テーマ:日本人のルーツ(527)
カテゴリ:歴史
継体天皇即位の頃、突如台頭してきた 蘇我氏は、どこからきたのでしょう? この時期が、日本にとって一つの大きな 転機だったように感じます。
蘇我氏は、北方の草原の道を駆け抜けた騎馬遊牧民族だったようです。 彼らの名残りは今も草原上に十数基の積石群と鹿石塚からなっている遺跡となっています。 鹿石とは、ほぼ全面に鹿の図像が浅く彫り込まれている石柱のことです。 鹿は遊牧騎馬民族スキタイ・サカ族のトーテムです。 北にある泉と川と草原の大道は セミレチアを中心にして東はイシククル湖、ジュンガリア、モンゴル高原 アムール川から日本海岸に至り具体的に日本まで繋がっていて 西はカザフスタン西部草原を経てコーカサスからメソポタミアあるいは 黒海沿岸からドナウ川に至る美しい緑の草原が広がっていました。 蘇我氏もスメラミコト(天皇)も、白鳥とともに北のシルクロードを通ってユーラシア 草原から日本に「降臨」したと考えられます。 日本に突如生まれた巨大古墳の文化はユーラシア草原のイリからバインブルク草原 へ入っていく道筋やセミレチアにあるサカおよび烏孫の巨大クルガン(巨大盛り土墓)群 と繋がるものです。前方後円墳と巨大クルガンはシリウス信仰の「聖方位」・・・正面の 方位を真北から西に20度傾ける)がベースになっている共通項が確認されています。 天皇家の繁栄を願う唱えの語として「スメラミコトヤサカ」がありますが 八サカ・・・サカ族 八坂神社・・・サカ族のトーテム鹿・・・メソポタミアに由来する 八のシンポリズム(八穂の功徳など)八王子伝説、八岐大蛇・・・ ミコトは、スメラより古くから聖なる人を指す古語でした。 スメラの語源は宇宙をあらわす蘇迷慮(スメールsumeruなまってsing-mier須弥) ミコト(命)の上に「スメラ」をつけ、漢字に当てるときはじめて【天】をつけた、天は 北ユーラシアの遊牧世界で【テン】であった、天山山脈の天のまた遊牧民の世界思想 での宇宙であるから天からきています。 この天が太陽によって象徴され、太陽がシリウスによって補佐される時 冬至夏至の出日没のシンボリズムは一年をシリウスの運行によって測る シンボリズムに替わっていき、やがてシリウスは全宇宙を代表するものとして 星辰信仰全般に取って代わられていきました。これが日本に於いて縄文時代 の太陽のネットワークが北ユーラシアから渡来した渡来人、それを取りまとめる 大王、蘇我一族によってシリウスの聖方位に替わられていったと考えられます。 この「最新」の渡来王族蘇我氏が5世紀末にいたる最新の北ユーラシアの政治や 宗教(ミトラ)の具体的知識を持って外交も内政も執り行おうとしたと思われます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008/03/16 10:51:27 AM
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