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Prayer Hills Church 滑川一麦教会

Prayer Hills Church 滑川一麦教会

☆12月

12/16「よくやった!良い忠実なしもべだ!」

「その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』」(マタイ25:21)

主人から1タラントをもらったしもべは、お金が自分のものになる事に価値があったのだと思います。地上に宝を積み上げるのが喜びだったのでしょう。しかし2タラントや5タラントを主人からもらったしもべはそうではありませんでした。主人に従う事、忠実である事に価値を持っていました。天国の価値観を持っていたのです。たくさんの仕事を任せられるのが喜びでした。「よくやった。良い忠実なしもべだ」と言われるのが何よりも喜びだったのです。しもべは自分で納得してからするのではありません。主人に言われたらすぐにするのです。自分が理解出来ても出来なくても、自分に信仰が来なくてもさほどの問題ではありません。誰から言われるのかが重要なのです。私達も主のしもべです。主から言われるなら、すぐに無条件で主に忠実にお従いできる者とさせていただきましょう。 




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12/9「行いと真実をもって兄弟を愛す」

「キリストは、私達のために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心をを閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう。子どもたちよ。私達は、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。」(ヨハネI3:16~18)

イエス様は私達を、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛されました。「キリストのためにいつでも死ねるものであれ!」「友のためにいつでも死ねるものであれ!」これがイエス様からのメッセージです。行いと真実をもって愛するとは、友のために死ねるアガペー(十字架)の愛で愛するという事です。アガペ-の愛で愛するなら、必ず行いが伴うのです。そのために聖霊様に支配していただかなければなりません。人間が持ち合わせている愛(フィレオー)には力はないのです。 




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12/2「わたしの主にある喜び、それはあなたです。」

「あなたがたを思う私の祈りは、いつも神様への賛美にあふれています。そして、私の心は喜びに満たされるのです。」(ピリピ1:3~4 リビング)

「こう考えるのも、きわめて当然です。あなたがたは、私にとって特別の存在なのですから。」(ピリピ1:7a リビング)

「私がキリスト・イエスのやさしさをもって、どんなにふかくあなたがたを愛し、慕っているのかをご存知なのは神様だけです。」(ピリピ1:8 リビング)

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは、御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠の命を持つためである。」(ヨハネ3:16)

全てのことにおいて、十字架の愛が優先されるべきです。神が私達を特別に条件なしで愛されている事が分かることが信仰の基本です。神の愛が本当にわかる時に、私達は友のために命を捨てて愛することができるのです。そして主はそんな私達を主御自身の喜びとしてくださるのです。感謝します。    




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