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April 9, 2024
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カテゴリ:気になるTV番組
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。

1月にドラマがスタートしてから己の野望のために周囲を
グイグイと動かして、ついには望むものを手に入れた藤原
兼家(段田安則さん)がこの回で退場となりました。

特に父・兼家にいいように利用されてきた藤原道兼(玉置
玲央さん)が、後継者選びで兄・藤原道隆(井浦新さん)が
選ばれて、それだけでも十分ショックなのに、十数年前の
失態を盾に父から突き放されたときは、道兼が可哀そうと
思った視聴者が多かったのではないでしょうか。

ただ見方を変えると、これは兼家の主義というか、後継者を
道隆とするからには道兼を追い払っておかなければならない、
兄弟で手を取り合ってなんて綺麗ごとは考えない、これは
跡を継ぐ道隆の権力を盤石なものにするための、父としての
最後の大仕事、のようにも思えました。

父の愛が欲しくて、命じられるがまま汚れ役をやってきた、
栄誉が欲しくて娘を入内させようと妻子に無理強いをした、
そして自分に愛想づかしをして妻子は去り、全てが報われ
ないままに道兼の10年という時間が流れました。

ただ自暴自棄になっても、父の悪行をバラして一族全てが
滅びることをしなかったのは、まだマシだったでしょうか。

現代でも、自分のための努力じゃなく、誰かの愛を求めて、
誰かに認めてもらいたくて、誰かを振り向かせたくて、
必要以上に頑張ってしまったけど報われなかった人には、
道兼の姿が心に刺さったと思います。

まあそれでも、いかなる理由であれ、努力して手に入れた
ものは後で役にたつ、という『塞翁が馬』でもありますが。

こちらでは様々な意見がでていて参考になります。
 ⇒ ⇒  #光る君へ


永祚2年(990)父・藤原為時が無職になって4年、いよいよ生活に困ったまひろ
(吉高由里子さん)は以前から交流のあった左大臣家の源倫子にこの家での仕事を
紹介してもらえたのですが、ここはかつてまひろが愛した藤原道長が婿となっている
家なので、まひろは丁重に断り帰ろうとしました。
その時に帰宅した道長と廊下ですれ違うこととなり、まひろはとっさに顔を伏せて
礼をとり、道長もそのまま通り過ぎていきました。
道長本人がいて、まひろの耳に入る「北の方」や「お父上」の呼称、倫子たち家族の
光景は、まひろにはいたたまれないものでした。
しかし道長のほうも、思いがけない再会となったまひろに心が揺れ動いていて、妻の
倫子や娘の彰子のことにも心ここにあらずでした。



ところで病が重く死期を悟った摂政の藤原兼家(段田安則さん)は嫡妻を母にもつ
藤原道隆(井浦新さん)と藤原道兼(玉置玲央さん)と藤原道長(柄本佑さん)を
呼び、後継者のことや今後のことを伝えました。
兼家が絶大な権力を持つために、父・兼家の命のまま兄弟の誰よりも働いたと自負
する道兼は自分が必ず父の後継者となると信じていましたが、兼家が指名したのは
兄の道隆で、道兼は唖然としました。
父はさらに「人殺し(道兼は十数年前にまひろの母を自ら殺害した)に一族の長は
務まらん。大それた望みを抱くな。」とまで道兼に言い、下がれと命じました。
父のあまりの言葉に我慢ならなくなった道兼は、父こそ権力を持つために先先帝や
先帝に対して人に言えないことをやってきたのだと暴露し、「とっとと死ね!」と
暴言を吐いて退出していきました。
兼家は道隆と道長に「今より父はいない者として生きよ」と命じ、従者に支えられ
ながら力なく歩いて去っていきました。



一方、まひろの家では相変わらず困窮が続き、藤原為時(岸谷五朗さん)に仕える
いと(信川清順さん)が思いつめたように為時の前に来て暇願いを言いました。
とはいえいとは身寄りもなく、疫病で夫と生まれたばかりの子を亡くした後にこの
家に来て、嫡男の惟規の乳母となって惟規を我が子のように慈しんで育ててくれた、
為時にとっても大事な存在です。
良くも悪くも純粋で優し過ぎて殿としては頼りない為時だけど、「この家はお前の
家である。ここにおれ。」ーー為時の優しさにいとはただ泣き崩れていました。



さて、兼家には妾の藤原寧子(財前直見さん)と庶子の藤原道綱(上地雄輔さん)が
別宅にいるのですが、寧子は病床の兼家の耳元で「道綱」の名を連呼し、後継者の
道隆にも道綱をよろしくと、ささやき続けていました。
道綱は母を窘めますが、でもそれぐらいしておかないと兼家は道綱のことを忘れて
しまうかもと、心配でたまらなかったのでした。
すると兼家が目をあけ、寧子を見て微笑みながら絶え絶えの声で
『嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る』
と、寧子が『蜻蛉日記』に記した和歌を詠んだのでした。
「輝かしき日々であった。」ーー兼家は寧子と過ごした時間を懐かしんでいました。



