~スイスは中立国として宣言する以前から中立的な立場にあったが、生活のために他国で戦う傭兵が相当数いた。 傭兵とは、金で雇われて戦争をするのである。 戦争は理念や理想を守るため、あるいは愛国心からやむを得ず戦争に赴くこともある。 しかしスイス人は、伝統的に金のために戦争に参加し続けてきた。 剛胆な山の民であるスイス傭兵は、ヨーロッパ最強の軍団の誉れを得た。 その敢闘精神の表れは、ルツェルンの瀕死のライオン像にある。 1792年、フランス革命勃発。 パリのチュイルリー宮殿で、民衆に襲撃されたルイ16世とマリー・アントワネット王妃を警護するために、身を挺して玉砕した786人ものスイス傭兵。 スイス傭兵は、雇い主に忠誠を捧げるのだ。 傭兵は国の外で戦うことにより、国内への外敵侵入を防ぐ。 つまり、金を稼ぎながら自国の永世中立を守ってきたのである。 不思議だが、巧妙な国防理念だといえる。~ ~戦死したスイス傭兵を、心臓を矢で貫かれた瀕死のライオンになぞらえて、1821年に慰霊碑が完成。 勇敢な彼らを讃えるとともに、戦争の悲惨さを伝えてくれる。 これは、天然の岩に刻み込んだもの。 作家マーク・トウェインは"世界で最も悲惨で心打たれる岩塊"と記している。~ 以上、「るるぶ ワールドガイド スイス」より この悲しいモニュメントに足を運んだのは、スイス到着後の一夜が明けてすぐでした。 キラキラ輝く湖畔を歩き、空に向かって伸びる2本の鋭い尖塔が印象的な"ホーフ教会"を横目に少し坂を登ります。 ライオン記念碑のある広場入り口で、一人の男性がカメラ片手に誰かを待っていました。 一人旅をする私も、通りすがりの人に写真をお願いすることがよくあります。 きっと彼も同じように写真を撮ってもらいたいんだろうな、と思いました。 「私がシャッターを押しましょうか?」 彼は待っていましたと言わんばかりに、笑顔で大きく頷きます。 一枚、ライオン像を背景に写真を撮ってあげました。 すると、彼も私の写真を撮ってくれると言います。 こういうことは よくある話ですので、私もお願いしました。 「もっとライオン像に近づいて写真を撮ろう」、と彼は言います。 その時、ライオン像の前にある小さな池の周りにはアジア系の団体さんでいっぱいでした。 一人旅だと思っていた彼は、その観光客の一員だったのです。 台湾から来たのだそう。 池の手前に立ち、パシャリ。 またも交代してシャッターを切ります。 次に、「一緒に並んで写ろうよ」ということで、彼の友達にお願いをし、仲良く並んで一枚に納まりました。 すると、そのお友達も私と一緒に写ると言い出します。 又もライオン像をバックに、もう一人の台湾男性と並んで写真に入りました。 なんだか有名人の気分?! 訳の分からないまま、パシャリ、パシャリと台湾人のカメラに納まった私。??? 彼らはとっても気さくで、そして不思議な人達でした。 おかげでスイス傭兵の死を悼むモニュメントを前にしても、少しも悲しくありませんでした。 ライオン像よりも彼らの濃い顔の方が記憶に鮮明に残っています。 私は予習をせずに旅行に出ることが多い中、ルツェルンだけはウルスの故郷だと"しっかり"下調べをして行きました。 スイス兵の忠誠心に胸打たれるはずでした。 なのにぃ~・・・(^_^)です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.04.20 06:20:21
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