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野球パパ3147の日記 [全3件]
練習から帰ってきた長男が 「悔しい!」と言って 私のところに来ました。 どうも話を聞いてみると、 同じチームでピッチャーをしている同級生のY君が、ものすごく速い球を 投げるようになって、コーチに褒められたそうなんです。 Y君と言えば、一応ピッチャーですが、長男よりも身長も低く、細身で、 ボールスピードもあまりなかったと記憶してます。 そのY君が、昨日の練習で、今までにはありえないスピードの ボールを投げたというのです。 息子がY君に聞いたところ、 「1か月くらい前にお父さんがインターネットで買ったDVDを見て 練習したら、速いボールが投げられるようになった」そうなんです。 よく聞いて調べてみたら、このDVDのようです。 「選手がグングン成長する奇跡の投手育成法」 もと、社会人野球ピッチャーが作ったDVDだそうですが、 こんなDVDでほんとに速い球が投げられるようになるのでしょうか? かなり疑問なのですが、 ホームページにもたくさんの「喜びの声」が届いているし・・・ 疑問も多いですが、内容にもとても興味あるので、 ママと相談して買おうかと思ってます。 今なら少し安い値段になっているようなので、 ママの説得に使おうと思います。
私の好きな選手は「定岡正二」です。 こう答えると、10人中8人は笑います。 (ほっといてください!) 引退後、芸能界で「トンネルズ」にいじられるようになり、 すっかり3枚目キャラクターになってしまったからでしょう。 でも、 彼は巨人軍にドラフト1位で入団した男であり、1983年には巨人をリーグ優勝に導いた男なんです。 あの優勝の瞬間を私は忘れません。 感動しました。 真摯に野球に取り組みながら、なおかつTVではバカになれる男はあまりいません。 以下に「定岡正二」の紹介を載せます。 興味のある方だけ読んでくださいね。 定岡正二 鹿児島実高在学中、2年生と3年生の夏にそれぞれ全国高等学校野球選手権大会に出場。 2年生の時は日本大学山形高等学校相手に代打でわずか1打席の出場にとどまったが、3年生になるとエースとして鹿児島県勢初のベスト4進出を果たす。 準々決勝では原辰徳が在籍していた東海大学付属相模高校との延長15回にわたる熱戦を勝ち抜いた。 準決勝の防府商業高校戦では、3回に右の手首を負傷。交代を余儀なくされた上チームはサヨナラ負けを喫する。 その悲劇性と甘いマスク、高い実力が相まって女子中高生から絶大な人気を得る。 1974年のドラフト会議で読売ジャイアンツから1位指名を受け入団。 入団後は2軍暮らしが続いたが1980年にプロ入り初勝利を挙げて頭角を現し、1982年には15勝をあげ、同年代の江川卓や西本聖とともに3本柱として活躍する。 決め球のスライダーは現在でいうカットボールであったという。1983年も7勝をあげ2度のリーグ優勝に貢献するが、この年以降成績を落とす。 槙原寛己や斎藤雅樹の台頭もあって1985年オフにトレード要員となり、ベテラン捕手有田修三との交換トレードで近鉄バファローズへの移籍が発表されるが、移籍を拒否し突然の現役引退を表明。 29歳の若さでプロ野球界から引退した。 この時の相談を野球関係者ではなく友人のデザイナーなど業界人に相談し、「巨人のまま辞めた方がいい」とのアドバイスを受けたという。 温厚なやさしい性格であり、バラエティ進出もその人柄が好まれたのも一因である。 西本が沢村賞を獲得しながら、手放しでは誰も祝福してくれなかった中、定岡だけは祝福してくれたと西本は語っている。 1年目には自主トレが行われた多摩川グラウンドに2万人の観衆を集めたほどの人気ぶりであった。 当時趣味は「ハンカチ集め」と答えていた。王貞治の「日本刀で吊るした紙を切る稽古」をやらされた所、一発で切ってしまい王を困惑させたこともある。 現役引退後1986年には、アイク生原の紹介で、ドジャースのキャンプに打撃投手として参加している。 1986年からTBSのスポーツキャスターに転向。 引退会見では、「芸能界には入らない」と言い切っていたというものの、やがてイザワオフィス所属のタレントとしても活躍。 