それは 「国立天文台の常田佐久教授の「新しい太陽像」と題する講話を聞いて驚いた。」 で始まり、「近年、環境問題というと、地球温暖化の危機がもっぱらの話題だったが、太陽活動の観測をずっと続けてきた立場からいうと、いま本当に危惧されるのは、むしろ、地球寒冷化の危機だという。」 と問いかけている。

 2006年に打ち上げられた太陽観測衛星「ひので」の観測データから次々ともたらされた大発見を紹介している。

 その一つは、太陽表面で起きている爆発現象(フレアなど)の過程を明らかにしたこと。

 太陽の黒点について、それが生まれてから消滅するまでの全過程を明らかにし、黒点が太陽活動のいちばんのメルクマールになることを示した。
 太陽の黒点については、ガリレオ・ガリレイ以来、400年近く詳細な記録が残されており、それによると、11年周期で増えたり減ったりするとのことであるが、最近それが12.6年に伸びている。こんなことは1800年頃のダルトン極小期以来なかったことだ。周期が13年とか14年になったりしたら、400年前のマウンダー極小期と呼ばれる小氷期の再来になりかねない。

 黒点の増減の周期の伸び以上におかしいのが磁極反転の狂いである。11年周期で、太陽の磁極がキチンと反転していたのに、北極と南極で、反転のタイミングがズレはじめたのだ。北極は11年周期で反転し、南極は12.6年周期で反転。このままいくと、「太陽は磁力線が南のプラス極から出て北のマイナス極に入る二重極構造から、プラス極が北極にも南極にもあり、マイナス極が南北の中緯度地帯にできる四極構造になる」ことが予想されるとのこと等。


 磁極反転の詳しい内容については、平成24年4月19日 タイトル「太陽観測衛星「ひので」、太陽極域磁場の反転を捉えた」国立天文台の プレスリリース を参照してみては。

 同プレスリリースによると、 「国立天文台と理化学研究所の研究者を中心とした国際研究チームは、太陽観測衛星「ひので」に搭載された可視光・磁場望遠鏡により太陽極域の磁場観測を定期的に行ってきましたが、このたび、極域磁場の極性が通常より早く反転しつつあることを世界で初めて捉えました。これは、可視光・磁場望遠鏡が持つ高空間分解能・高精度偏光解析能力と長期間にわたり安定的に行われた「ひので」衛星運用による成果です。」

 「太陽の極域の観測は、今後の太陽活動を予測する上でも極めて重要です。太陽活動の前活動周期の終わりから今周期の始めにかけての極小期は、予想以上に長く続きました(通常の太陽周期が約11年なのに対して12.6年であった)。また、現在までのところ、今周期の太陽活動は、前周期に比べて低調に推移しています。さらに、今回の「ひので」の観測により、太陽の大局的磁場が四重極構造になる兆候が発見されました。これらの観測結果は、太陽の内部で磁場を生み出すダイナモ機構の状態が、現代的な太陽観測が始まって以来初めて、変動を来していることを示しています。地球が寒冷であったと言われるマウンダー極小期やダルトン極小期には、太陽がこのような状況にあったと考えられており、今後の推移が注目されます。」

 マウンダー極小期(1645年~1715年)やダルトン極小期(1800年~1820年)について、立花隆氏は、上記記事で 「その時代を描いたブライアン・フェガン著「歴史を変えた気候大変動」を読んでいると、これはいまの時代にそっくりだと思えてくる。」 と言及している。


 同書は自分も2010年に読んだが、確かに立花氏が指摘する通りである。

a-歴史を変えた気候大変動.jpg

 同書242頁には、1684年1月24日に、日記作者のジョン・イーヴリンはこう書いている。 「凍結が・・・ますますひどくなり、ロンドンのテムズ川には、市内の通りにあるような屋台が並び・・・翌年の夏は猛暑になり、それからまたテムズ川の凍る厳冬が訪れ、そしてまた暑い夏がやってきた。1680年から1700年の20年間は全般的に気温が低く、降水量の多かった1世紀の最後にあって、寒さと天候の不順がひときは目立った。」

 同書2423頁には、 「予測不能の気候変動は、つぎの世紀に入ってもつづいた。乾燥した厳しい冬に荒天つづきの雨の多い夏の時期と、湿度の高い暖冬と暑夏の時期とが交互にやってきた。」

