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2007年01月10日
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慌ただしくクリップのみ。

 

 平塚市美術館では今年度、黒田清輝作『赤星弥之助像』(油彩・キャンバス/1909年)の購入が決まった。3月議会で承認された平成16年度一般会計予算で美術館業務関係経費「作品・文献等購入費」として1千5百50万円を計上、この絵の購入費に充てられる。

 モデルの赤星弥之助(1853~1904)は鹿児島出身の実業家。古美術の蒐集家としても知られ、大磯に別荘をもつなど湘南地方にゆかりのある人物だ。 市美術館所蔵の安田靫彦作『赤星母堂像』(紙本着色・軸/1943年)のモデル、静子と弥之助は夫婦である。弥之助像の購入により、日本画と洋画の大家が それぞれの時代に描いた夫婦の肖像が、再び巡り会うこととなる。

 現在は契約に向けての手続きを進めている段階で、同美術館が新たに作品を購入するのは、平成10年に版画を購入して以来6年ぶり。なお、この絵のお披露目展示は今年の12月4日から開催される予定だ。

 今回、購入が決まった黒田清輝作『赤星弥之助像』は個人所蔵のものだった。しかし、市美術館が所蔵する安田靫彦作『赤星母堂像』とそれぞれのモデル、弥 之助と静子が夫婦であることから、一つの所有者のもとに納めないかと購入の話が持ちかけられた。

 赤星弥之助は大磯に別荘をもち、鋼管鋳造で得た巨富で書画骨董など美術品を大量に購入するなど湘南の文化を担った人物としても知られる。明治期に相次い だ国宝級の美術品が二束三文で海外に流出するというケースを防ぐなど、目利きとしての評価も高い。

 黒田清輝(1866~1924)は島津藩士の出自。芦ノ湖を背景に浴衣姿の夫人を描いた『湖畔』など、明るい色調の外光派風の作品で知られ「日本近代洋 画の父」と言われる。『赤星弥之助像』を描いた翌年(44歳)には、洋画家として初めて帝室技芸員を命じられるなど、名実共に充実した時代といえる。黒田 は大磯に滞在した時期もあり弥之助と同郷であるなどの縁から、弥之助の没後、遺族の依頼で制作したものではないかとも考えられている。一方、安田靫彦 (1884~1978)は大磯在住の日本画家で、戦前戦後を通じて近代日本画の発展に尽くした。

 平塚市美術館では「湘南地域の文化として、日本を代表する日本画と洋画の大家が描いた赤星夫妻の絵が対になっていることに意味があると思います。購入の 打診があった当初は、予算がつくのかという思いもあったが、当館をアピールできる貴重な作品。多くの人に観ていただきたい」と話している。

ネタ元:タウンニュース 

 

 

 赤星と書いてアカホシと読む。
 赤星四郎は、古き良き時代のアメリカのゴルフを日本に持ち込んだ第一人者である。
 赤星四郎は赤星弥之助、静の四男として生まれた。兄弟は長兄が鉄馬、次男兵造(早世)、三男喜介、弟は五郎と六郎。その他に、長姉シマ、次女てる、三女トヨ、四女房子、五女フミ、末妹がスエである。
 簡単に番号をつけたような名前で、覚えやすい。何しろ六男六女で、その数は一ダースと多産だった。母親の静は十三歳で結婚し、十二人目のスエが生まれるまで、いつもお腹を突き出し、そしていとも簡単にお産していた。
 父弥之助は鹿児島の旧郷士。出身は磯永家で赤星家の養子になる。甲突川の外側の田畑の中に家があり、半農だった。しかし、いざ戦さとなると、帯刀して橋を渡り、戦さに備えた。
 幸い江戸時代の薩摩藩は、幕府隠密の越境がむずかしく、内乱も戦さもなかった。郷士たちは剣をふるうことはなく、せっせと田畑を耕した。
 赤星弥之助が実業界に顔を出すのは、明治維新後である。彼の遠戚に当たる五代友厚に師事し、神戸港の築港工事を引き受けて大金を得た。今日のメリケン波止場の築港だが、その後、五代友厚の下で働く。
 上京すると、旧薩摩藩の海軍御用掛をやり、日清戦争後は、母方の親戚に当たる樺山愛輔のエイジェントをやった。
 主たる仕事は、なんと英国に発注した軍艦に取りつける銃器全般のアームストロング社(本社マンチェスター)の代理店。鉄砲商を営み、巨万の財をなした。その金で古美術を買
い占めて、薩摩人には珍しく蓄財した。歴史家によると、
 「赤星は薩摩出身政治家の裏金造り」
 と評する者もいる。だが若くして四十八歳で急死した。

