さて、アウグスブルク中央駅から南東へ2km、マクシミリアン通りを南に行くと『聖ウルリヒ&アフラ教会』があります。
1555年、ルター派の信仰が認められた「アウグスブルクの宗教和議」を記念してつくられました。 これは、カトリックとプロテスタントの異宗派の教会が同居するという、世界でも非常に珍しい教会です。 * * * 参考までに、、 「聖ウルリヒ」とは、10世紀のアウグスブルク司教です。 当時、キリスト教徒は金曜日の夜に肉を食べることを禁じられていました。 ある木曜日の夜、友人の司教と一緒にウルリッヒ司教は肉を食べました。 次の日、彼に会いにきたバイエルン大公の使者に、「帰途の途中に食べるがいい」とその肉の残りを与えます。 大公にウルリッヒ司教を悪く吹き込もうと企んだ使者は、「司教は金曜の夜に肉を食べていました」と与えられた肉を証拠として差し出しました。 ところが、その肉がいつのまにか魚に変わっていたという逸話が残されています。 また、304年に殉教した「聖アフラ」は、もとは娼婦でした。 キリスト教迫害の為に追放されたスペインのへローナの司教が、アウグスブルクの彼女の母の家に泊まった時に改心しました。 そして、過去の罪を償い、どのような苦しみも甘んじて忍びました。 ある日、キリスト教信者であることを訴えられたアフラは、異教徒の裁判官にローマの神々に犠牲を捧げるよう命じられます。 「私の体は罪に汚れていますから、苦しんでもかまいません。しかし、偶像を拝んで私の心を汚すことはできません」と信仰を守り通し、火刑に処せられました。 『聖ウルリヒ&アフラ教会』には、その「聖ウルリヒ」と「聖アフラ」の墓所があります。 * * * * * * * 「アウグスブルクの宗教和議」で宗教紛争は平静が保たれたかのように見えましたが、、、 この和議は、諸侯と都市に信仰の自由を認めたもので、個人の信仰の自由が認められたわけではありませんでした。 住民は支配者が選択した宗派を選ばなければならなかったのです。 その後も続く宗教戦争。 今では当り前の個人による信仰の自由、、これを得るまでには長い年月と多くの血が流されたのですねぇ。。。 「宗教改革の街・アウグスブルク」は、思う以上に重い歴史を抱えているようです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.11.23 22:26:21
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