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人生朝露

人生朝露

荘子と『変身』。

荘子です。
荘子です。

100ということで、今日は、基本に戻って、「荘子と進化論」について。

『荘子』に進化論類似の記述がある、という指摘は、イギリスの中国研究の大家、ジョセフ・ニーダムの『中国の科学と文明』が端緒であろうとするのが一般的であります。Wikipediaでも同様です。

Joseph Needham(1900~1995)。
≪科学的見地からずっとこれより興味深いのは、道家が進化論の主張にきわめて近いものを詳しく述べている事実である。少なくとも道家は生物学的種の固定性をはっきり否定した。その主だった箇所は『荘子』の第十八篇の中に見いだされる。それは翻訳者たちから見放されたものだが、幸い我々には胡適という名匠の筆になる翻訳がある。≫(ジョセフ・ニーダム著『中国の科学と文明』第二巻 道家と道教)

で、
Zhuangzi
「種に『幾』有り。
水を得ればすなわちケイ(水草)と為(な)り、
水土の際を得れば、すなわちアヒン(水苔)の衣と為り、
陵屯に生ずれば、則ちリョウセキ(オオバコ)と為る。
リョウセキ(オオバコ)は鬱棲(フンの溜まり場のこと)を得れば、すなわち烏足(雑草の一種)と為り、其の葉は胡蝶と為る。
胡蝶はしばらくして化して虫と為り、竃下に生ず。
其の状 脱(脱皮した)の若くにして、其の名をクテツ(コオロギ)と為す。
クテツ(コオロギ)は千日にして鳥と為り、
其の名をカンヨコツ(カササギ)と為す。
カンヨコツ(カササギ)の沫(唾液)は、シミ(虫の一種)と為り、
シミは、ショクケイ(カツオムシのこと)と為る。
イロ(虫の一種)は、ショクケイ(カツオムシ)より生じ、コウキョウ(コガネムシ)は、キュウユウ(キクイムシ)より生じ、ボウゼイ(ブヨ)は、フカン(ウリバエ)より生ず。
ヨウケイ(草の一種)は、筍せざる久竹に比して(筍ができない竹と交配して)青寧(竹根虫)を生ず。
青寧(竹根虫)は、程(豹)を生じ、程(豹)は馬を生じ、馬は人を生ず。
人は又た反りて機に入る。万物は皆機より出でて、機に入る。」
(学習研究社 中国の古典6 『荘子 下』より抜粋)

・・・この至楽篇の寓話が入ります。

≪道家の観察者たちは昆虫の変態のような現象に確かに精通していたし、また、明らかに初期のヨーロッパ人と同様の不正確な結論を、腐りかけた動物の肉体や植物質の中の虫類の出現(自然発生)から引き出したのであった。彼らは、自然の中で起こるかもしれない驚くべき変形の概念を、他の、より空想的なしかも根拠のあまり十分にない例証に拡大した。その点は後ほど第三九章において検証することになる。いったん根元的変形ということの確信が確立されるようになると、それから緩慢な進化的変化---それによってある種の動物や植物が他のそれから生じるという---の信念までは、大した隔たりではなかったのである。そのうえ(『淮南子』が示しているように)地中の鉱物や金属の継続的変化による緩慢な成長と発生へも適応された。われわれが今日では無機的世界と呼ぶべきものへの変形の概念の適用もヨーロッパの思想の中で発見されたのであるが、中国においてはきわめて初期にあらわれたのであった。そして変形概念の、無機的世界への適用が、荘子の生物学的概念と、これらの変化を能動的な干渉によって早める試み、すなわち錬金錬丹術との間のつながりをつくっている。(同上)≫

その後、『荘子』の記述から環境への適応や、適者生存について書かれてあるを列挙して、ニーダムは≪古代道家思想のこれらの側面が、進化論の歴史について書いてきた人たちに果たして考慮に入れられてきたかどうかは、疑わしいのである。(同上)≫としています。

・・・しかし、『中国の科学と文明』は第二次大戦後に書かれたものでして、
ジャワハルラール・ネルー(1889~1964)。
1933年の段階での、ネルーの証言と辻褄が合いません。

参照:ネルーの不思議な証言。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/005002

紀元前の進化論。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5003

リヒャルト・ヴィルヘルム(Richard Wilhelm1873~1930)。
自分が調べたかぎり、C.G.ユングに中国古典を紹介したリヒャルト・ヴィルヘルムの著作案『中国の宗教と哲学』の第8巻に、「列子の一元的進化論と荘子の懐疑的神秘主義」という項目がありまして、1910年の段階で、そういう視点はすでにあったようです(上記『荘子』至楽篇の寓話は書物としての『列子』にも同じものが載っています)。おそらくは、これに関連する書籍か、もしくは中国人の書物からネルーは荘子と進化論の話を仕入れたのでしょう。

