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風の太陽さんのお買い物
しろいちじくの日記 [全328件]
休載中のブログですが、ひとつ心に残ったことがあるのでアップ致します(*^^*) 先日、東京へ行く機会があり。 帰りに東京ミッドタウンへ(中にサントリー美術館がある)へ行きました。 ホントは国立美術館に行きたかったのですが、開館時間に間に合いませんでした(>O<) このとき、ちょっと考えさせられたことがあって。 地下鉄で移動したあと、ホームにある看板(何番出口から出たらよいか)を見ていたら、声、かけられたんです。 「私でわかることであれば、お手伝いさせてください」 見ると、足の不自由な方で、背も私よりずっと低い男性の方でした。 どう答えるべきか本当に迷い、 「東京ミッドタウンへ行きたいのですが」 と正直に伝えると、すごく丁寧に教えてくれたんです。 電車から降りる人、降りる人、その場にいる人が、ものすごく哀れんだ目で見てきて、中には何度か振り返ってこちらを見てくる人もいました。 そんな視線が、すごく痛かった。 『私でわかることであれば、お手伝いさせてください』 そういった男性の気持ちが、痛いくらいに伝わってきて。 私には精一杯笑顔で聞くことしかできなくて、お礼をいうことしかできなかった。 たぶん多くの人が、声をかけられて。 「ありがとうございます。大丈夫です」 と答えるのではないでしょうか? 私自身、最初そう答えそうになった自分がいました。 「おかげで本当に助かりました」 そういった直後の、あの男性の嬉しそうにほほえんだ顔。 今でもくっきり頭の隅に残ってます。 痛みを知っている人は、人に優しくすることができる。 これは最近、本当に感じることです。 家族のお見舞いのとき、(洗濯物の替えなどで)両手がふさがっていたとき。 いったん荷物を置いて、ドアを開けようとすると。 すぐ目の前にいた松葉杖の人がドアを開けてくれたことがあったり。 エレベーターで車椅子の人と乗り合わせたとき。 先に降りてもらおうと「開」のボタンを押そうとすると。 「お先にどうぞ」と、先に「開」のボタンを押され、にっこりほほえまれたり。 きっと些細なことなんだろうけれど。 今の世の中では、心に残る光景だとしみじみ思っています。 あまり書くことはありませんが、傷つくことが本当に多い世の中だから。 人の優しさに触れたときは、涙が出るほど嬉しいものです。 言葉って、本当に不思議ですよね。
ブログを綴りだして1200日あまり。 過去、医療事務日記2に切り替えるとき。 大量のデータ消去を行ったことがありましたが。 本日付で、ブログを休載しようと思います。 事実上「終了」のお知らせです。 長い間、お読み下さった方々には、感謝の言葉もありません。 毎回なにかしらのテーマを決めて、書いてきたつもりではありますが。 扱ったテーマに多かったのは「幸せ」「人生」「思いやり」 その三つが、振り返ってみて、一番多かった気がします。 特に「幸せ」が、今までも、そしておそらくこれからも。 私が扱っていくことが多いテーマではないでしょうか。 十代の頃、私はよく幸せ探しをしていました。 「幸せ」の基準が、わからなかった。 ようやく、今、本当に今になって、自分のこと、好きになれたのは。 今まで出会った友人、知人、家族。周囲のサポートあってのことだと思います。 この場をかりて、厚く御礼申し上げます。 そして、最後に。 この五年間。書籍化の目標が叶ったり、引っ越したり、体調を壊したり。 いいことも、そうでないことも、どちらもありましたが。 この五年を通じて思ったのは。 『人生、なにが幸いするかわからない』ということ。 そのとき、「最悪だ」と思うことがあっても。 のちのち、長い目で見れば、どこかで必ずリンクして、「今」に生きてくる。 十代のときには、決して感じなかった思いです。 今が「幸せでない」と思っても。 それは将来、どこかで「幸せ」になるための試練。 今が「幸せ」だと思うのなら。 それは将来、ずっと「幸せ」でいるためのきっかけ。 「今、幸せですか?」と聞かれて、「幸せじゃないことはない」なんて答える自分がいても。 それはそれで、いい気がしています。 無理にがんばって生きるより、自然体の自分で「らしく」生きていたほうが、ほんの少しでも自分を好きになれる。 今まで本当にありがとうございました。 従来どおり、携帯小説、脚本を書いていく予定ですので、サイト、もしくは、書店にて私を見つけてくださったときには、ひとことお声をかけてくださるととても嬉しく思います。 それでは、またいつかお目にかかれる日まで。 皆々様にとって「明日」が。 今日よりほんの少しでも良き一日になりますように。 2008.6.6 しろいちじく
