|
カテゴリ:劇評
現在形の批評 #4(舞台)
・尼崎ロマンポルノ『ワルツの女』 8月14日 in→dependent theatre 2nd マチネ 旗揚げ2作目。前回公演『演廓の中、男子の悲しみ』に比べ、やりたいことが伝わってきた作品。 宗教も家族も依存し合ってる点では息苦しさは禁じえない点で同義だ。そのより所である教祖=親が壊れてしまったら従う者(信者・子供)は迷走する。 宗教も家族も所詮は小さなコミュニティでしかない。小共同体だからこそ阿吽の呼吸が成立する。しかし、そこに含意するのは、自分のことは今更言わなくても分かってくれているという自明を基に接することで呼び込んでしまう悲劇である。 自立自立と急き立てる家族の求めにうまく応じれず失敗した者の駆け込み寺としての宗教は、結局包容してくれる存在を求めることに落ち着いてしまうからこそ二律背反になるのだ。 その事を父と姉、ラジオ編成局員とDJがそれぞれ家族、所属する宗教について話す台詞をオーバーラップさせたシーンに如実に表れている。 全体は笑いで引っ張る舞台だが、「どや!」と言わんばかりの演技が多くわざとらしく見える。力を抜いてギャグでないと思わせるギャグ、つまり関係性のどうしようもない所の笑いをやってもらいたい。観客の間を掴まない限り笑いが発生しない芸人コントのような押し付けがましいギャグよりも、まずは関係性の笑いを軸にした正当を目指すことで、主題が孕むグロさも強調されてくるはずだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Apr 11, 2009 02:53:35 PM
|