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人生朝露

人生朝露

ユングと自然。

荘子です。
荘子です。

いまのところユングをやっています。
最近『ユング自伝』を読み返していて、『黄金の華の秘密』が書かれた以降のところに関して、『易経』や『老子』でもなく『荘子』でしか読めそうにないところが連続していたのでそれを。

C.G.ユング
≪私は電気を使わず、炉やかまどを自分で燃やし、夕方になると古いランプを灯にともした。水道はなく、私は井戸から水をくみ、薪を割り、食べ物を作った。このような単純な仕事は人間を単純化するものだが、それにしても単純になるということはなんと困難なことであろう。
 ボーリンゲンでは、私は静寂に囲まれて『自然とのおだやかな調和』の中で生活をした。幾世紀かの過去を遡った考えが浮かんできては、それがまた遠い将来を先取りしていた。ここでは創造の苦しみは影をひそめて、創造と遊びが一体となっていた。(『ユング自伝2』「塔」より)≫

ボーリンゲンの塔。
・・・ユングは「ボーリンゲンの塔」と呼ばれる別宅、というか隠れ家を建築しまして、その閑静な湖のほとりで思索を深めていきます。素朴としか言いようのない、非常にシンプルな生活をしていたようです。途中にある『自然とのおだやかな調和』というのは、中国の木版画で「雄大な風景の中にある小さな老人の画」との注釈があります。実際にどんなものかは知りませんが、茶室の掛け軸に近い感覚のようです。

参照:Jung in Bollingen
http://www.youtube.com/watch?v=R7QaW34lwvQ

で、このボーリンゲンでの出来事の記録があります。
C.G.ユング
≪今でもはっきりと憶えているのは、ある日の夕方、私が暖炉のそばに腰をおろして、食器を洗うために大きな釜で湯をわかしていたときのことである。湯が沸騰し、釜がなりだした。それは多くの人たちの声、あるいは弦楽器のように、さらにはオーケストラのように響いた。それはちょうど多重旋律の音楽のようであった。この種の音楽は、実際には私にとって耐えがたいものであったが、このときは奇妙に興味をそそられた。それはまるで、塔の内部に一つのオーケストラがあり、もう一つのオーケストラが塔の屋外にあるようであった。
 私は坐ったままでその音楽に聞き入り、魅了されていた。それは軽妙な音楽で、そのうえ自然のあらゆる不協和音をまじえていた。それはそのはずで、自然というものは調和しているばかりでなくて、おそろしく矛盾し、混沌としたものであるから。この音楽もまたそのようであった。つまり、水と風の性質をもった、音の奔流とでもいおうか---あまりに不思議で、とうてい表現できそうにないものであった。(同上)≫

ユングはボーリンゲンで、「天籟・地籟・人籟」を聴いています。

参照:ジョン・ケージと荘子
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5096/

C.G.ユング
≪一九二四年の早春のことであったか、私はボーリンゲンにひとりでいたときのこと、同じように静かな夜に、塔のまわりをめぐるかすかな足音で私は目が覚めた。遠方で響いている音楽が聞こえ、それがしだいに近づいてきて、そして笑い声や話し声が聞こえてきた。「だれが塔のあたりをうろついているのだろう。これはどうしたことなのだろう。湖にそって小経があるだけだし、ほとんど誰も通ったことがないのに」と、あれこれ思っているうちに、私は目がはっきりと覚めてしまい、窓のところまで行ってみた。シャッターを開けてみたが、あたりは静寂につつまれ、人影はなく、なにも聞こえてこない---風もなく---なにもなかった。
 「不思議なことだ」と思った。たしかに足音も、笑い話も聞こえたと思ったが、どうも夢をみていたらしい。私はベッドにもどって、どうして思い違いをしたのだろう、なにがこのような思い違いをさせたのだろうと、あれこれ考えているうちに、また眠りこんでしまった。するとすぐに同じ夢が始まって、私はまた足音や、話し声や笑い声、音楽などを聞いた。同時に数百人の黒服を着た人影が視えた。それはたぶん、日曜日の衣装を着て山からおりてきた百姓の子供たちなのだろう、塔のまわりで足をふみならしながら、笑い声や歌い声やアコーディオンの演奏を、塔の両面に浴びせかけていた。私はいらいらして、「もう我慢がならぬ。さっきは夢かと思ったが、こんどこそは本当だ」と思ったら 、目が覚めた。私は、またとび起きて、窓とシャッターを開いたが、すべては先程とかわらず、死んだように静かな月明の夜であった。そこで私は「これはきっと幽霊が出ているのだ」と思った。
 夢があまりにも現実味を帯び、私を目覚めさせるようなとき、私は当然、その夢はなにを意味しているのか自問してみた。こうしたことは普通幽霊をみたときのみ経験することで、目覚めているというのは、現実を知覚しているということである。だからこのような夢は現実同然の状況を、つまり、その夢がある種の覚醒状態を作り出すような状況を表している。(中略)このような体験は孤独の現象であって、そのときの外部の空虚さと静寂が、群衆の心像(イメージ)で補償しているとさえいえるかもしれない。このような現象は隠者たちが経験する幻覚で、やはり補償的な意味をもつものと同類と考えられるだろう。しかし、このような物語がどのような現実性に根ざしているか、われわれは知っているだろうか。(同上)≫

