II.どんな祈りも答えて下さる神様「どんな祈りも答えて下さる神様」 Motoka Kanekoわたしはクリスチャンホームに生まれ、幼いころから教会学校に通っていました。 そこでは、毎回お祈りがされていました。そして、自分でもお祈りをするようになりましたが、 私の祈りはいつも「~して下さい」というものばかりでした。 いつのまにか、お祈りとは自分の願いを言う事というふうにしか思っていませんでした。 ですから、その願いどおりにならなければ、「祈りが答えられなかった。なんでですか」と怒る。 逆に、願いどおりなれば、「私の祈りは聞かれた」と喜ぶ。そのような者でした。 自己中心的な祈り、自分の将来の計画、ただ主の御心が成るように。主の御心に従います・・・・。 と言いながらも、自分の思いを何よりも1番にし、それを勝手に“神様の思い”“神様の御心”だと思い込む。 この連続でした。この世の、困った時の神頼みと何の変りもありませんでした。 どれだけ、神様を無視し、偽り、悲しませてきたか分かりません。 クリスチャンと言いながら、頭だけでイエス・キリストを知っているに過ぎない者でした。 しかし、こんな私にもイエス様は目を留めてくださり、滅びの道しか選べなかった私に、 救いの道を選べる道があるということを教えて下さいました。 私は小さい頃から皮膚が弱かったので、何度も「皮膚を癒して下さい。」と祈ってきました。 しかし、見える状況は全く変わらず、祈りは聞かれないと失望していました。 しかし、私の間違いだらけの祈りも、本当は違うという事を教えて下さいました。 神様はどんな祈りも“答えて”下さるお方なのです。また、祈った通りにならないというのも 祈りに答えて下さっている事だと知りました。 私は神様の奇跡ばかりを求め、自分が楽になることに関心を持っていました。 神様は簡単に奇跡をも起こせるお方です。しかし、私にもっと神様ご自身を求める事を願っておられ、 この病の中で主の最善を信じ、神様にお任せし、感謝する事を学んでほしかったのです。 どのような状況の中でも、神様は私にとって最善しかなさらないお方です。 「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」 (IIコリント12:9) と言って下さっています。また、いつも自分の祈りにイエス様を無理やり合わせるのではなく、 イエス様がゲッセマネの園で祈られたように「わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」 という祈りを模範にする者でありたいです。 自分がどうしようもないほどの罪人であるという事をもっと知り、 だからこそ素晴らしいイエス様の十字架の愛があるという事をもっと知って行きたいです。 このような私をも日々、訓練して下さっている主に感謝します。 「イエス・キリストにより、御前でみこころにかなうことを私たちのうちに行い、 あなたがたがみこころを行うことができるために、すべての良いことについて、 あなたがたを完全な者にしてくださいますように。 どうか、キリストに栄光が世々限りなくありますように。アーメン。」(ヘブル13:21) ジャンル別一覧
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