『論語』と『荘子』のドラッカー。『萌訳☆孔子ちゃんの論語』なる本を見つけまして、「ついに孔子までもが、彼奴らの毒牙にかけられてしまったのか」と、世の無常を儚む今日このごろ。 とかなんとか言いながら、 夢見がちな不思議ちゃん「荘子」と、 負けず嫌いの理屈屋さん「恵子」のやりとりというのは、いちいち萌化すら不要なものだし、荘子の恵子って、まんま「しょうこ」と「けいこ」で通じてしまうという事実に今更気づき、これも天命かと呟いてしまいます。 ともあれ、当ブログは、北京・清華大学の「次世代文化与娯楽協会」の活動を応援しています。こいつら、IQ高いんですよ(笑)。 参照:↓『中華56民族萌娘擬人化本』は現在入手困難です↓ http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-53d1.html さて、『萌訳☆孔子ちゃんの論語』の帯にも、『経営学の父 ドラッカーも学んだ』ともあるので、 参照:YouTube 『萌訳☆ 孔子ちゃんの論語』PV http://www.youtube.com/watch?v=Gy8wS1DNYQs 今日は、 ピーター・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker 1909~2005)でもやりましょうか。 参照:百度百科 彼得徳魯克 http://baike.baidu.com/view/380139.htm (日本語版のWikipediaなんかより、百度の方がマシ。ま、今の日本なんてそんなもん。) さて、2年前に『論語と算盤』と『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』について書いたんですが、 参照:当ブログ 老子と社会進化論 http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/200905090000/ それから一時期、ドラッカーの本がやたらと出回っておりました。ネット上でも渋沢栄一や論語とドラッカーの関係について、いくつか指摘している方がいらっしゃるようですね。 参照:ドラッカーに影響を与えた『論語』は“お笑いのネタ”? http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20100319/213537/?P=1 はてなクエスチョン 渋沢栄一とドラッカー http://q.hatena.ne.jp/1282122578 ドラッカー曰く、 ≪リーダーシップについての本や論文の多くが、迅速、有効、強力に意思決定を行う方法について論じる。しかし、問題が何であるかを迅速に決定させることほど愚かで、結局は時間の無駄を招く助言はない。≫(ピーター・ドラッカー『現代の経営』) 子曰く、 「速やかなるを欲するなかれ。小利を見るなかれ。 速やかならんと欲すれば、則ち達せず。 小利を見れば、則ち大事成らず。」(『論語』子路) ドラッカー曰く、 ≪優れた者ほど間違いは多い。それだけ新しいことを試みるからである。一度も間違いをしたことのない者、それも大きな間違いをしたことのない者をトップレベルの地位に就かせてはならない。間違いをしたことのない者は凡庸である。そのうえ、いかにして間違いを発見し、いかにしてそれを早く直すかを知らない。≫(ピーター・ドラッカー『現代の経営』) 子曰く、 「過ちては則ち改めるに憚ること勿れ。」(『論語』学而) 「過ちて改めざる、是を過ちと謂う。」(同衛霊公) ・・・ドラッカーの言う「知識労働者」なるものが、孔子のいう「君子」として読めてしまえることの不思議。 『管理とは自らを方向づけることを意味する。しかし、人を支配することも意味しうる。目標と自己管理によるマネジメントにおける目標とは、前者の意味での管理の基礎となるものであり、後者の意味での管理の基礎となるべきものではない。』(ピーター・ドラッカー『現代の経営』) これとかは、露骨に儒教の基礎「修己治人」ですよね。四書五経のうちの「大学」の要旨です。『論語』では「己を修めて以て人を安んず」「己を修めて以て百姓を安んず」という憲問篇に孔子の発言として出てきます。昔の日本で言うところの修身というやつですね。 ・・・ちょっとマニアックなところでいくと、 ≪成果をあげるためには、強みを中心に据えて異動を行い、昇進させなければならない。人事においては、人の弱みを最小限に抑えるよりも、強みを最大限に発揮させなければならない。