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人生朝露

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東国原(ひがしこくばる) その2。

「東国原(ひがしこくばる)」という苗字ネタで、この苗字の由来について気にかかったことを。

ZAKZAKに、そのまんま東の「東国原」ルーツは…全国に11世帯という記事が登場。

これによると、
>姓名研究家の牧野恭仁雄氏は「この姓は宮崎県との県境に位置する鹿児島県末吉町に集中しており、そこで発祥した名前と考えられる。同町は古い歴史を持つ国分市(鹿児島)の東側に位置することから、東国原となったのでは」と推測する。

とある。なるほど、とも思ったけど、

>一方、この「東国原」には、別に「ヒガシクニバラ」という読み方もあるというが、「“バル”という音は沖縄地方の訛りに多いので、その地方の影響を受けたのでしょう」と分析する。

というくだりには、「?」が付く。
前にも書いたけど、福岡にもある「前原(まえばる)市」、「新田原(福岡→しんでんばる、宮崎→にゅうたばる)」「笹原(ささばる)」「春日原(かすがばる)」、熊本の「田原坂(たばるざか)」、宮崎の「西都原(さいとばる)」と、九州ではメジャーな読み方なのに、なぜ沖縄から入ってきたなどと?と思って調べてみると、「~原」を「ばる」「はる」と読む地名というサイトを発見。やっぱり、九州が先でしょ?これは。しかも、ZAKZAKの記事の最初に出てくる「末吉町」は、すでに、市町村合併で鹿児島県曽於市になっております。ネタとしては面白いけど、記事を書いた人のツメが甘い。これで給料もらうのは、どうかと思います。はい。

ちなみに、ZAKZAKの「そのまんま東」関連の記事の変遷がちょっと面白い。

◆そのまんま総スカン! 熱弁ふるって出馬表明も…(2006/12/15)
◆そのまんま東の出馬表明は「見切り発車」だった(2006/12/18)
◆「談合容認発言」そのまんま東、火消しに躍起も(2006/12/25)
◆そのまんま東、エビちゃん頼み…観光PR大使起用画策(01/04)
◆そのまんま東、禁欲選挙戦ルポ…夜も繁華街に行かず(01/19)
◆そのまんま東、圧勝も前途多難…早くも短命の声(01/22)
◆そのまんま東、知事就任後は芸名を封印(01/22)
◆安倍「東氏は再チャレンジ成功」候補敗戦ショックも(01/23)
◆東国原知事「一刻も早く原因究明を」鳥インフルエンザ(01/24)
◆再チャレンジバイブルに…そのまんま東著書7年ぶり復刊(01/27)

分からんでもないけど、これは笑ってしまうな。
480度くらい手のひらを返してますな。関節が壊れちゃいますよ。

ちなみに、↓は、今から190年ほど前のパリの新聞の見出し。一度は追放されたナポレオンが、エルバ島から脱出し、パリに戻ってくるまでの推移です。

○怪物、流刑地を脱出
○コルシカの狼、ジュアン湾に上陸
○食人鬼、グラッスへ
○悪辣皇帝、リヨンに
○僭主、パリより50マイルまで迫る
○ボナパルト、北方へ進撃。速度増すもパリ入城は不可能か
○ナポレオン氏、明朝パリへ
○皇帝陛下、フォンテンブローへご帰還。皇帝万歳!

このネタは結構有名なんだけどね。
マスメディアというのは、果たして進歩したんでしょうや?まぁ、ZAKZAKも、フジ・サンケイグループですよ。どうせ、意味もなく持ち上げた後に、ちょっと何かあったらまた叩くんでしょ。一人時間差みたいなもんでしょ。

「東国原(ひがしこくばる)」の苗字に戻りましょう。
(以下は、全く個人的な見解です。)

「国原」という言葉を辞書で引くと、万葉集の二つの歌が用例として出てくる。

「国見をすれば『国原』は煙立つ立つ 海原は鴎(かまめ)立つ立つ うまし国ぞ 蜻蛉島(あきづしま)大和の国は」という舒明天皇の歌と、「香具山と耳梨山と あひしとき立ちて見に来し 印南『国波良』(いなみくにはら)」という天智天皇の歌。

