他人を気にしすぎる自分
ここ数日間私は他人が自分をどうみているのか、そのことにかなり気を取られていました。私の一言や行動、挙げ句の果てにブログを書くときまで、読んだ人はどう思うだろうと気になる始末。しかもその最中はまったく楽しくありません。相手がこんな反応を返すだろうと予測した上で、自分に気持ち良い反応がかえってくる行動を選んでいたのです。常に他人の目を気にする。苦痛で仕方がありませんでした。先程いい加減嫌気がさし、この苦痛から解放される方法を模索しました。困った時のセルフヒプノとばかりにセルフヒプノを実行。(たまにはセルフヒプノばかりじゃなくて誰かに誘導してもらいたいなあと思いつつ。)他人を気にする自分に会いに行きました。ドアを開けるとそこは洋風の庭園で青空が見えていました。白い柱で出来た東屋がありましたが、天井は崩れてありません。足元は青々とした芝生。真ん中に白い石像がありました。小さな少年の像は空に向かい両手を広げています。これが他人を気にする自分のようです。身も心も疲れ切っているようでした。常に自分を見る人の目を気にし、不自然な体勢を取りつづけているのです。だれも来ないような荒れ果てた庭園の東屋で。私は疲れ切った少年の像を気の毒に思いました。少年の像を癒してあげよう光に包んであげよう、そう思いました。すると少年の像は逃げ出したのです。私には最初なぜ逃げ出すのかわかりませんでした。少年の像は光を怖れていたようです。光が自分を引き裂くのではないかと思っているようでした。私は少年の像に話し掛けます。「怖くないよ、光の中に入ろう。」『いやだ!光の中に入ったら僕は消えてなくなってしまうんだ。そんなのいやだ。』癒されることを拒否する気持ちというのは、もしかしたら自分を否定されることを怖れているからなのかなと思いました。「怖くないよ、痛くないよ、大丈夫だよ。」声を掛け続けました。少年の像はおそるおそる近づいてきました。そっと抱き締めると安らかな笑顔を浮かべて眠りに就きました。少年の像は私の中で眠り続けています。とてもとても疲れていたのでしょうね。このあと私も以前ほど他人を気にすることがなくなりました。