十章毎年家では、祖父のお祭り行事が沢山有りました 年中行事・漬物漬け 冬、従業員・家族総出で、毎年恒例の漬物漬けをしていました。 200個の白菜を10個の樽に漬けるのです。 従業員・家族を合わせると約30人もいた為、その口数を数えても、200個の白菜の漬物を作っても、すぐ無くなってしまうのです。 年中行事・新年会 新年会は、毎年、祖父の家のふたつの和室の襖をはずし、一人一人30人分のお膳が並ぶ、見事な新年会でした。そして、みんな集まると祖父は、従業員、家族一人一人にお年玉を渡すのです。この日ばかりは、祖父の家は無礼講で、みんな飲み明かしていました。 年中行事・餅つき お正月前になると臼と杵を出し、一度洗って、一日干した後、一回に3升(約5k)のもち米を10回搗くのです。わたしは、餅つきの日が、楽しみで楽しみで仕方がありませんでした。その頃、マキを燃やし、大きな釜でもち米の炊く香りがあたり一面にし、つかれた餅は、すぐ、お正月用の鏡餅を作り、その後、四角の餅を作るのに木の箱に平べったく伸ばされ、その数、50枚~100枚と言っても、想像出来ないでしょう。一家族で、昔でも、2,3枚しか作らなかったと思いますが、わたしの家は、30人も、居たので普通、想像できない位の餅つきをしていました。近所でも、有名で餅つきの時、見物に来る人達が絶えませんでした。 http://tonosan3.hp.infoseek.co.jp/のコラム 参 昭和34年、水泳で日本代表選手(田中聡子)が、300m背泳ぎで2.57 400m自由型で4.16と言う世界新記録を出し、第一回レコード大賞が始まった年、母は、20歳でした。そして、美智子様と皇太子(現・平成天皇)が結婚し、現・皇太子成人殿下が誕生し、何かと巷で賑わっていたそんな時、わたしが、生まれました。大人ばかりだった家へ光を指すように、初めて内孫が誕生した事を皆とても、喜びました。 しかし、その次の年の昭和35年10月、父の一番慕っていた一番上の姉「いき子」が、35歳の若さで白血病に冒され、ふたりの子供と夫を残し亡くなりました。 父の一番上の姉は、わたしが生まれた時、良くわたしを抱いてくれたそうです。 その「いき子」伯母さまにわたしは、一番似ているそうです。 わたしは、大人の中に生まれ、子供の頃、人形のように可愛かったそうです。その為、写真好きだった父が撮ったわたしの写真は、無くなっている写真が多いそうで、子供の頃の写真と言うのはあまりないそうです。 >>> ジャンル別一覧
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