日本テレビ系列のコメディ「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」で『おちゃのこさいさい』と言う所を『へなちょこさいさい』と言い間違えたことから「へなちょこサダ」と命名され準レギュラー出演したことが契機となり、その頃からテレビ出演や著名人との対談など、タレント活動がメインとなる。 「クイズダービー」や「マジカル頭脳パワー!!」等のクイズバラエティー番組に出演すると、必ずとんちんかんなことを言ったり、理解に苦しむような的外れな解答などを担当するため「脳が筋肉」と揶揄されている。 この頃、『サダ』というニックネームが浸透してきた為、街を歩いていると、見知らぬ小学生くらいの子供達に「サダーっ!」と呼び捨てにされるようになり、困っていたと後に発言している。 46歳の時、筋肉番付のストラックアウトで冗談を言いながら投球、パーフェクトクリアし、制球力は衰えていない事を証明している。兄の定岡智秋もこのストラックアウトで9枚中7枚という成績を収めている。 いまだに独身であり、結婚歴もなし。 同性愛者説もささやかれている。本人は女性に対してシャイだからと言っているが、弟の定岡徹久は「何度も兄貴のデートにカモフラージュで同伴させられた」といっている。 親友の角盈男は「サダは見つからないようにデートするのが上手い」と言っている。 浅野ゆう子がみのもんたに昔定岡と交際していたことを番組内でばらされた。 2005年、出身地である鹿児島県のアマチュア野球チーム「鹿児島ホワイトウェーブ」の監督に就任。 8月16日には鹿児島の県立鴨池球場でタレントの萩本欽一が監督を務めるアマチュア野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」との試合を行い初采配を白星で飾った。 定岡は鹿児島ホワイトウェーブの総監督に同郷の先輩で萩本のコント55号時代の相方坂上二郎を招聘することも視野に入れており、2006年5月6日に鹿児島ホワイトウェーブの総監督・坂上二郎は実現した。5月7日に県立鴨池球場でゴールデンゴールズと試合を行い「コント55号対決」が実現しスポーツ紙などでも報じられた。 2006年、鹿児島県内で2チーム目となる社会人野球チーム、硬式野球倶楽部「薩摩」を誕生させるべく5月28日に部員セレクションを行った。 同チームの監督にも就任し、鹿児島県内でははじめてのレディース部も併設する。今後は茨城ゴールデンゴールズの姉妹球団宮崎ゴールデンゴールズや大分ソーリンズなどとともに、九州に新しいリーグ組織を設立する予定。 8月15日、読売ジャイアンツから自由契約選手の公示を受けている。 理由は「アマチュア野球指導者となるため」となっており、引退時に「任意引退」扱いだったことで現在のアマチュア野球指導者として活動することへの支障を取り除くためのものである。 現在でもTBSラジオ エキサイトベースボール等で野球解説も行っている。 生ダラが終了した頃からバラエティ番組への出演頻度が減っており、最近は解説や前述した指導者の仕事に重きを置いている。 一番最近では2007年のFNSの日に鹿児島テレビからのプレゼンターとしてバラエティ番組にゲスト出演した。 (以上 wikipediaより)
はじめまして 野球パパです。 生まれは東京(23区ではない)で、現在は神奈川県横浜市在住です。 子供のころ、運動神経は良いほうではなかったですが、 小1から地元の少年野球チームに入りました。 4年間続けましたが、あまり楽しさを感じず退会し、 その後はマラソンをしてました。 26歳で結婚し、男の子2人のパパになりました。 2人の息子も今では小学生です。 (私の年齢もバレますね・・・) 学校の友達や近所の友達のほとんどはサッカーをやっているのですが、 なぜか私の息子2人は 「サッカーはきらい」 「男は野球だ!」 と言い張って2人とも野球を続けています。 2人が幼稚園の頃、毎日のように「巨人の星」を見ていたからかもしれません? でも、何か一つのことに思い入れるのは良いことなので、 私は2人を100%応援してます。 週末は2人とも地域の少年野球チームの練習に行きますが、 帰ってきてから、「キャッチボール」か「バッティングセンター」の どちらかに必ず行きます。 2人ともピッチャーですが、結構センスがあるんですよ。 初めてのブログなのでこの辺にしておきます。 ではまた・・・ |一覧|Recommend Item
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