今は使われないけど、古くから使われていた言葉なんですな。「涙そうそう」で有名になった、沖縄の方言の「涙=なだ」という読みは、本来平安時代までの読み方で、それが内地では「なみだ」と変わったのに、沖縄では本来の「なだ」として残ったというのは、最近よく使われた話。九州だって古い言葉がそのまま使われることだってたくさんある。

で、ふと思ったのが、日本の神話ですわ。
ニニギノミコトが降り立ったとされる、天孫降臨の地「高千穂」という地名は、実は二つある。「臼杵」の「高千穂」と「高千穂峰」の二つで、九州山地の東側、いずれも宮崎県にあって、それぞれ北西部と南西部に位置する。高千穂というと、北部の「高千穂町」が「天岩戸(あまのいわと)」まであるので知名度が高いけど、霧島連山にも「高千穂峰」が存在する。霧島の麓、「高原町」とかは神々が住んでいたとされる「高天原(たかまがはら)」に由来するとも言われる。

同じく霧島の東側の麓にある都城市の「東国原」という苗字は、「天孫降臨の地の東側の平地に住む一族」、と取れなくもないですな。「国原」というのは、国土、という意味の前提として「平地」で」あることが必要なので、都城盆地はまさに該当しないでしょうや?まぁ、霧島も何度か噴火しているので、人の移動は多いだろうし、そもそも江戸時代中期の島津領って、二重鎖国で難しい場所だしね。可能性がないともいえないと思う。(ま、所詮素人の言葉遊びの域を出ないけど)。

この、霧島の高千穂峰には実はニニギノミコトが立てたとされる「天の逆鉾(あまのさかほこ)」が今でも立っております。

参照:
「天の逆鉾」の写真

Wikipedia 高千穂峰

今で言うところの「村おこし」競争の挙句のものでしょう。でも、この「高千穂峰の天の逆鉾」というのは、八百年くらい前から立っているという記録もあるので、それなりの歴史はあるようですな。

ちなみに、天孫降臨(いつ降りて来られたかは不明だけど)から一気にくだって、慶応二年(1868年)、この高千穂峰に二人の男女が訪れている。この二人、記録の中では日本で初めて「新婚旅行」なるものしている最中。かなり変わった夫婦で、幕末の動乱期にこれをやってのけている。夫の方は京都で危うく命を落としそうになったばかり。身の安全をも考えて薩摩に渡ったとはいえ、新婚旅行に行くというのはのん気というか、肝が据わっているというか・・ええ、坂本竜馬とおりょうのことですよ。

竜馬は、高千穂峰に登って(今でもキツイけど、当時は冒険に近い)、伝え聞く「天の逆鉾」を見た様子を、大好きな乙女姉さんに手紙で書いている(ご丁寧にイラスト付きで)。

「此サカホコハ 少シうごかして見たれば△あまりにも両方へはなが高く候 まま両人が両方よりはなおさへてエイヤと引ぬき候 時ハわずか四五尺斗のものニて候 又々本の通りにおさめたり」(「龍馬の手紙」講談社学術文庫より)

日本初の新婚旅行で、この夫婦は伝説の逆鉾を引き抜いてしまっておるのです。そういう夫婦の共同作業は良いのか!?と、「竜馬がゆく」で大笑いするシーンですな。ちゃんと元に戻したのは偉い(笑)。というか、アーサー王がエクスカリバーを引き抜くシーンとダブって、なかなか象徴的な行動だと思う。こういう人じゃないと維新回天はなし得ないわけですよ。もちろん、高千穂峰の逆鉾自体は、ニセモノで、後々になって、どこかの誰かが勝手に立てたものだし、竜馬が憎むのは筋違い。

かつての「新婚旅行のメッカ」宮崎のお話でした。

(当ブログ、2007年1月27日の記事です。)

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