しかし兼家を恨む源明子の執念は凄まじく、道長の妾となって道長の子(兼家の
孫)を宿す今になっても、兼家を密かに呪詛するのをやめませんでした。
その念ゆえか、ある夜中に兼家は何かに導かれるように庭に出て、そのまま絶命
してしまいました。
父・兼家のことが気にかかって夜明けに庭に出た道長は橋のたもとで父が倒れて
いるのを発見、しかし父はすでに息絶えていました。
冷たくなりかけた父の遺骸を道長は愛おしそうに抱き寄せ、涙ながらに「父上」
と幾度か呼びましたが、その声は兼家にはもう届かないものでした。



兼家の死から3日後、藤原宣孝(佐々木蔵之介さん)がまひろの家に来て兼家の
訃報を伝えました。
兼家によって職を解かれた為時でしたが兼家に仕えて窮状を救ってもらった時も
あり、為時はその死を悼んでいました。
また宣孝は、自分が筑前守として国司になり間もなく下向すると伝えました。
為時は兼家の死と親しくしている宣孝の下向で一抹の寂しさを感じ、一人静かに
涙していました。



兼家を呪詛してその願望を成就した源明子(瀧内公美さん)ですが、その無理が
祟ったのか道長との子を流産してしまいました。
(これは呪詛返しとかじゃなく、単に安静にしていけなきゃいけない時期に夜中に
起きて心身に過大なストレスをかけたせいだと思います。)
明子を見舞い優しい言葉をかけていたわる道長でしたが、明子のそばにずっといる
わけではなく、また参ると言ってすぐに退出していきました。



兼家の喪に服して都全体が静まりかえっている中、亡き父・兼家に裏切られて
激しく傷つき自暴自棄になっている道兼は、屋敷の中で昼間から酒をあおり遊女
まで呼んで一人遊興にふけっていました。
そんな夫の姿を見るに堪えなくなった妻の藤原繁子(山田キヌヲさん)は道兼に
離縁を申し出て、道兼がいずれ入内させるつもりでいた娘の尊子も連れて繁子は
道兼の元を去っていきました。
妻子が去った後の道兼の自堕落ぶりはますます酷くなり、また太政大臣だった
亡き父・藤原頼忠に言われて道兼の方についていた藤原公任も当てが外れたと、
これからは道隆に真剣に取り入らねばと考えを変えました。



摂政となった道隆は、まだ17歳の嫡男の藤原伊周(三浦翔平さん)を一足飛びに
蔵人頭に任命するなど、他の公卿たちの意向など全く気にせず次々と己が権力を
ふるっていきました。
また道隆は帝(一条天皇、妹の藤原詮子の子;柊木陽太くん)に娘の藤原定子
(高畑充希さん)を入内させ、定子も両親の期待通りに帝と仲睦まじくしている
ので、道隆の権勢はますます揺るぎないものになっていきました。
道隆の嫡妻の高階貴子(板谷由夏さん)は、伊周の位が上がったのだからそれに
ふさわしい姫に婿入りさせたいと考えていました。
そこで貴子は姫を見定めるために和歌の会を開くことにし、そのときに5年前の
漢詩の会で呼んだまひろとききょうも呼ぶことにしました。



和歌の会では、まひろとききょう(ファーストサマーウイカさん)は5年ぶりに
再会することとなり、2人は共に会での役割を果たしました。
後日ききょうはまひろの家を訪れ、その折に、あの和歌の会はつまらなかった、
集った姫たちはより良き婿を取ることしか考えていない、志もなく己を磨かず
日々をただ暮らしているだけの自分にとって一番嫌いな人たちだった、などと
本音をまひろにぶつけていました。
(ただね、志があって意思が強くて難しいことを考える女は扱いにくいから、
伊周の妻には和歌の会に集ったような姫たちを望むと思います。)
でもききょうは愚痴だけでなく、自分はいずれ宮中に女房として出仕して世の
中を広く知りたい、そのためには夫と子供と離れてもいい、己のために生きる
ことが他の人の役に立つような生き方がしたい、と将来の展望を語りました。
ききょうに志はあるのかと問われたまひろは、貧しくて文字を知らないが故に
不幸になる人を減らしたい、1人でも2人でも、と答えました。



自分の志を確認したまひろでしたが、その文字を教えているたねが急に来なく
なり、まひろは気になってたねの家を訪ねてみました。
するとたねは父に叱られながら農作業をしていて、まひろが声をかけると父の
たつじから「文字は要らない。余計なことをするな。」と文句を言われました。
一方で道長は、面倒だからと罪人を密かに殺めている検非違使庁を改革しようと、
何度も却下されながらも改革案を出していました。
道長は身分の低い者にもちゃんとした裁きをと望んでいるのですが、摂政で兄の
道隆は、権中納言の道長は下々のことを考えなくてよいと一喝しました。
そして帝に入内させた娘の定子を中宮にすると言い、円融院の遵子を皇后にして
定子を中宮にすると言いました。
道長が前例がないと反論すると「公卿たちを説得せよ。これは命令だ。」と強く
言い、多くの公卿が反対しても道隆は帝に「定子を中宮にする」と言わせました。
たとえ高い志があっても己に権力がなければ何も成し遂げられないのだと、この
時に道長は思い知るのでした。






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Last updated  April 9, 2024 02:34:16 PM


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