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2005年05月01日
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カテゴリ:言語あれこれ

タイトルにした本「英語にも主語はなかった」に、
ページトップでも紹介している「学校英語よ、さようなら」の一節が、
次のように引用されていました。

辻谷真一郎が『学校英語よ、さようなら』の最後に書いている
「私がこれからしなければならないことは山ほどあります。
基本的にはアメリカ中心の世界観、英語中心の世界観と戦うことです」
という言葉を我々は見習うべきである。

どちらの本も、英語、英語と大騒ぎしている日本人にとって、
大切なことが書いてありますから、
ぜひお手にとっていただきたいと思っています。

この「英語にも主語はなかった」については、
楽天ブックスに投稿された感想文に、
「『天』の言語と『地』の言語、と言った時点で既にフィクション小説の域に入っている」
とありますが、「天」とか「地」とかいうのは、
それぞれの言語を母語とする人間が、
どこに視点を置いた文を構成するかを例えたものにすぎず、
私にはそれが「フィクション小説の域」であるという発想は浮かびません。

と、ここで気付いたのですが、この感想文を投稿された方、
この本を読んでいないようですね。
本の感想文ではなく、本の紹介文の感想文を書いたみたいです。
というのも、「『天』の言語」、「『地』の言語」という表現はまさに、
この本の紹介文にしか書かれておらず、
本文では、これに代わる別の言葉がキーワードになっていて、
それこそ何度も出てくるからです。
本当にこの本を読んでいらっしゃるのなら、
そのキーワードを書かれるはずなんですが。

また、この「英語にも主語はなかった」はほかのところでも、
かなり痛烈に批判されていますが(というか怒りに近い)、
これはおそらく、
自分が知っている(あるいは信じている)世界を壊されることに
耐えられない類の方がお書きになったのではないかと思います。
ガリレオが地動説を唱えた時の教会側の怒りを彷彿とさせます。






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最終更新日  2005年05月12日 09時48分32秒
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