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テーマ:猫のいる生活(135922)
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しかしあそこの町長と副町長、そろって公務で出張って!? ふつうトップとセカンドは揃って行動しないでしょう。 ふたり揃って飛行機に乗って、航空機事故にでもあったら、たちまち町の機能が破たんしてしまうのに。 沖縄県人が多くいる大正区なんて河川より低い土地に家があるので、増水したらタイヘンなことになるのですが。 そんなでチャッピくんは、ベランダでご散策中~ 最近、このひとベランダ出ること多いです。 気候が良くなって、気分はベランダ? ここに古いロシアの面白いと云うかバッチイお話しがでています。 それは...今はそんなこと無いでしょうが、第二次大戦が終わった頃のロシアにはトイレットペーパーなるものが存在しなかったらしい。 ロシアに抑留されてた日本人捕虜が大勢証言しています。 捕虜収容所だからトイレットペーパーが無かったのか? ところがロシアの捕虜収容所では捕虜も、ロシア人の兵隊も同じトイレを使ってた(それ自体が考えられないことですが)。 トイレは横の壁がない、要するに隣でウ○コしてる人が丸見えのトイレ。 ウ○コしながら隣の人とお話しをしているらしい。 日本人捕虜は草を乾燥させたものや、衣服の切れ端をもってトイレに入っていたらしい。 これでお尻を拭くのです。 ぢゃあロシア人は? 拭かないんです。 ウ○コし終わったら、そのままズボンをあげてお終い。 バッチイ話しです。 しかもトイレには手洗いなるものも存在してなかった。 トイレを使った後は手を洗うのが当たり前の日本人の習慣がおかしいのか? 同じ日本人捕虜で、ロシア兵のパンツを洗う係りをしていた人の証言では、何十枚もの汚れたパンツを1枚1枚洗うのはカナワンとドラム缶にお湯ためて、煮沸したと云ってます。 それを見ていたロシア人に、これはいいアイディアだと褒められたと云いますから、どんだけロシア人は汚かったのか。 第二次大戦でロシアが樺太に攻め込む前、樺太の新聞社に勤めていた日本人の証言。 ここにはロシア人のスタッフも数十人勤めていました。 ここの社員用トイレの板壁、至る所に指でこすりつけたウ○コがぬったくってあったのです。 ちゃんとした新聞社ですから、紙は置いてあったのですが、習慣と云うのは恐ろしい。 日本人スタッフはこの行為に辟易して、ほどなく会社のトイレを使わなくなりました。 この話には後日談があります。 ロシア人から「社屋のまわりに、立ち小便の跡がたくさんあります。これは日本人のみなさんがした汚い行為です。たいへん下品なことです。善処してください」 当時の日本人の男は、ところかまわず立ち小便をする習慣がありましたが、北国の生活に長い伝統を持つロシア人にはガマンできぬことだったのです。 きれいな新雪を汚すことは、いかにも無神経な所業だったらしい。 ロシア人から云わせると、トイレをしたあとトイレットペーパーを使わないのは、食物が黒パンと塩湯(スープ)が中心なので、兎のような乾燥したウ○コしか出ない。 下着もそんなに汚れるワケではないと云うのですが...寒い土地だけに痔疾患者が多く、下着は結構汚れていたと云うのが日本人捕虜の証言です。 整備工事で閉鎖になった大阪の中之島公園。そこに暮らしてた約70匹の子供たち。 心あるボランティアのご尽力で「猫の部屋」と呼ばれる仮住まいを得ることができました。 すこしずつ里親さまも決まってきてますが、まだまだ多くの子供たちが良いご縁を心待ちにしています。 なを「中之島公園の猫たち」では恐縮ですが現金によるご支援は一切お断りしております。 「公園ねこ適正管理推進サポーター制度」が実施されています。 そちらのリンクもありますので、大阪市在住の方はぜひ見てください。 動物と人間との共生・動物の地位向上を目指し活動を続ける保護団体を応援するための「にゃんわんプロジェクト」が立ちあがっております。 バナーの貼り付けなど、ご協力いただければ嬉しいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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