 ブライアン・フェガン著「歴史を変えた気候大変動」は、もとはといえば気候変動と歴史上の出来事との間に何らかの相関関係(ローマ帝国の衰亡など)があるのか否かについて興味を持っていたので読んだが、約400年も前から黒点の観測を行っていたことについ詳しく書いており、お薦めの一冊である。


Last updated 2012.04.22 12:01:08

2012.04.01

うそつき
[ 団塊世代 ]  

 吉田兼好『徒然草』第七三段には、
「世に語り伝ふる事、まことはあいなきにや、おほくは皆虚言なり。
 あるにも過ぎて人は物を言ひなすに、まして、年月過ぎ、境もへだたりぬれば、言ひたきままに語りなして、筆にも書き止めぬれば、やがて定まりぬ。
 道々の物の上手のいみじき事など、かたくななる人のその道知らぬは、そぞろに神の如くに言えども、道知れる人は更に信も起さず。音に聞くと見る時とは、何事も変わるものなり。」

とある。

 確かに、今も昔も、世の中、うそでみつちゃんみちみちみちあふれているのである。

 そういえば、昨年読んだ本で面白いものがあった。それは「うそつき」うそと自己欺まんの心理学 チャールズ・V・フォード著 発行所(株)草思社 である。

うそつき 自己欺まん

 Amazon.co.jpの 商品の説明には
 人は自負心を保つために自分にうそをつく。
 自分にうそをつくのが下手な人は、うつ病になりやすい。
 人はうそをつく能力は高いが、うそを見破る能力は低い。
 警官、税関検査官などのうそを見破る能力は、一般人となんら変わらない。
 権力を求める政治家には自己愛的な人が多く、その人格特性がうそを助長する。
 病的なうそつきは、脳の機能不全と関連のあることが多い。
 うそが非道徳的とされているのは、権力構造の維持に役立つからである。
 集団内で相互に強化される自己欺まんが、最も恐ろしい問題をひきおこす。
 うそは人間関係の調整、不安や苦痛への対処、種としての存続、そして個人として栄えるために不可欠の要素である。


 人は誰しも自分からうそをついても何ら問題としないが、他人からうそをつかれるのを非常に嫌うものである。

 同書、「うそ」についていろいろ考えさせてくれる。是非一読を勧めたい。


Last updated 2012.04.01 23:36:08

2012.03.24

文藝春秋3月号の再掲載論文「日本の自殺」」その12
[ 団塊世代 ]  

 文藝春秋3月号の再掲載論文「日本の自殺」」に対する山内昌之氏の解説 「21世紀のパンとサーカスに抗して-良質な知の再現を」 と、櫻田淳氏の解説 「事態はさらに悪くなっている」 について要約して紹介する。

 再掲載論文「日本の自殺」」に対する山内昌之氏の解説 「21世紀のパンとサーカスに抗して-良質な知の再現を」

 「著者たちの議論で重要なのは、没落への真の危険への考察である。それは、極度の平等主義とエリート的自覚の否定によって、日本人が危機や試練を認識できる力を失っているという指摘なのだ。しかも、危機や試練に挑戦する創造性や建設的思考を衰弱させており、部分や短期の利益を見るあまり、全体や長期の未来を見られなくなったと警告していた。」

 「いずれにせよ、この論文は文明の没落から日本が学ぶべき教訓を列挙しているが、これらはいまでも傾聴に値する。
 何よりも、国民が狭い利己的な欲求を求めるあまりエゴを自制できなければ経済社会は自壊していくという指摘は正しい。
 いまのギリシアやイタリアの財政危機と国を挙げてのモラル・ハザードはこの例証にすぎない。
 また、国民が自主自尊の精神をもたずに福祉に過剰依存する社会は、国家もろとも滅亡する以外にない。
 最低賃金よりも生活保障を求めて勤労意欲を失った日本人や在留外国人の増加は由々しいことでありながら、国民にその危機感は乏しい。 
 また、エリートというコトバを否定し自嘲する日本では、責任をとろうとする「精神の貴族主義」がもはや地を払ったかのように見える。」

