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私の最初の映画の記憶は美空ひばり主演の『悲しき口笛』(1949年)と『牛若丸』(1952年)とであることは、以前このブログに書いた。制作年に3年のへだたりがあるが、昭和27、8年頃にほぼ同時に見た。地方の山村の公民館で上映されたので、美空ひばり年譜にある公開年度とは異なる。私にとって美空ひばりは歌手の前に映画女優であった。
歌手美空ひばりをひとりの偉大な「芸術家」として意識するようになったのは、ずっと後のことである。そしてその時のことを不思議なほど鮮明に記憶している。昭和40年、彼女が『柔』でレコード大賞を受賞した。そのTVインタビューを私はたまたま学生下宿の隣の一膳飯屋で見ていた。カレー南蛮だったか豚汁定食だったかを食べながら。 「ハヒフヘホが難しいのね」と彼女は言った。そして「ハ、ヒ、フ、ヘ、ホ」と発音してみせた。『柔』の歌詞の2番に、「行くも止るも、坐るも臥すも」とある。その「臥(フ)す」が、明瞭な言葉と音にならないのだと言う。美空ひばりもインタビューアーも笑っていたが、私は、これはもしかしたら、彼女はただならぬことを言っているかもしれないと思った。私が美空ひばりの歌唱法に関心をいだくようになったきっかけだった。 じつはさきほどまでBS2で、「永遠の歌姫 美空ひばり」を見ていた。ことしは美空ひばりが亡くなって17年目にあたる。6月23日が命日だから、仏教の慣習では17回忌という特別な節目。それにあわせた番組であろう。全60曲を3時間半にわたって放送した。私は夕食後のひと休みに、ちょっと見るつもりが、結局おしまいまで見てしまった。先日、越路吹雪について書き、そのなかで歌詞に血肉をあたえることができるたった二人の歌手として、越路吹雪と美空ひばりの名前をあげたばかりである。 TVを見ながら内心で驚いたのだが、私は彼女がうたった60曲のうち20曲は完全にうたえるのだった。60曲といっても、NHKらしい八方美人のだらしない編集をしているので、同じ曲、同じVTRが2度3度と繰り返され、また他人の持ち歌も披露されたので、実質は50曲程度だったろう。その半分とまではいかないが、ほぼそれに近い数をうたえたのである。私はカラオケ・ルームに行くことはないし、普段歌謡曲を聴くこともない。私が育った家庭環境も歌謡曲が流れてはいなかったので、美空ひばりの歌がうたえるというのは、いつのまにか耳に入っていたものを記憶してしまっていたことになる。私は美空ひばりのレコードもCDも、一枚も所持していないのだから。つまり彼女の歌は、聴く気がない者にさへ確実にメッセージを送るということだろう。 彼女の歌唱について身をいれて研究したいと思っている。そのためには、全曲集とは言わないまでも、100曲くらい収録されたCDは必要だろう。 私はうすうすながら、美空ひばりがいわゆる知識人を自称するひとたちから軽蔑にちかい扱いを受けていると感じている。私が出演したあるトークショーで、実際に経験していることである。身体論の関係で、私は能楽師の発声法と美空ひばりの発声法にある種の共通性がみられることを指摘したことがあった。背筋の使い方と瞬間的に「気」を発する、要するに腰の使い方である。美空ひばりの名を出したとたんに、「何を言いやがる」という空気が流れた。あんなものと能楽を同列に論じようというのか、と。 いやはや頭の悪い知識人はたくさんいるのだ。美空ひばりの「芸」を理解できなくては、日本芸能史なんて分るはずがないのだから。庶民性というより、もっと卑賎なものやヤクザな部分、あるいは彼女自身がうたっているように「踏まれても踏まれても生き抜く」逞しさ、ふてぶてしさ、悲しさ、泣き笑い----芸能がどのような心身に成立するか、日本芸能史をちょいと齧った者ならすぐに気が付くはずだ。それが分れば、「芸は身をたすく」ということの真の意味が分るはず。日本国中、老いも若きも、子供までカラオケに熱中するというのは、日本という国が哀しいからですよ。そういう日本の芸道を、美空ひばりは一身に体現しているのだ。 