カテゴリ:旅行記 韓国2 '08.5月
その代表が、『西大門刑務所歴史館』。 地下鉄3号線"独立門駅"を出るとすぐ、駅構内にも案内があります。【'08.05.05】 5/5は韓国でも"子供の日"の祝日でしたので、通常月曜日が休館のこの場所も見学することができました。 「独立記念館」と同じく大勢の家族連れで賑わっていました。 「西大門刑務所歴史館」は、1908年に"京城(けいじょう)監獄"として始まった韓国で最初の刑務所跡です。 日本に対して抗日(独立)運動を行う韓国人を捕まえて監禁・拷問・そして処刑する為の場所。 一度ここに入れられたら、生きて出てくることはできなかったと言われています。 一昨日('08.05.19日記)にも紹介した、韓国のジャンヌダルクとも呼ばれる"柳寛順"さんもここに収容され、命を落としました。 私にとってこの刑務所跡は、あの独立記念館よりも、そして広島の平和記念資料館よりも辛く厳しい場所でした。 けれど、100年も経たない歴史の中、日本が隣国にしてきた事実を知る上で、一度足を運んでみる意味はあると思います。 ここでも日本人観光客の姿は、私を除くと一グループのみ。 この歴史館には、当時の拘禁室・拷問室・地下監獄・死刑場などが残されています。 拷問の様子は、等身大に近いリアルなロウ人形で再現され、何度も繰り返される録音による悲鳴が耳に残ります。 非情な態度の日本人と、もがき苦しむの韓国人。 当時、日帝が韓国を強制的に侵略しながら公に流布させた言葉の一つが、「朝鮮人と干し魚はたたいてやらなければならない」との侮辱的な暴言だったのだそう。 「朝鮮人は日本の法規に服従するか、死ぬかどちらかを選択せよ」 その臨時拘禁室に書かれた言葉、「独立を叫びながら死んでも、お前らには屈服しない」が強く胸に突き刺さります。 説明には拷問の様子がこう書かれています。 "日帝が韓国の男女愛国烈士達を捕まえて棒で殴るのは基本だった。 逆さまに吊り下げ、鼻や口にトウガラシ水を入れたり、手足を縛って全身を熱い鏝で焼き、また電気拷問や言葉では言い表せないほど残酷な方法で容赦なく性拷問を行った。" 日本人は誇り高い素晴らしい民族だと私は思います。 けれど悲しいかな、この行いも同じ日本人の歴史なのですよね。 ここにも「拷問体験の場」として、"壁棺"があります。 この壁棺とは、人一人が立って入るだけの大きさに作られた拷問用の独房で、2、3日監禁されると全身が麻痺するというもの。 内部には電気拷問器具までも設置されていたそうです。 監獄は、衛生面も食糧配給状態の面でも獣の檻と等しく、多くの投獄者達は飢え死にしました。 投獄される数もこの収容人数を大きく越え、1/3づつの交代で横になっていたといいます。 そんな投獄者達の悲痛な叫びがこだまする敷地内の一角に、ひっそりと建っている木造の建物があります。 それが投獄された愛国烈士達の絞首刑場でした。 内部には入れませんが、建物は開放されています。 開閉式床の上には死刑囚が座った椅子がそのまま置かれ、その目の前には太く無気味に垂れ下がった一本の縄の輪。 死刑執行人が使った長椅子もありました。 そして、地下には処刑された遺体を刑務所外にある共同墓地に捨てる為の秘密通路が伸びていました。 ここだけはその時のまま時間が止まっているかのように、ただただ静かなのです。 死刑場の入り口に今も空高く聳え立つ1本のポプラの木。 それは、死刑場に入る死刑囚達がこの木に向けてしばし慟哭したと言われています。 そして、塀の内側にあるポプラの木は、死刑囚の恨みであまり育たなかった話も伝えられているそうです。 私は言葉を失い、この場を立ち去りました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.11.19 22:20:50
[旅行記 韓国2 '08.5月] カテゴリの最新記事
|
|