テーマ:日本人のルーツ(527)
カテゴリ:歴史
邪馬壱国とは日向の安羅国と熊本の多婆羅国の連合体でした。 イワレヒコ(神武)の伊都国は、後に子孫・依羅によって多婆羅国と連合して百済国を建てました。 百済とは、ク・タラ(多羅)のことであって、奈良県百済郡百済村字百済では、クダラという時 クを弱く発声し、ほとんどタラとだけ聴こえるそうです。 また卑弥呼の安羅国は後に【隋書】に登場するアマタリシヒコの倭国になりました。 さて、【百済本紀】では仇首(神武)の在位は214~234年であり、【魏志】は、239年に 卑弥呼が魏に朝貢したと記しています。公孫氏は、238年に魏によって滅ぼされています お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008/03/04 09:37:40 AM
[歴史] カテゴリの最新記事
|
|