新作の本格的作業に入る前の準備として、きのうの下図の女性の顔を少し変えた。
ポーズは同じ。表情もまあまあ同じ。ざっくばらんに言うと、Aさんの顔からBさんの顔に変えたのだ。
これによって私が何をめざしているかと言うと、人格による曰く言いがたい「何事か」の表出である。その人の醸(かも)し出す雰囲気と言ってもいいのだが、それよりも、私がこの作品で言いたいテーマ(一個の「私」としてはこの作品を描くことにより掴み取りたいと思っている問題、と言い換えてもよい)、----それを持っている女性かどうかということである。
私の描く人物像、そして描きたい人物像は、解剖学的に変形(デフォルメ)されたものではない。その点ではリアリズムなのだ。が、17、8世紀のヨーロピアン・リアリズムではなく、抽象化された具象とでもいう、矛盾を含んでいる。私はその点において私の作品を「現代美術」と位置づけている。Aさんの顔からBさんの顔に変えた。しかしBさんを表現しようというつもりは毛頭ない。Bさんの人格ないし醸し出す雰囲気に頼りながら、個から普遍的なテーマへ抽象化したいのである。私の関心は、そこにしかない。