参照:ユングと鈴木大拙。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5095

・・・・日本でそういうことを考えていた人はというと、この人。
漱石。
≪老子道徳経中政治に関する賞凡そ廿四章程あり。是にても老子が功利の末に赴く民を駆って、結縄の民の昔に帰らしめんとせし意あるを見るに足らん。なれど其方法などは到底行ふべからざるのみならず、其大主意も科学の発達せる今日を見れば、論ずるに足る者寡なし。今試みに之を評せんに、
 (一)其言ふ所は動物進化の原則に反せり。抑も人間心身の構造は、外界の模様にて徐々に変化し、周囲の状況に応じて発達をなし、其性情機関の如きは子は父より受け、父は祖父より襲ぎ、祖父は又其先より授かり、かくして先祖伝来の遺産冥々の裏に蓄積し、生るる時すでに此遺産を譲り受け、加ふるに自己の経験を付加しつつ進行する者なれば、今更先祖の経験と自己の智職を悉皆返上して太古結縄の民にならんこと思ひもよらず、人間は左様自由自在に外界と独立して勝手次第の変化をなし得る者にあらず。
 (二)よし勝手次第の変化をなして、結縄の風に復したらばとて、老子の理想たる無為の境界に住せんこと中々覚束なし。そを如何にとなれば、人間は到底相対世界を離るる能はず。決して相対の観念を没却する能はざればなり。仮例ひ如何に古代の民であれ、如何に蠢愚の者にあれ、苟も人間たる以上は五官を有せざる可らず。五官を有する以上は空間に於て弁別し、時間に於いて経験するを免れざるべし。空間に於て弁別する以上は左右も知るべく、大小も知るべく、高下も知るべし。又時間に於いて経験する以上は前後も知るべく、遅速も知るべく、過去現在も知るべし。斯く人間の知識は悉く相対的なり。(文科大学東洋哲学科目論文『老子の哲学』夏目金之助≫

明治25(1895)年、帝国大学の英文科に在籍していた漱石の論文に、老子と進化論を対比したものがあります。ま、進化論もおかしな理解だし、老子の解釈もまだまだ。しかし、後々の漱石を見る上では興味深い素材です。

参照:夏目漱石と荘子。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/005011

正岡子規と荘子。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5076

荘子から陶淵明の草枕。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5086

・・・まだ、100年くらい前なら、老子や荘子を日本人も読んでいたんですが、湯川秀樹さんのような大例外を除いて、急速に、日本人の中で老子や荘子を読める人間は減っていきます。

参照:至徳の世とプロメテウスの火。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5081

荘子、古今東西。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5038

逆に西洋で老子や荘子は読まれるようになっていきます。ヴィルヘルム版の『論語』は1910年、『老子』は1911年、『列子』『荘子』は1912年に出版されています(新田義之著『リヒアルト・ヴィルヘルム伝』筑摩書房による)。

まさに、ちょうど100年前くらい。

このことを如実に表す事例・・・というわけで次なる荘子読みは、
フランツ・カフカ(1883~1924)。
フランツ・カフカ(Franz Kafka(1883~1924)であります。

『ある朝、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変ってしまっているのに気づいた。彼は甲殻のように固い背中を下にして横たわり、頭を少し上げると、何本もの弓形のすじにわかれてこんもりと盛り上がっている自分の茶色の腹が見えた。腹の盛り上がりの上には、かけぶとんがすっかりずり落ちそうになって、まだやっともちこたえていた。ふだんの大きさに比べると情けないくらいかぼそいたくさんの足が自分の眼の前にしょんぼりと光っていた。「おれはどうしたのだろう?」と、彼は思った。夢ではなかった。(『変身』より)』

『変身』は1915年に発表されています。

≪しかし、ドクトル・カフカが賛嘆したのは古代支那の絵や木版画ばかりではなかった。彼をさらに魅惑したのは、古代支那の格言や比喩や、警抜な逸話--それに支那学者リヒアルト・ウィルヘルム=チェンタオの翻訳で知った宗教書などであった。そのことが分かったのは、私が或るとき、老子の「道徳経」のチェコ初訳を傷害保険局に持っていたときのことである。ドクトル・カフカは興味深げに、粗末な紙に印刷した小型本を繰っていたが、それを机に置くとこう言った。「私は、翻訳でおよそ可能なかぎり--かなり永い間、道教に深入りしていました。イエナのディーデリヒスが出したこの方面のドイツ語訳は、殆ど全部持っています。」(中略)「私が格言のガラス玉によって発見したものは、実は老子のガラス玉を受け止め、受け入れることのできない、私の思想の受け皿に過ぎなかった。これはかなり憂鬱な発見でしたから、私はガラス玉遊びを止めました。私はこれらの書物を半分だけ理解し、愛したに過ぎない。これがその『花咲く南国の書(南華真経)』です。」ドクトル・カフカは、荘子という著者名のついた一冊を手にとって、ちょっと頁を繰ってこう言った。≫(G.ヤノーホ著 『カフカとの対話』より)

夢の胡蝶が虫に変化して、竈下をはいずり回ったわけでしょ?
ほとんど誰も研究していないのは何故?

参照:ペルソナ OP集
http://www.youtube.com/watch?v=3f6gLdts4zA

今日はこの辺で。


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