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Prayer Hills Church 滑川一麦教会

Prayer Hills Church 滑川一麦教会

☆9月

9/26「私は罪人のかしらです」


「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。」(第一テモテ1:15,16)


イエス様を十字架につけたのは誰でしょうか?ローマ兵でしょうか?実際はそうでしょうが、本当のところは違うのです。実はイエス様を十字架につけたのは私なのです。あなたなのです。あなたはどう思われますか?「私はイエス・キリストを十字架につけてはいませんよ。私とそのことは関係ありません。」と言いますか?しかし、それは違うのです、イエス様は私たち一人一人の罪のために身代わりとなって十字架で死んでくださったのです。私たちが罪からくる報酬である死を受けることにならないように、罪のないお方が私たちの代わりに代価を払われたのです。あなたはその事を信じますか?その事を心から信じるなら、あなたは救われます。罪から救われるのです。罪の重荷は重すぎて、私たちには背負うことが出来ないのです。

pansy



9/19「われさえ愛したもう 神は愛なり」


「愛はきわめて忍耐強く、親切です。愛は決してねたみません。また、決して自慢せず、高慢になりません。決して思い上がらず、自分の利益を求めず、無礼はふるまいをしません。愛は自分のやり方を押し通そうとはしません。また、いらいらせず、腹を立てません。人に恨みをいだかず、人から悪いことをされても、気にしません。決して不正を喜ばず、真理が勝つ時は、いつも喜びます。愛は永遠に続きます。」
(第一コリント13:4~8a リビング)


 私たちは生きている限り人との関係があります。人から離れては生きていけません。そのような中で、多くの人は本当の自分を見せずに演ずるものです。本当の自分を見せたら、人に嫌われ、人間関係が成り立たないと考えるからです。しかし、私たちを創られた神はそのようなお方ではりません。私たちは神の前で演ずる必要がないのです。たとえ演じたとしても、ごまかすことが出来ないのです。神の目には全てが明らかです。その上で、私たちを嫌にならず、愛し続けて下さるのです。神は愛です。私たちが滅びず、永遠の祝福の道を歩めるように、一人子イエス・キリストが十字架で私たちの罪を全て背負い死んで下さったのです。私たちはそのことを心から信じましょう。

pansy




9/12「大物がついに来た!」


「すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。『まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。』」(マルコ12:43、44)


 この貧しいやもめは、もっている全てのお金をささげました。このことをイエス様は喜ばれました。神は金額を見られるのではなくて、その心を見られます。どれだけ神を愛しているのかを見られるのです。神を愛するとは、神の律法を守ることです。神を愛するとは、心から喜んで全てをささげることです。そして、これが僕としての生き方なのです。上記の御言葉の前のところで、律法学者がこのようにイエス様に聞きました。「すべての命令の中でどれが一番大切ですか?」この問いに対してイエス様はこのように答えられました。「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」そして「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」全てを尽くして神を愛するとは、喜んで全てを捧げることです。この貧しいやもめの生き方なのです。私たちもそのように生きましょう。

pansy



9/5「主イエス・キリスト様の前に出る準備」



「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」
(第一テサロニケ5:16~18)


 天国を想い、いつも喜び、天国を想い絶えず祈り、天国を想い、すべての事について感謝する。私たちの本来の国籍は天にあります。ですから、地上の生涯は、リハーサル、テスト、講習、訓練、けいこ、一時であり、全てが預かり物なのです。全てが神のものす。この地上における価値観は天の価値観とは全く違います。この地上の宝物は、お金、名声、名誉等です。しかし天の宝は主そのものです。全ての価値観は主にあります。天の価値観は、信仰、希望、愛、この中でも最も大切なのは愛です。愛とは神のことなのです。神がすべてであり、私たちはその神のために存在しています。神の栄光を現すために存在しています。この事に価値があるのです。私たちはやがて、もうすぐイエス・キリスト様に前に出ます。「よくやった、良い忠実な僕よ!」と言っていただけるように、全力でこの地上の生涯を歩みましょう。上記の御言葉を握りしめて、前進しましょう。主は私たちと共におられるのです。信じます。

pansy


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