|
カテゴリ:本日のひとりごと
過度な期待はやめようと覚悟していても、まだこんなにも怒りがこみ上げる。歯がみして悔しさにのたうちまわる。
それほどにまだ期待をだき、愛していたのだ。そう思いしらされる。 それが最初にこみあげた感情。 2回め、3回め、…。 だんだんと怒りの潮はひいていく。 聴くたびに印象はかわり、メロディの美しさ、その魅力が見え始める。 それを愛することができると感じ始める。 『EYE TO EYE』、『MOMENT OF GLORY』、『ACOUSTICA』、そして今回の新譜『HUMANITY;HOUR1』。 ここ十年間で頭かかえるのが4回めとなりゃあ、こりゃあもう私のサソリ新譜との恒例行事だよ。(笑) 『MOMENT OF GLORY』のようなオーケストラとの共演や『ACOUSTICA』の編成のアコースティックライブは人気が高く、それをこよなく愛する人は多い。けれど、それは蠍団の新しい面を愛するファンのためのものであって、そこには私の場所はない。 曲のアレンジやライブのタイム感が、あまりに違うからだ。 いいかげんファンとは名乗れないかもなあ、と思ったりもするのさ。(^^;) 私にとって、蠍団は強靭に骨太なヘヴィロックバンドだ。飾られた音が削ぎ落とされ、曲の骨格そのものが現れる、生々しく荒々しいライブの音。それこそが私の愛する姿なんだ。 最初の激しい怒りに『EYE TO EYE』を思い出した。 あの時、私は古い蠍団ファンの友に「私らの知ってる蠍団と思って聴くな。クラウスのソロアルバムとでも思って聴くといいよ。声のとり方は最高にキレイだから…」と言ったんだ。←ヒドいファンだよなあ(^^;) 今回も同じ言葉を友に言うよ。 とても今風にモダーンな音もぶち込まれた、ヴォーカル・オリエンティッドなアルバムだ。 ダークでヘヴィな雰囲気のリフもある。メロウなソロ、マティアスらしい狂おしいようなソロもある。けれど、音が詰め込まれすぎ、磨かれすぎて、もっとリフやソロの荒々しいエッジやスリルを味合わせてほしいと願ってしまう。蠍団らしい哀切さを、もっとたっぷり味あわせてほしいと願ってしまう。 楽曲は悪くない。 ややタメが少ない印象はあるが、メロディは気がつけば心にしみこんでいる。 ライブで曲の生の姿が現れる日が楽しみだ。 最も私を激怒させたのは楽曲ではなく、ブックレットなんだけどね。 インフォメーションや完全な歌詞はオフィシャルサイトに置いてある、だとっ。うげえっ、接続環境がないファンはどうすんねん。 歌詞カードついてないアルバムはひさしぶりだよ。(--;) ブサイクなおねーちゃんをCGでアンドロイド風にされても、あーもう、官能のカケラもねえってば。仕上がりはやすっぽいわ、センスがなさすぎるっ! 私は、SF大好きなサイファイだ。だからこそ我慢できないんだ。 ああっ、ちくしょうめ。もっと妖しく官能的な絵の作れる作家たちを教えてやりたいくらいだよ。 私が愛した蠍団は、ゴットフリート・ヘルンバインのイラストやヘルムート・ニュートンの写真、ヒップノシスのデザインがジャケットをかざり、あまりの過激さに何度もアルバムジャケットの差し替えをくらった、過激に妖しく官能的なバンドなんだ! それが…なにより口惜しいっ! 目もくらむような怒りにかられて、ブックレットを手にとるたびカンシャク爆発だわよ。 この怒りがおさまるには、時間かかるわなあ。 その頃にはもう少し、曲を深く味わうこともできるようになってるんだろうなあ。(^^;) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|