誕生日。 祝ってもらって嬉しいのは、いつまでですか? さて、今日、祖母の誕生日でした。 最近は自分自身の誕生日にも鈍感になって、わりと仕事に明け暮れ、終わってしまったり。 昔のように、誰かと過ごすドキドキ感のようなものがなくなってしまった気がします。 そんなこんなで祖母の誕生日。 もう八十を越えていて、今朝方、母に祖母の誕生日のことを教えてもらい。 今日仕事帰りにケーキを買って帰りました。 ケーキを買うの、じつは正直、迷っていました。 正直、我が家はケーキを誰も食べません。 私がまだ幼い頃。ケーキを買っても、ずいぶんあまっていました。 それでも小さなホールケーキを買ったのは。 「気持ち」としてロウソクをさしたかったからかもしれません。 私自身、付き合いで洋菓子を食べることはありますが、基本和菓子。 生クリームにいたっては、大の苦手。 フロマージュのムースケーキを買い、ロウソクを八本。 プレートには祖母の名前。 「お誕生日おめでとう」の文字を入れてもらいました。 幸い今日は手術日で、仕事も早く終わり、時間にも余裕が。 その足で帰りにおすし屋さんにより、お寿司を家族のぶん。 帰ってきれいに盛り付けて、祖母を呼ぶ。 電気を消して。 火をつけて。 「おばあちゃん、お誕生日おめでとう!」 祖母の子どものような笑顔が、本当に印象的でした。 いくつになっても「おめでとう」の声は、やっぱり嬉しくて。 『お誕生日おめでとう』は『生まれてきてくれてありがとう』のサイン。 ふうっと一息で、火を消す祖母の顔は、きらきら輝いていました。 やっぱりあまってしまったホールケーキ。 でもやっぱり買って帰ってよかった。 すぐには無理でも、今日、明日少しずつみんなで食べて。 お祝いしよう。 普段は照れくさくって、なかなかいえないけれど。 これからも元気に長生きしてね、おばあちゃん。 そしてこれからもどうぞ家族がみんな元気に、笑顔で過ごせますように。 今日、一日が無事に終わることに、感謝、感謝。
昔から、電話が好きだった。 小学生の頃は、親友の彼女と毎日、毎日、家電で話していて。 お互い、母親から「明日、また学校で会うでしょう」とよく笑われていた。 そんな彼女とは、十年以上経った今でもとても仲が良く。 年に一度か、二度会うかどうかでも、会った瞬間「昨日ぶり」の感覚で話せる。 電話というのは、じつに不思議で、遠くに離れていても、繋がる瞬間はリアル。 体調や時間的なものから会って話すのがきついときも、電話でなら話せる。 特に寝る前の電話は、一番穏やかに流れる時間。 さて、この電話。 大学生の頃、遠距離恋愛をしていて、電話にはひどく愛着がある。 昔は今のように、同じ機種の携帯電話間で通話無料というものがなく。 同じ会社のIP電話を使って、毎晩、毎晩話していた。 いつも定時にかかってきて、お互い用事もなく、スピーカーフォンにしたまま、勉強しながら電話で話していた。 たまに会えると心から感謝して、その時間が一分、一秒、愛しかった。 あのときの恋が教えてくれたのは。 「会える」ことは幸せで、一緒にいることは、ホントに幸せなこと。 あたりまえすぎて気づきにくいけれど、会いたいときに会えることは、とても幸せなことだ。 大人になって、男も女も「友達」という枠があることを知った。 昔は電話って特定の人(親友だったり、恋人だったり) 自分と親しい人に限ると思っていたのに、大人になると「女友達」「男友達」という枠ができる。 男と女は、どうも違うようだ。 私は恋人がいるとき、男友達に自分から電話をしない。 相談事があれば、自分自身か恋人にする。 けれど、男性は「彼女だからいいにくい」こともあるようで。 彼女がいても、女友達に電話してくる。 人によって違うのかもしれないけれど、私の場合よく聞くのは、仕事上の悩み、日常のストレス。 だいたい「仕事」に起因したものが多い。 ただその多くは、相手が「私」でなくてもいいことだ。 「あまりほかの女性と頻繁に話すのはよくない」と、前に苦言を呈したことがあった。 すると「平気。