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2007/12/20
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カテゴリ:歴史

今年の夏に、三内丸山遺跡を訪ねました。

この遺跡は、5000年前のものとされていますが

実は7000年前のものであり

多量の土器・漆塗りの容器・櫛・編み物・編布

などが出土しています。

食料も豊富で酒造も盛んだったようです。

遠洋航海による広範囲の交易活動が盛んだったことが一番印象深いことでした。

新潟県産のヒスイ、北海道や信州産・佐渡ヶ島産の黒曜石、岩手県産のコハクなど

遠隔地から持ち込まれた貴重品が多数出土しています。

オロッコ人の交易従事者たちは、糸魚川の港から(陸奥湾内)三内丸山の最寄の港まで

対馬海流に乗って10日ほどで到着したといいます。帰路は1ヵ月ほどかかったそうです。

この航海に使われたのは約9メートルの丸木舟で、それを横に2艘つないで帆を張り

舵をつけて運行していたようです。これはエジプト文明より遙か以前の文化でした。

8000年前に、アナトリアで黒曜石を探していた人々が東端に流れてきたのでしょうか?

糸魚川文化圏からはヒスイの原石や加工品、黒曜石などを運び、帰りにはサケ・コンブ

毛皮などを持ち帰ったということ。三内丸山遺跡で使用した黒曜石は、和田峠や

霧が峰(八ヶ岳連峰)および佐渡ヶ島などからもたらされました。

大型掘立柱建物の6本柱は3本づつ2列に並んでいて、北東から南西方向へ軸線を

そろえながら並行しています。これが『夏至の日の出』『冬至の日没』を見るラインに

なっていることから太陽の運行や天文・季節の基準を知る施設の役割を持っていたと

思われます。柱間の距離が4.2メートルで35センチの倍数になっていて、当時すでに

縄文尺があったようで、35センチが1尺でした。これらの巨木技術は造船材として

大いに活用され、日本列島と海外を結ぶ遠洋航海を可能にし、このような先史文明は

海人族(プロト・フェニキア人=エブス人)の存在抜きには考えられませんでした。






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最終更新日  2007/12/20 05:55:45 PM
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