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人生朝露

人生朝露

夏目漱石と荘子。

荘子です。
荘子から考え付くことをバラバラに書いていきます。

芭蕉の「蝶の夢」の次は、またも飛びまして、
夏目漱石。
夏目漱石の「夢」で。

漱石に「夢十夜」という短編がありますね。

参照: 青空文庫 夏目漱石「夢十夜」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/799_14972.html

『第一夜 
 こんな夢を見た。腕組をして枕元に坐っていると、仰向に寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。
(中略)
しばらくして、女がまたこう云った。
「死んだら、埋めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちて来る星の破片(かけ)を墓標(はかじるし)に置いて下さい。そうして墓の傍に待っていて下さい。また逢(あ)いに来ますから。』(夏目漱石「夢十夜」より)

・・・この「夢十夜」は、漱石が荘子にインスパイアされていることを如実に表す作品です。

Zhuangzi
『荘子将死、弟子欲厚葬之。荘子曰「吾以天地為棺槨、以日月為連璧、星辰為珠機、萬物為斉送。吾葬具豈不備邪、何以加此。」弟子曰「吾恐烏鳶之食夫子也。」荘子曰「在上為烏鳶食,在下為螻蟻食、奪彼與此、何其偏也。』(「荘子」雑篇 列禦寇三十二)
→ 荘子が臨終を迎える間際、弟子たちは彼を手厚く葬ろうと考えていた。しかし、荘子はこう言った。「私は、天地を棺とし、太陽と月を一対の璧として、天空の星々を飾りにすれば葬式などはいらない。参列者はこの世界の万物だ。何もしなくても私の葬儀の準備は終わっている。何が他に要るというのか?」
弟子は答えて「亡くなっても何もしないとあっては、あなたの死体がカラスやトビに食べられてしまいます。私たちはそれを心配しているのです。」
荘子は言った。「空からはカラスやトビについばまれ、地下ではオケラやアリに齧られればいい。この期に及んで食われる相手を選り好みはしないよ。」

・・・似てるでしょ?
で、これは確実!というのは、第六夜です。

『第六夜
 運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいると云う評判だから、散歩ながら行って見ると、自分より先にもう大勢集まって、しきりに下馬評をやっていた。
(中略)
「さすがは運慶だな。眼中に我々なしだ。天下の英雄はただ仁王と我れとあるのみと云う態度だ。天晴れだ」と云って賞め出した。
 自分はこの言葉を面白いと思った。それでちょっと若い男の方を見ると、若い男は、すかさず、
「あの鑿と槌の使い方を見たまえ。大自在の妙境に達している」と云った。
 運慶は今太い眉を一寸の高さに横へ彫り抜いて、鑿の歯を竪(たて)に返すや否や斜すに、上から槌を打ち下した。堅い木を一と刻みに削って、厚い木屑が槌の声に応じて飛んだと思ったら、小鼻のおっ開いた怒り鼻の側面がたちまち浮き上がって来た。その刀の入れ方がいかにも無遠慮であった。そうして少しも疑念を挾んでおらんように見えた。
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云った。
 自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思い出した。はたしてそうなら誰にでもできる事だと思い出した。それで急に自分も仁王が彫ってみたくなったから見物をやめてさっそく家へ帰った。』(夏目漱石「夢十夜」より)


明治の漱石が鎌倉の運慶の創作活動を夢に見るという設定です。
参照;東大寺金剛力士像。
大学に入って三部作を読み始めましたが(私は今でも鴎外派)、高校のころの漱石というと、まずは『夢十夜』。次が、『坊ちゃん』で『猫』でしたよ。特に『夢十夜』の第六夜は、お気に入りでした。「仁王を彫る」のではなく、「木の中に眠る仁王を探し当てる」というところが、かっこいいじゃないですか!

・・・で、これも「荘子」なんですよね(笑)。

Zhuangzi
『梓慶削木為像、像成、見者驚猶鬼神。魯侯見而問焉、曰「子何術以為焉。」對曰「臣工人、何術之有。雖然、有一焉。臣将為像、未嘗敢以耗氣也、必斉以静心。斉三日、而不敢懐慶賞爵禄、斉五日、不敢懐非譽巧拙、齊七日、頸然忘吾有四枝形體也。當是時也、無公朝、其巧專而外骨消。然後入山林、観天性。形躯至矣、然後成見像、然後加手焉、不然則已。則以天合天、器之所以疑神者、其是與。』(「荘子」外篇 達生十九)
→梓慶(しけい)という名工が木彫りのキョ(金偏に劇、どうやら楽器の一種という説もあるらしいけど、当ブログでは、「像」と致します)を作った。像ができあがると、みな鬼神のような技だと驚いた。魯侯が「そなたは、どんな秘術をつかって、このようなものを彫り上げたのか?」と訊ねると、その梓慶という名工は、「私は単なる職人です。何の秘術などありましょう。ただ、ひとつあるとするならば、私は何かを作る前に、斎戒して、心を静かにするということでしょうか。斎戒して三日もすれば、恩賞だとか、褒美をもらうというような欲がなくなります。五日目には、世間の評判だとか、出来不出来も気にならなくなります。斎戒七日目にして自分の肉体の存在すら忘れてしまうのです。ここまでくると、世の中のすべてのことに煩わされず、創作に専心できるのです。そこで初めて山林に入り、像の姿を思い描きながら、木に備わっている「天性」を見ます。その形や素材、そして、どういう形に仕上がるかを予め想像してしまうのです。そこからようやく、彫るという作業が始まるのです。思い通りにいかなければ、途中で止めます。木の持っている天性と、私の天性が一つになるときに彫る、というのが、私の仕事の流儀ですから。鬼神の技などと私の仕事が評されるのは、そのあたりが原因かもしれません。」