彼女、(このこと)知ってるから」とあっけらかんと返ってきたことがある。 わりとこう答える女性って多いようだ。 「そういうの、彼女、あまり気にしない」 彼女の答える「そういうの」が、どこまでの許容範囲か。 それこそ人によって違う。 最後に自分の元へ帰ってくればいい。 おおらかな気持ちというか、度量の深さというか。 いつも逆を考えて、私だったらどう答えるのだろうと考える。 ホント答えが出ない。 最近、とても好感の持てる電話があった。 普段は、人生観と仕事観の話しかしない男友達で、先日初めて「今から電話していい?」 もっぱら話したのは、人生観。 恋とかそういう話題に無縁な一時間。 時間が、ゆるやかに流れた。 誰かに聞いて欲しい夜があって。 話して楽になる夜がある。 それは、恋とは少し違っていて。 心に背負う荷物を、おろしたいとき。 ただ一人でおろすには、少しだけ荷が重くて。 そんなとき、ふっと電話をかける。 電話がかかってくる。 話し終わったら、翌日にはまたいつもの日常が始まって。 励ましあって、笑いあって、またがんばる。 その繰り返し。 電話は、マジック。 声に「体温」が重なり合って、元気をもらう。 なんだか久々に、親友に会いたくなった。 高校以来、ずっと文通している彼女。 電話もいいけれど、今夜は今から彼女に手紙の返事を書こうか。
今日は少し雰囲気変えて、パパパッと読み流せる話を。 さて、この週末。友人と街に出かけると。 怪しげな写真館発見。 オーラ写真。 人間には持って生まれた12種類のオーラがあるらしく。 写真を撮ると、オーラが写るそう。 なんとも怪しげじゃないですか。 気になります。すごく。なので友人と撮ってみることに(笑) 意外に人気で1時間待ち。 食事を終えて、帰ってきて、いざ撮影。 「しろちゃん、絶対、赤だよ」 と友人にいわれ、パチッと撮られると。。。 見事なまでの赤でした(笑) すごいですねー。前の人も、似たような白い服着てたのに。 同じ服の色でも、オーラは違うようです。 赤色特性:『活気に満ち溢れている、競争的、勇気、意志力、事業家、プロモータ』 鑑定の人「きれいな赤ですね。あ、オレンジ色の光も見えます」 私「オレンジの特性ってなんですか?」 鑑定の人「ポジティブで、創造的表現に優れてます。冒険家であり、実務的でもあります」 お、なかなかいい感じ^^ 鑑定の人「あとは、快感を求め、享楽的でもあります」 えっ(^▽^:) 鑑定の人「スリルとか、求めませんか?」 私「スリルですか??」 鑑定の人「ゾクゾクする興奮感とか」 求めません(笑)! 私「オーラって、変わるんですか?」 鑑定の人「持って生まれたオーラは、本質的には変わりません。ただ、影響を受けて、周りの色が変わることはあります」 なるほど。 鑑定の人「成功しやすい気質は、赤やオレンジ、黄色のオーラですが、けれど、決して青色や藍色のオーラだからといって、成功しないとも限りません」 そりゃそうだな。 鑑定の人「要は、オーラなんて、あまり関係ないんです」 やってるあなたが言いますか(笑)! 奥の部屋で10分くらい、写真のオーラ見ながら、 ひととおり分析した後。 最後に言われたことが。 鑑定の人「あと、意外に優しいですね」 意外ってなんだ、意外って(笑)! オーラがどうというより、 この鑑定の人がおもしろかった(笑) つづいて、友人も写真撮影。 いつも彼女は腕に、水晶(?)のブレスレットをしていて。 そういうのって、人が触っちゃいけないそうなのです。 人が触ったら、効果が薄れるそう。 前に、誰かに触られちゃったみたい。 なのでずっと「浄化したい」と思っていたらしく。 オーラ写真館で聞いてみた。 友人「ここって浄化できるんですか?」 「浄化」のしかたなんて、もちろん私は知らない。 鑑定の人が「ああ、それは絶対、浄化したほうがいいよ。無料だから。セルフでやってね?」 と道具を貸してくれた。 しかも。。。 鑑定の人「そもそも、浄化って……」 と浄化の「効能」を切々と語る。 とにかく「絶対、ほかの人に触らせてはいけません」 と熱く語り始め、これがまた長い(笑) 基本は、線香であぶる感じ。 しかし、それが「浄化」だと知らない私は。 なにかの「まよけ」のようにも見えてしまった(^^:)、、、 あぶってる最中。 鑑定の人「(線香の)匂いが変わったら、浄化、終了です」 友人「しろちゃん、どう? 匂い、変わった?」 といわれるたびに、匂いをかいでたら。 