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2022年NHK大河ドラマ 『鎌倉殿の13人』 の感想です。
源 義経(菅田将暉さん)が平泉で最期を迎えるこの回で、 どのような流れで義経が討たれるのかを、視聴前に少し 想像していました。 私の想像では、御館の藤原秀衡(田中 泯さん)が義経を 可愛がり過ぎて、それが面白くなかった藤原泰衡(山本 浩司さん)や藤原国衡(平山祐介さん)が動くのか、と 思っていました。 でもドラマでは、新たな御館となった泰衡は亡父・秀衡の 言いつけを守って義経を大将軍の地位に置こうとするし、 国衡は義経と気が合うのか仲がいい。 結局、主役の北条義時(小栗 旬さん)が源 頼朝(大泉 洋 さん)に命じられ、泰衡と国衡の兄弟仲の悪さを利用した 内部攪乱で義経を討つように運ぶ、という展開でした。 なるほどね~。 そしてもう一つドラマに流れていたのが、義経の愛妾の静 御前(石橋静河さん)と、正妻の里(三浦透子さん)の、 二人の女の生き様でした。 身分は低くても白拍子として生きる術を持ち、たとえ義経に 別れを告げられても自分が愛されている自信がある静御前は、 頼朝の前で女の意地と誇りを見せました。 逆に身分が高く比企の後ろ盾もある里は、義経に選ばれて ずっと付いていき姫が生まれても、どこか自分が愛されて いる自信が持てなかったのでしょうか。 苦労の多い生活で素直に文句をブーブー言っていれば義経も どこかで鎌倉に返してくれたかもしれないのに、里はずっと 耐えていました。 それゆえか、自分が最期を迎えるとわかったときに恨み言を 並べ、京での悪事もばらしてしまいました。 全ては静が憎いからと。 ただこれはいつの時代でも、男女に限らず、例えば親子関係 でもあることだ思っています。 親に愛されたい気持ちの強い子が、ふつうの我儘も言えずに 親の言うことをなんでも頑張ってやって、いつかどこかで 爆発するということが。 私は長年時代劇を見ていて、攻められて自刃を決めた大将と 奥方は、奥方が「どうか貴方の手で。」と言い、大将が 「では苦しまぬよう、ひと思いに。」というのが通常だと 思っていたので、意外な展開でした。 こちらではいろいろな感想で盛り上がっています。 ⇒ ⇒ #鎌倉殿の13人 大河ドラマ館、伊豆の国市でオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 大河ドラマ館、鎌倉市にオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 各地のNHK放送局で順次開催する 全国巡回展 が開催 されています。 ⇒ ⇒ こちら 元暦2年(1185)春に壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼしたものの、秋には後白河法皇に 追討令を出されることとなった源 義経(菅田将暉さん)。 逃亡生活を続けて文治3年(1187)2月、十代の頃から自分を庇護してくれていた 奥州・平泉の藤原秀衡(田中 泯さん)の元にたどり着きました。 義経を深く愛してくれた秀衡は義経の帰還を心から喜び、「お前は日の本一の英雄、 平家を倒したのはお前だ。ようやった!」と誰よりも義経を褒めてくれました。 逃亡生活で疲れ果てていた義経は秀衡の温かい言葉に嬉し涙が止まりませんでした。 重い病で先のない秀衡は遺言で次男の泰衡を次の御館とし、長男の国衡には自分の 妻のとくと夫婦になるよう言い、家の安泰を図りました。 (その場の誰もがが戸惑う中、夫・秀衡の真意を瞬時に理解して国衡に挨拶した とく@天野眞由美さんの演技がよかったです) そして廊下で控える義経を呼び、大将軍としてこの奥州を守るよう命じました。 皆に今後のことを伝えた後、もう少し命があれば自分が鎌倉に攻め込みたかったと 思いを残して、文治3年(1187)の秋に秀衡はこの世を去りました。 しかし義経が奥州の平泉に入ったことは、鎌倉の源頼朝にとっては脅威でした。 文治5年(1189)閏4月、北条義時(小栗 旬さん)は頼朝に平泉に行って義経を 連れて帰りたいと申し出ましたが、頼朝は義経を生かしておけないと言い、さらに 義時に平泉を滅ぼすための内部攪乱を命じました。 平泉に着いた義時は新たな御館となった藤原泰衡(山本浩司さん)と会い、義経を 引き渡すよう伝えますが、頼朝から聞いたとおり泰衡と藤原国衡(平山祐介さん)の 兄弟の仲は悪くて些細なことで言い争いが始まり、弟の藤原頼衡(川並淳一さん)が 兄たちの仲裁に入っていました。 平泉での義経は戦からはすっかり離れて農作業に精を出していました。 今の義経には逃亡中もずっと連れてきた比企の娘である妻の里と娘もいるのですが、 義時が静のことを話題にするとやはり気になり、静の話を聞きたがりました。 静はあれから北条時政の手勢につかまり、鎌倉に連行されて留め置かれていました。 静のおなかには義経の子がいて生まれた子が男子なら殺されてしまうので、御台所の 政子(小池栄子さん)は静に鎌倉を出て身の安全を図るよう言いました。 生き抜くために最初は自分を静御前ではないと偽っていた静でしたが、自分を見下す 道(堀内敬子さん)の言葉で意地と誇りが甦り、自ら静御前であると名乗りました。 (道は自分の姪・里が義経の妻として平泉で優雅に暮らしていると思っているのかな) 静は静御前である証として源頼朝の前で舞を披露することになりました。 