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Prayer Hills Church 滑川一麦教会

Prayer Hills Church 滑川一麦教会

☆7月

7/27 「毎日が楽しくなる!」


「私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。」 (詩篇16:8,9)

「あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。」 (詩篇16:11)

「主に購われた者たちは帰ってくる。彼らは喜び歌いながらシオンに入り、その頭にはとこしえの喜びをいただく。楽しみと喜びがついて来、悲しみと嘆きは逃げさる。」 (イザヤ35:10)

「見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない。だから、わたしの創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。」 (イザヤ65:17,18a)

この御言葉の言う「楽しみ」とは、「御霊の楽しみ」のことです。「御霊の楽しみ」は一時的な楽しみではなくて、天国へ続く楽しみなのです。

pansy



7/20 「神の御思いVS自分の思い」


「それから、ペテロとゼベダイの子ふたりとをいっしょに連れて行かれたが、イエスは悲しみもだえ始められた。そのとき、イエスは彼らに言われた。『わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、わたしといっしょに目をさましていなさい。』それから、イエスは少し進んで行ってひれ伏して祈って言われた。『わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。』」 (マタイ26:37~39)

イエス様は三度こう祈られらのです。子にこのように言われた父の思いはどうだったでしょう。子供に涙を流され「助けてほしい。」と言われ、どうだったでしょうか。父なる神はどれほどつらかったでしょう。「避ける事が出来るならそうしたい。しかし・・・。」このようだったでしょう。私達には自分の感情に権威を与えない訓練が必要です。感情が叫んでも、父の御旨を求める事を選び取る。このことが重要なのです。
pansy



7/13 「よくやった!よい忠実なしもべだ!」


「その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』」 (マタイ25:21)

「あなたがたもそのとおりです。自分に言いつけられたことをみな、してしまったら、『私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです。と 言いなさい。」(ルカ17:10)

5タラント、2タラントのしもべは、主人が喜ばれる事が自分の喜びでした。価値観でした。従順で忠実なしもべでした。しかし1タラントのしもべは、自分が他の人よりタラントが少なくてひがんでいたのか、どうせもうけても自分のものにはならないから意味がないと思ったのか、不従順で不忠実なしもべでした。主人の価値観より自分の価値観が重要でした。私達は天国の価値観を持ちたいものです。「よくやった。良い忠実なしもべだ。」と言われるのが何よりの喜びとなりたいものです。
pansy



7/6 「走り続けよう。」


「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまとわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。」 (ヘブル12:1)

「多くの証人たち」とは、走るべきコースを走りきった聖徒をいいます。また「いっさいの重荷とまとわりつく罪」の「いっさいの重荷」によって歩むスピードが落とされ、「まとわりつく罪」によって後ろに引き戻そうとされるのです。ここに見張りを置かなければなりません。チェックが必要です。そして、私達の前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けましょう。「いっさいの重荷」とは背負わなくてもよい重荷です。それを背負うと無理が来るのです。また「まとわりつく罪」によって信仰がだんだん弱くなります。ですからいつも悔い改めが重要です。どんな小さい罪でも「このくらい大丈夫。」というようになると赤信号です。本当のことを言うと、罪に大小はないのです。罪からくる報酬は死なのです。

pansy


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