、、、鼻が麻痺しました。 「変わったんじゃないの?」→結構、適当。 「だよねー」→え? いいのか、それで。 とりあえず、浄化も終わり。 次はいよいよ、友人のオーラ写真撮影。 鑑定の人「ブレスレットは外してくださいねー。磁気が影響しますので」 いわれるままに、友人、ブレスレットを外す。 鑑定の人「じゃあ、そのブレスレット、こちらでお預かりしておきますねー」 タッチ。 ……って、鑑定の人。 ブレスレット、触ってるじゃん!! さっき、あんなに熱く、切々と、「浄化」の効能を訴えたの、誰(笑)? 鑑定の人「あ……」 友人「う……」 見てて、なにげにおもしろかった。 ちなみに友人は、黄色(陽気、寛大、こだわらない)と青色(繊細、慈悲、サービス精神旺盛) 鑑定の人「……また浄化されますか?」 友人「いえ、結構です」 あ、ホントだ。 「こだわってない」ですね、うん(笑) 参照:オーラ写真。1回撮影料金……1050円~。
出会い。 今回は、「異性」として見るのではなく、「知人」「友人」枠に限って話すお話です。 さて、この世には男と女しかいないわけで。 だからといって誰もがお互いを「異性」として意識するわけでなく。 「男友達」「女友達」という枠が、確かに存在します。 友達は、恋人よりも浅い存在なので、表面上でしか物事を見ない(はかれない)ことが多く。 だからこそ、それがお互いにとって「気軽で」心地よい、 けれどそれは遊びとはまた違う、不思議な大人の信頼関係だったりするものです。 (注:割り切った関係をのぞく) そんななか、「友達」として話していても、ふとした拍子に、その人の人生を知る瞬間ってあるものです。 自分の生い立ちや、友人、両親との関わり合い、人生設計。 そういう話を飲みながら聞かされたときって、やっぱり見方が違ってくるものです。 なにも知らないときには、女友達が多い男友達に関して。 「いいかげん、彼女を悲しませるようなことはもうしちゃだめだよー」 なんて明るくいえたのに、家庭環境なり、背負うものを知ると。 「さみしさ」の深さをと知ってしまう。 さみしさって、恋人がいるから、パートナーがいるから埋められるものじゃなく。 恋人がいても、さみしいときには、やっぱりさみしい。 今も明日もこの先ずっとずっと一緒にいたい人が同じだったら、どれだけでも楽になれるのに。 人はいつもどこかで迷ってる。 知ったからといって、自分が変わるわけじゃない。 「友達」はあくまで「友達」で、それ以上でもそれ以下でもない。 ただ大人になってからの「友達」は、子どものときの「友達」とはやはりどこか違う。 「彼女」がいても「女友達」を求める男性たち。 求める背景は人それぞれで、ホントに「友達」を求めている人もいる。 「都合のいい友達」を求めている人だっている。 男と女では、求めるものがどこかで違っていて。 女性の多くは、きっと「心」を求めている。 自分に置き換えて考えた場合。 別に「私だけを見て」なんて、いわないし、いうつもりもないけれど(笑) ただ自分は大切な人にとって「特別な存在」でありたい。 おそらく恋する女性の多くが、そう思うのではないでしょうか。 だから心のどこかで、男性が女友達を求める気持ちが分かる一方で、ときどき分からなくなる。 「そんなこと、彼女にいえばいいのに」と思うこともよくあって。 一方で「彼女だから、いえないこともあるのかな」なんて思ってしまう。 男と女は、ホントに難しい。 気軽な付き合いでは、相手の真意が見えなくて。 重苦しすぎると、今度はどちらかが息切れする。 そう思うと、人との出会いって、出会った「あと」がいつだって難しい。 もう長い付き合いになる女友達が、先日飲みながら小声で呟いた。 「新しい恋のはじめ方、なんかもう忘れちゃったかも」 年を重ねれば重ねるほどに。 恋の終わらせ方にだけ、器用になって。 恋の始まり方には、いつだって鈍感。 それが「大人になる」ということなら、それはどこか悲しい。 恋をする。 大人になる。 そのあとは……? 友人と飲みながら、ふと人が持つ「縁」のようなものを考える今日この頃です。