そこに気がつき自己の存在の矛盾に苦しみ、挙句の果てに美空ひばりを「大嫌い」と公言して憚らなかったのが淡谷のり子だ。彼女が「おしゃれ」だと思って指向したシャンソンは、越路吹雪が日本語に執着し、日本語でシャンソンをうたうことに賭けたのとも異なり、日本の芸道においては、きつい言い方だが、ついにニセモノのシャンソンでしかなかったのだから。私は淡谷のり子を貶めるつもりはない。日本社会のどうしようもないような惨じめさに対して、彼女ほど意志的に抵抗した芸能者もいないかもしれない。ここで詳しく述べる余裕はないが、しかし、それを彼女は「好き嫌い」でとおしてしまった。そのために彼女の堅固な意志も文化的な影響をおよぼすにはいたらなかった。世界は、否、日本文化すら、個人の好き嫌いの範疇には何ほどもおさまらないのである。好悪というのは「すがすがしさ」というより、むしろ無理解なのである。それはエセ知識人が美空ひばりを軽侮するのと何等変りはない。 「芸」として美空ひばりの歌をみてゆくと、たとえば『悲しい酒』は最初のレコード吹き込みでは作曲者古賀政男の指示どおりのテンポであったが(今日のTVでもそれを確認できた)、次第に音楽としてあわや不成立寸前のきわめて遅いテンポになっている。これは彼女自身の内的緊張の持続が音楽を成立させているのであって、じつのところすでに楽理的音楽は破綻しているのだ。「芸」以外のなにものでもない。のみならず、歌詞の2番に入るときに、およそ半拍遅れてうたいだすのである。そしてその遅れがドラマを生むのだ。まことに恐るべしだ。歌詞がまるで彼女自身の人生を語っているかのような。彼女の目に涙があふれ、頬をつたう(この彼女の涙は有名になってしまい、聴衆はいまや遅しとこの涙をまっている。そして彼女はその期待を決して裏切らない)。泣きながらうたうことは、人間の情動生理の問題としてほとんど不可能なのだが、つまり音程が狂ってしまうのがオチなのだが、美空ひばりは完璧にうたいきってしまう。ここにも「芸」がある。 美空ひばりは、いわゆる地声と裏声(ファルセット)がごく自然に移り変る特異な声の持主だ。作曲家の船村徹氏は、この彼女の特徴に惹かれていたのではあるまいか。『哀愁波止場』や『ひばりの佐渡情話』は、ほとんどの部分をファルセットでうたいきらなければならない曲である。 ことに船村氏は、『哀愁波止場』で岸壁に打ち寄せる波のうねりを表現している。美空ひばりはこの波のうねりをファルセットによるクレシェンド(<)・デクレシェンド(>)で見事に表現している。この曲をカヴァーしている他の歌手の歌唱と比較すると、それがよくわかる。 また、『ひばりの佐渡情話』は曲の構成が凝りに凝った難曲である。船村氏は美空ひばりの技量に対してこれでもかこれでもかと言うように、音楽的、芸術的な挑戦をしているように見受けられる。美空ひばりとの共同作業がおもしろくてたまらないように。それは美空ひばりの最後から2番目の曲となった『みだれ髪』においても言える。 『みだれ髪』は星野哲郎氏の詩もすばらしい。すくなくとも歌謡曲の歌詞として、日本語の豊かさをこんなに感じるのも最近ではめずらしくなっている。若い人にはもう昔のことになっているだろうが、チェッカーズのデビュー曲の「ギザギザハート」などという言葉にも私は嬉しくなってしまうけれど、「投げてとどかぬ想いの糸が、胸に絡んで涙をしぼる」とか、「春は一重に巻いた帯、三重に巻いても余る秋」なんて、英語じゃ表現できないのじゃないか。すくなくとも「詩」にはならないだろう。 美空ひばり歌唱論をやってみたいとは前述したが、しかしそれに踏み切れないのは、私は結局、一度もナマのステージに接することができなかったからだ。ナマで見ていないようでは論じる資格は半減する。芸能者の真の力というのは、劇場の名状しがたいあの不思議なウナリ、----地鳴りのようなトヨモシを起すことができるか否かで分るのだ。美空ひばりを見ておかなかったのは返す返すも残念だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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