Zhuangzi
『子不聞夫越之流人乎?去國數日、見其所知而喜。去國旬月、見其所嘗見於國中者喜。及期年也、見似人者而喜矣。不亦去人滋久、思人滋深乎。夫逃虛空者、藜、藋柱乎鼪、鼬之逕、踉位其空、聞人足音跫然而喜矣、而況乎兄弟親戚之謦欬其側者乎。久矣夫。』(『荘子』徐無鬼 第二十四)
→「越の国の徒刑者の話をご存知ですか。島流しにあって五、六日も経つと彼らは知人に出会うだけでも喜びだします。一月も経てば、以前に顔を合わせただけの人に会っても喜びます。一年ともなると、自分の郷里の人に似た者に会っただけでも喜ぶようになるのです。時が経つにつれて郷里への思いは深くなります。緑が深く、イタチの獣道しかないような人里離れた谷で暮らす者は、人の足音が聞こえただけでも喜ぶものです。まして兄弟や親戚の笑い声をすぐそばに聞いたなら、その喜びはなおのことでしょう。」

前半は「空谷の足音」として日本でも成語になっているものです。「夢と現実」に関する荘子の引用はさすがに省略(笑)。

その後、『ユング自伝』ではユングの旅の記録が綴られています。北アフリカ、アメリカのプエブロ・インディアン、ケニヤとウガンダ、インド、ラヴェンナとローマという順です。

特に有名なのはこれ。
C.G.ユング
≪オチウェイ・ビアノは「見てごらん、白人がいかに残酷に見えることか」といい、「彼らの唇は薄く、鼻は鋭く、その顔は深いしわでゆがんでいる。眼は硬直して見つめており、白人たちはいつもなにかを求めている。何を求めているのだろう。白人たちはいつもなにかを欲望している。いつも落ち着かず、じっとしていない。われわれインディアンには、彼らの欲しがっているものが分からない。われわれは彼ら白人を理解しない。彼らは気が狂っているのだと思う」といった。どうして白人たちがすべて狂気なのか、私は尋ねた。「彼らは頭で考えるといっている」と、彼は答えた。私は驚いて、「もちろんそうだ。君たちインディアンは何で考えるのか」と反問した。「ここで考える」と彼は心臓を指した。(同上)≫

参照:Colors of the Wind
http://www.youtube.com/watch?v=TkV-of_eN2w

ユングの「内なる自然」というのも、結局はこういうところからなんだと思います。

C.G.ユング
≪われわれはナイロビから、大規模な原生保護区になっているアスイ草原へ向かって、小型フォードで出掛けた。この広大なサヴァンナの低い丘に立つと、驚くばかりの眺望がひらけていた。地平線のかなたにまで巨大な動物の群れが見えた。カゼラかもしか、かもしか、うしかもしか、ゼブラ、いぼいのしし等の群れであった。草を食み、頭を上下にふりながら、獣たちは緩やかに流れる川のように、前へ前へと移動していた。肉食の禽獣があげるメランコリックな叫びのほかには何の物音もしなかった。永遠の原始の静寂があり、きっといつもそうであったように非存在の状態にある世界があった。というのは、つい最近まで「この世界」があることを知るものは誰もいなかったのである。私は同行者が見えなくなるところまで離れて行って、そこでただ一人でいるのだという感じを味わった。そのとき私は、これが世界であり、そして、人類がこの瞬間に自分の知識によって、はじめて現実的に作り出したと言うこと最初に知った人類であった。(同上)≫

参照:Lion King - Circle of Life
http://www.youtube.com/watch?v=vX07j9SDFcc

jungle taitei - opening and ending theme
http://www.youtube.com/watch?v=FgeBFRjWxiU

これは、本当に『荘子』にそっくりな箇所です。
この後の文章は芭蕉の「造化」の観念にも似ています。

Zhuangzi
『馬蹄可以踐霜雪、毛可以禦風寒、?草飲水、翹足而陸。(中略)此馬之真性也。故至徳之世、其行填填、其視顛顛。当是時也、山無蹊隧、澤無舟梁。萬物群生、連属其郷。禽獣成群、草木遂長。是故禽獣可係羈而遊、烏鵲之巣可攀援而閲。夫至徳之世、同與禽獣居、族與萬物並、悪乎知君子小人哉。同乎無知、其徳不離。同乎無欲、是謂素樸。素樸而民性得矣。』(『荘子』馬蹄篇 第九)
→馬には本来霜や雪をしのぐための蹄があり、冷気に備えるために毛が生えている。草を食み、水を飲み、大地の駆け上がる。これが馬の本性である。(中略)ゆえに、至徳の世というのは、束縛もなく人の行いは穏やかで、人々の瞳は明るかった。かつての至徳の世では、山には道も拓かれず、川にも船は無かった。万物は群生して、棲み分けをする必要もなかった。動物たちは群れを成し、草木は伸びやかに成長した。ゆえに、動物を紐に繋いで共に遊ぶことが出来たし、木によじ登って、カササギの巣をのぞいてみることができた。その至徳の世においては、動物たちと同じ場所に住み、万物と並んで暮らしていた。そこに君子や小人なんているはずがない。人々はさもしい知識も持たず、徳が心から離れず、無欲でいた。これを「素樸(そぼく)」という。素樸だからこそ民はあるがままでいられる。

今日はこの辺で。


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