私の好きなドリカムの『もしも雪なら』 その歌詞の一説に。 『大人のほうが 恋はせつない はじめからかなわないことのほうが多い』 とありますが。 実際そのとおりだと思います。 人が人を純粋に愛せて。 新しい恋になんのとまどいもなく突き進めるのは、25くらいまでかなと思っていて。 (もちろん別にそれを過ぎたらダメということはありません^^) どうしても女性が25過ぎると、恋愛対象としてみるのが30代過ぎの男性が多くなるわけです。 (結婚観が、好きな人と一緒にいたい、というより、ともに道を切り開いていく、どちらかといえば戦友のようなイメージに近くなるため) しかし、そうなると30~32あたりの男性に限っていえば。 純粋に「フリー」な人は少なく。 いざ話してみると。 じつは既婚者。別居中。 じつは婚約中。この夏、結婚。 じつは……。 もぐらが穴を掘るように、ホントいろいろ出てくるわけです(笑) それは私自身感じることでもあり、複数の友人から毎日のごとく相談される内容でもあります。 20代のときには「彼女がいる」といわれていたセリフが。 30代のときには「結婚している」とこうくるわけです。 「彼女」と「奥さん」はまったく別物。 じゃあ「友達で」なんて都合のいい話。 まったく気持ちの入らない「友達」というのは、ホントに難しく。 (ときと場合と状況によりますが) 1%でも一線を踏み越えそうな相手なら、それは「純粋な」友達とはいえないでしょう。 しかし、それを合意のうえで「友達」をやってしまったら。 「不倫」になりかねません(笑) いくら別居中といっても、結婚している事実に変わりないわけです(^O^) 相談されて毎回思うケースに。 なぜか男性が、初めに「事実」をいわないこと。 まあ確かに、初回から「じつは僕、結婚してます」なんていったら。 弾む話も、弾まないのかもしれませんが(笑) たいてい仲良くなった(あるいは、仲良くなりそうな気配を感じる少し手前で) 気持ちに線引きするかのごとく。 「実は……」 と切り出すケースが、圧倒的に多いようです。 それでもいつもいうのは。 「ちゃんといってくれる人でよかったね(^O^)!」と。 結婚しているかどうかは、もちろん聞くのが一番早いですが。 それでも「聞いたから」答えるより。 「聞かないまえに」いってくれる。 このことが、とても大切な気がしています(その人の人間性も含め) 人生に「もし」はありませんが。 気づかないだけで、22、3のときの恋愛はホントに大切。 そのときに出会う人は、まっすぐに「将来」に繋がることがホントに多い。 3年かけてじっくり相手を見て。 25で結婚した友人も圧倒的に多いですが。 私も22のときの恋愛を振り返り、今、自分に子どもがいて。 結婚していてもなんら不思議じゃなかっなとふっと思います。 そして、当時くだした選択が正しかったかどうか、今でも正直わかりません。 22のときにハッキリ見えていた結婚観。 当時は「大切な人がずっとそばにいてくれる」 結婚を恋愛の延長に見ていて。 今はどうしても、結婚って、恋愛の延長というより、生活の延長に見てしまいます。 甘い新婚生活というよりは、苦楽をともにする人生のパートナー。 そうなると昔と今では、好きなるタイプも、相手に求めるものも違う気がします。 結婚相手に求めるもの、譲れない三つがあって。 『健康』『価値観』『尊敬できる人』 尊敬できる点がないと、正直つらい。 励まして、完璧なんて求めてないから、ある程度はやれる人がいい。 励ましても、どんなに支えても。 本人ががんばってるつもりなだけで、がんばれていないのは見ていてせつない。 働き出して、世の中のことがわかってくると。 いやというほど「現実」が見えてくるから。 夢や理想だけでは結婚なんてできなくて。 だからこそ、「結婚は勢いだ」といわれるのだろうなとたまに思います。 二者選択。 『勢いで結婚して、結婚後にこれでよかったのか、と迷う』のと。 『迷って結婚せずに、これでよかったのか、と迷う』のとでは。 いったいどちらがよいのでしょうか(^▽^:)!! 正直、どっちもどっちですよね。 たぶん一番いいのは。 ものごとがすべてわかるようになったうえで、出会い。 お互い、広い意味で合意の上で結婚するのが、一番理想的かなと。 ただその場合、問題がひとつ。 上記に挙げた「実は……」が、ここになって出てくるわけです(笑) 20代も折り返し地点を過ぎ、失ったものがあれば、得たものも同じくらい大きくて。 『やっぱりこれでよかった』と思えるのは。 今、幸せだ。 そう笑顔でいえるからかもしれません。 |一覧| |
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