彫刻は削って物を作り上げるのではなくて、素材に眠る像を感じ取って、掘り当てる作業になる。鎌倉の運慶ではなく、紀元前の梓慶(しけい)という名工のお話がベースなんですね。似たような「庖丁解牛」という話「養生主篇」にありますが、料理人が「私が求めているのは技術ではありません。その上の道というものです。私が初めて牛をさばいたとき、牛というものの見た目だけにこだわっていました。三年目からはもう牛の見た目などにとらわれず、必要なところだけを見ました。今では私は心で見て牛を目で見ることもありません。」という話とかも漱石は混ぜていますね。

漱石は学生時代、神経衰弱の療養も兼ねて鎌倉の円覚寺に通っていて、どうもそのころに荘子に触れたのでは?などと推測しています。鎌倉仏教と荘子の相関関係からすると、そう思えますね。

・・・木の中に宿る仁王・・・運慶というよりも、
円空仏。
円空の方が想像しやすい話です。

・・・で、『夢十夜』の「第六夜」は、こうやって〆られます。
明治の漱石が仁王を探そうとするんです。

『自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫り始めて見たが、不幸にして、仁王は見当らなかった。その次のにも運悪く掘り当てる事ができなかった。三番目のにも仁王はいなかった。自分は積んである薪を片っ端から彫って見たが、どれもこれも仁王を蔵しているのはなかった。ついに明治の木にはとうてい仁王は埋っていないものだと悟った。それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った。』

・・・明治の木に仁王がいない理由。

「夢十夜」は明治41年(1908)に執筆されています。日本という国が「坂の上の雲」を見失い始めた頃ですよ。このころ、神社合祀令という政策が始められています。

参照:Wikipedia 神社合祀令
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E5%90%88%E7%A5%80

国家神道というか、神道のキリスト教化というアホな流れの中で、廃仏毀釈のイメージばかりが先行しちゃうんですけど、それまであった多数の神社が廃され、合祀という名目で小さな神社がなくなっていった、というのも明治の宗教政策の一側面でありましょう。日本各地で多くの氏神が合祀され、それまで日本の生態系を育んできた鎮守の森や、御神木が次々に伐採されていったということも、無視できません。それまで当然にあった「人」と「森」の関係が断たれていく。一神教化していくから当然ですが。今でも、立派な神主さんと言われる人がそういうことと向き合わずに、自然崇拝だのなんだのとしゃべると、なんか、白々しいというか、胡散臭いと思ってしまうんですよね。

この合祀令のときの南方熊楠とか、柳田國男の活動については、こちらを↓
参照:Wikipedia 南方熊楠
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%96%B9%E7%86%8A%E6%A5%A0

紀元前の名工のいう「則以天合天」すなわち、「木の持っている天性と、私の天性が一つになる」ことが、日本の近代化のうねりの中で難しい時代に入ってきた、と漱石は感じていたんだと思いますよ。それで、明治の木に仁王はおらず、人間も仁王の存在を感じなくなった。

Zhuangzi
『夫至徳之世、同與禽獣居、族與萬物並、悪乎知君子小人哉。同乎無知、其徳不離。同乎無欲、是謂素樸。素樸而民性得矣。』(「荘子」馬蹄篇 第九)
→「その至徳の世においては、動物たちと同じ場所に住み、万物と並んで暮らしていた。そこに君子や小人なんているはずがない。人々はさもしい知識も持たず、徳が心から離れず、無欲でいた。これを「素樸(そぼく)」という。素樸だからこそこそ民の心は本性のままでいられる。」

今でも使われる「素朴」という言葉は、元は「むきだしの材木」という意味です。その「素朴」に宿る仏も、仁王も、神も、天性も、人間は感じなくなってきて、ついには忘れるっていうことになるのではないか・・

参照:中国哲学書電子化計画 「荘子」
http://chinese.dsturgeon.net/text.pl?node=2712&if=gb

これは、深遠なる荘子の哲学の一つです。私はそう思います。

今日はこの辺で。


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