リンカーン大統領は最高司令官の人選にあたって、グラント将軍の酒好きを参謀から注意されたとき、「銘柄がわかれば、他の総将軍たちにも贈りなさい」と言ったという。≫(『経営者の条件』) これなんかは、 「宰予晝寝、子曰、朽木不可雕也、糞土之牆、不可朽也、於予與何誅、子曰、始吾於人也、聽其言而信其行、今吾於人也、聽其言而觀其行、於予與改是。」(『論語』公冶長) →弟子の宰予(さいよ)が学問を怠けて昼寝をしていた。孔子は「朽ちた木では彫る事は出来ない。ボロボロの土塀を塗りなおすことはできない。宰予を叱ることはできないね。かつて、私は人の言葉を聞いてその行いを信じた。しかし、今は人の言葉を聞いたらその行いを見守るようになったよ。あの宰予のおかげで改めたのだ。」 論語の中でも解釈の分かれる「宰予の昼寝」じゃないですかね(笑)? 「子曰、不憤不啓、不?不發、擧一隅而示之、不以三隅反、則吾不復也。」(『論語』述而) →孔子はこうおっしゃった。「やる気の起きない者には、指導しない。口から出かかっているときには助けを出さない。四隅の一隅を示して、その三隅を推し量れない者には、私は次からその人を教えることをしないよ。」 いわゆる「啓発」と言われる単語は、上の論語の言葉に由来します。たまには温故知新しようね。 ま、ドラッカーバブルなんてのは、「バカどもにはちょうどいいいい目眩まし」なんですが、当ブログは、荘子と禅の関係をやっているので、孔子はこの辺にしておきます。 参照:当ブログ 荘子と進化論 その72。 http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/201102020000/ スティーブ・ジョブズと禅と荘子。 http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5010 ≪知識は、本の中にはない。本の中にあるものは情報である。知識とはそれらの情報を仕事や成果に結びつける能力である。≫(『プロフェッショナルの原点』) 「世之所貴道者、書也、書不過語、語有貴也。語之所貴者、意也、意有所隨。意之所隨者、不可以言傳也、而世因貴言傳書。世雖貴之我、猶不足貴也、為其貴非其貴也。故視而可見者、形與色也、聽而可聞者、名與聲也。悲夫。世人以形色名聲為足以得彼之情。夫形色名聲果不足以得彼之情、則知者不言、言者不知、而世豈識之哉。」(『荘子』天道 第十三) →道を学ぶときに、世の人が学ぶのは書物である。書物は言葉を載せているものに過ぎない。一般に言葉は貴いものであると思われている。言葉が貴ばれるのは、それに意があるからであって、意には何らかの指し示すものがある。その意を指す「本質的なもの」ものというのは、言葉では伝わらない。にもかかわらず、世の人々は書物や言葉で、本質が伝わるとでも思っている。世の人がそれを貴ぼうとも、それは貴ぶべきものではない。目で見えるのは物の形と色、耳で聞こえるのは物の名前と音だけだ。悲しむべきことだな。人はそんなもので相手の心のうちまで理解できると思い込んでいる。だから言うのだよ。知る者は言わず、言うものは知らず、とね。このことが、世の人に理解されないのだ。 参照:Finger Pointing to the Moon - Bruce Lee http://www.youtube.com/watch?v=sDW6vkuqGLg&feature=related Mulan "I'll Make a Man Out of You" (English) No intro http://www.youtube.com/watch?v=vTqIsB98a1E 大事なのは意識と無意識。 当ブログ 武道と荘子。 http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5012 私にとってのドラッカーは、まず第一に、「山荘コレクション」の人。日本の水墨画のコレクターであり、東洋美術の評論家としてのドラッカーです。博多の聖福寺のせんがいさんの禅画とか、この価値の分かる西洋人というだけで素晴らしい。 参照:Mulan 2- Lesson Number One (English) http://www.youtube.com/watch?v=BMU8TLaX_jw&feature=related 大切なのは、柔と剛・・いや、ソフトとハードってことですよ。 今日はこの辺で。 ジャンル別一覧
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