急なことで鎌倉にはまだ楽士もいなかったので、義時は音曲をたしなんでいると聞いた 畠山重忠(中川大志さん)たちに集まってもらいました。 武芸とともに腕を磨いてきたという重忠は鐘を、武芸よりも鼓に命をかけてきたという 工藤祐経(坪倉由幸さん)は鼓を、そして静御前を間近で見るのが目的で来た三浦義村 (山本耕史さん)はふざけた発言で重忠に怒られていましたが、太鼓を担当しました。 (この回は全体に悲哀で重たいので、こういう華のある場面があるとホッとします) 自分が静御前と名乗り身支度も整えたものの、静にはまだ迷いがありました。 なので最初は義時に言われたようにわざと下手に舞って偽者のフリをしました。 しかし途中で「生きたければ黙っていろ」と義経に言われたことを思い出し、そのとき 静の中で迷いが溶け、なぜか生きるとは逆方向になる静御前の本気の舞を見せました。 政子はそれを「女子の覚悟」と、そして頼朝に「挙兵したときに自分も覚悟を決めた。 それと同じこと。」と言い、隣にいた大姫の心に「覚悟」という言葉が残りました。 その後、静は男子を出産、赤子はやはり殺され静は鎌倉を出て行方知れずに。 一連の話を聞いた義経は悲しみを紛らわせようと太刀を振っていたのですが、その姿を 義時は泰衡に「義経は鎌倉への憎しみが募っている。国衡と謀って挙兵するだろう」と 伝え、頼朝に盾つくつもりのない泰衡は狼狽しました。 どうしたらと問う泰衡に義時は「義経の首を鎌倉に。鎌倉が攻めてきたら平泉は滅亡。 藤原を自分の代で途絶えさせてもいいのか。」と言葉巧みに泰衡を動かそうとしました。 そしてその話を聞いていた頼衡が入ってきて兄・泰衡を諫め義時に太刀を向けたとき、 義時に同行していた善児が頼衡を殺害、義時は泰衡に義経を討つ挙兵をさせました。 兄・頼朝は自分に死んでほしいのだと察した義経は最後の戦の覚悟を決めました。 しかし里(三浦透子さん)にしたら、義経の妻になれば源氏一門として、比企能員の姪 として華やかな生活があると思っていたのに、静とは別れ自分だけ連れて行くと言った 義経に付いていった先にあったのは逃亡生活と畑仕事でした。 里も死を半ば覚悟したのかこれまでの不満を義経にぶちまけ、そして静の不幸を「いい 気味だ」と言い、さらに京で襲ってきた刺客は自分の手引きだと打ち明けました。 あの一件を兄・頼朝の策だと誤解したがためにその後の全てが狂い、さらに里の執拗な までの静への嫉妬で、カッとなった義経は里を自分の手で殺してしまいました。 平泉での役目を終えて鎌倉に戻ろうとすると義時の前に弁慶(佳久 創さん)が立ち ふさがり、義時を義経が潜むお堂に連れていきました。 泰衡の手勢が迫る中、義経はこの戦は兄・頼朝の策略で義時はその使いとわかっている、 この首で平泉が守れるなら本望だ、と義時に語りました。 そして弁慶に「世話になった」と別れの言葉を伝え、戦の場に送り出しました。 (木片をつないで防具の代わりとする弁慶の姿は、暗い悲哀の中でも和む場面です。 義経は仲のよかった国衡に古い甲冑を1領ぐらい譲ってもらうこともできたであろうに、 藤原家には一切甘えなかったのですね。) 「平泉に手をだしたら鎌倉が灰になるまで戦う」と言っていた義経は、実はその策を 平泉に来てから練りに練っていて、それを義時に伝えたかったのでした。 「まず北から攻める。そして北上川から船を出して南側の海から鎌倉を攻める。北に いた兵が慌てて南に向かったら追いかけて、全ての切通しを塞いで袋のネズミとする。 そして鎌倉の町に火を放つ。船団が入れるよう通り道の三浦は味方につけておく。」 義経は絵図面を広げながら喜々として戦法を義時に語り、義時も思わず感嘆しました。 義経はさらにこの戦法の仔細を文にしたためて用意し、それを鎌倉に届けるよう 義時に預けました。 平家との戦いで幾度も軍議をした梶原景時ならこの策の見事さをわかってくれるはず と期待を込めた義経のその顔には、どこか吹っ切れたものがありました。 お堂の外では弁慶が主・義経の自刃の時を稼ぐために必死で戦っていました。 弁慶の戦ぶりを板戸の隙間から笑って見ている義経の背中に義時は深く一礼し、文を 持って戦場を抜け、平泉を後にしました。 文治5年(1189)6月13日、鎌倉に義経の首が届けられました。 源 頼朝(大泉 洋さん)は首となった義経に「よう頑張ったなあ」とねぎらい「さあ、 話してくれ。どのようにして平家を討ち果たしたのか。」と語りかけました。 思い起こせば9年前の富士川の戦の後に、自分に会うために平泉を出て黄瀬川に駆け つけた義経が兄弟再会の喜びで嬉し泣きをしながら「兄上がいる。兄上だなあ。」と 叫んだあの日。 (第9回) そして6年前、木曽義仲を討つため出陣する義経が自分のところに挨拶に来て、 「戦から戻ったら語り尽くそうぞ。」「京でお待ちしています。」と互いに約束を したあの日。 (第14回) でも今、自分の前にいるのは、何を問うても物言わぬ首となった弟・義経でした。 武家の棟梁となったがために、可愛い弟に非情な決断をせざるを得なかった頼朝は 「九郎!」と義経の名を呼び、一人涙しながら首桶に詫びていました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 24, 2022 02:57:28 PM
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