 「結局、物欲や私欲に勝る価値観や全体像を見失った戦後日本人の病理は、グループ1984年の予知した以上に深刻に21世紀の日本人をいま襲っていることだ。財政破綻が目前に迫っているこの期に及んで、相変わらずパンとサーカスを求め、義務や奉仕の念をもたない日本人とは何であろうか。」


 再掲載論文「日本の自殺」」に対する櫻田淳氏の解説 「事態はさらに悪くなっている」

 「日本の自殺の」論稿は、日本の興隆の時節に示された「予言」であったけれども、現下のような停滞の時節においてこそ参照されるべき価値を持つ。
 現下を生きる人々は、次に挙げる二つの点に留意しつつ、この「カッサンドラ(不吉、破局)の予言」とも評すべき論稿に再び触れるべきであろう。

 第一は、「国家に依存し寄生する精神」の蔓延である。
 戦後日本の興隆に裏付けられた「福祉国家」路線の定着は、「国家に依存し寄生する精神」を静かに、かつ確実に日本社会に浸透させた。その反面、「独立自尊」の精神の退潮は、「日本の自殺」論稿でも触れられた様々な社会規範の融解を促した。
 「独立の気力なき者は、人に依頼して悪事をなすことあり」 という福澤諭吉の言葉は、その意味でも正しかったといえよう。
 現在でも、消費増税の是非は、政局の争点として語られるけれども、それが年金や医療、介護といった「福祉支出」の担保を目的としていることには、何らの疑問が投げ掛けられていないようである。
 「福祉国家」路線の行く末にあるのは「国家に対する依存と寄生」によってしか生計を維持できない人々の出現である。
 国家の枠組に拠る福祉の施策は、困難に陥った人々を時限的、緊急避難的に支える趣旨のものであれば意義深いかもしれないけれど、それが恒常的な趣旨のものになれば、「国家に依存し寄生する精神」の揺籃となる。

 第二は、民主主義体制の趣旨を「平等主義」の観点から把握する誤解の定着である。
 鳩山由紀夫、菅直人の二代の民主党宰相の迷走が暗示するように、確たる「統治の作法」を体得した統治層の不在であり、その統治層の養成を怠ってきた日本の現実である。
 そもそも統治層の養成は、戦後フランスにおけるENA(国立行政学院)の枠組みが象徴的に示すように、「特別な人材に特別な教育を施し、特別な待遇を与える」という趣旨の諒解を必要としているけれども、戦後日本では、「平等主義」の呪縛によって、そうした諒解は遂に定着するに至らなかった。
 「平等主義」の精神は、多分に嫉妬の感情とも結び付いて、そうした諒解の定着を妨げた。
 昨今の「格差」批判と官僚批判の風景が表しているのは、「日本の自殺」論稿が警報を鳴らした「平等主義」の暴走なのではないか。


 山内昌之氏と櫻田淳氏の両氏、いずれも極端な「平等主義」の弊害と過剰な「福祉」への依存を問題として挙げ、それを明解に指摘した「日本の自殺」論文を評価しているが、どうだろう。

 同論文を1975年当時読んだときには、実はそれほどの危機感はなかった。実際、1975年以降、バブル崩壊に至までは、日本、経済大国に向かって邁進したのである。ただ、自分にとってはギボンの「ローマ帝国衰亡史」を読破する切っ掛けになったに過ぎなかった。

 しかし、2012年現在、「日本の自殺」論文で指摘されたことが現実のものに近づいたと思う。

 日本国民、いつから ”ゆすり・たかり” 上手になったのだろうか。

 国家の財政が破綻すれば、いずれにせよ社会保障などといっていられないのではと思うが。

 社会保障などと叫びながら放火をして略奪に奔走する光景が日本国内の至る所で見られるかも知れない。

 このとき注意しなければいかないことがある。それは放火や略奪などの現場を見物しに行かないことである。このような現場には必ず野次馬がいるが、その野次馬の一人に決してならないことである。

 日本、墜ちるところまで墜ちればよいと思う。中途半端ではいけない。墜ちて駄目になるのであればそれは仕方のないことである。

 国が滅んでも恨んではいけない。原因をつくったのは国民そのものなのだからである。みっともないのである。


Last updated 2012.03.24 23:43:17

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