 家を引き継いだのは長兄の鉄馬で、本邸は東京・麻布の鳥居坂にあった。今日の国際文化会館である。
 
のちに鳥居坂の家を売って母親の静は大磯に、長兄鉄馬は吉祥寺に三万坪の土地を買って引っ越す。
 鉄馬の屋敷には、ワングリーンがあったほどの広大な敷地で、牧場を経営していた。のちにこの土地は三菱に売り渡し、今日の成蹊大学がその一部を使っている。
 
赤星邸が鳥居坂にあったのは、父・弥之助没後三十年近い。その間、四人の息子をアメリカの高校、大学に留学させた。
 長兄の鉄馬は十五歳で渡米。ローレンスビルハイスクールからペンシルベニア州立大へ。長兄と入れかわるようにして三男の喜介もローレンスビルハイスクー ルからプリンストン大学へ留学した。二歳下の四郎も同じ高校からペンシルベニア州立大学へ進み、兄弟でホテル住まいしながら通学している。
 四郎とは四つ下の弟六郎も同じ高校からプリンストン大学に入った。もっとも高校のときから兄と同じホテルから通学している。大学時代の四郎は、アメリカンフットボールの選手だった。日本人としては兄の喜介が、一番早くからフットボールを始めている。
 この兄弟、ゴルフは高校時代からで、パブリックコースで始めていたが、余り好きではなかった。もっぱらアメリカの学生と一緒にフットボールを楽しんでいる。

 
赤星兄弟が本格的にゴルフをするのは帰国後である。兄二人ともゴルフ愛好家で、長兄の鉄馬は東京ゴルフ倶楽部が発足したときの会員である。誘ったのは発起人の一人、樺山愛輔(日本製鋼所社長)だった。そのうちに喜介も入会した。
 四郎も帰国後、二人の兄に誘われて入会した。赤星財閥は古美術品を売った金で留学させ、ゴルフの入会金を払い、六郎がプリンストン大学を卒業して帰国した頃は、大半を売り払っている。
 長兄鉄馬は父親の仕事を引き継ぎながら、朝鮮で軍馬も育てていた。母静は、遺産の高価な古美術品を売り、子供たちに、当時の金で月二千円(二人分)を送金したというから、贅沢な留学である。
 末弟の六郎が、プリンストン大を卒業して帰国した頃には、古美術品のほとんどが売り払われ、残ったのは鳥居坂の家と大磯の別荘、それに、わずかな美術品だけとなった。
 赤星財閥の財産は、四人の息子の教育費とゴルフ代に消えている。五人兄弟ともゴルフ愛好家で、なかでも四郎と六郎は、日本のゴルフ界のために赤星家の財産をつぎ込んでしまった。
 悪い表現でいえば、留学とゴルフで財産を食いつぶした兄弟ということになる。

 
六郎がまだプリンストン大に在学中、東京ゴルフ倶楽部では「ゴルフの赤星」が有名になる。
 鉄馬はさほどではないが、三男の喜介は大正十年の日本アマで四位になる。四郎はこの年にアメリカから帰国するが、すぐに徴兵され、幹部候補生(少尉)と して近衛騎兵隊に配属され、大正十一年に除隊した。その後、横浜にあるスタンダード石油に入社するが、十二年の関東大震災で一時ゴルフを休む。翌十三年に 再開した日本アマに初出場して三位に入った。この年、六郎はアメリカのパインハーストで優勝した。
 四郎は、その後十五年九月の日本アマで初優勝する。二位は帰国したばかりの弟六郎である。兄弟そろって一、二位になった。
 この兄弟は、東京ゴルフ倶楽部選手権でも優勝を争った。十四年と十五年の大会では、弟六郎が二連勝。昭和二年大会は兄四郎が優勝した。
 赤星兄弟は第一回の日本オープン戦でも争った。五月二十八、九の二日間、72ホールで行なわれた日本初のオープン戦は、帰国して間もない六郎が二位の浅見緑蔵プロに10ストロークの大差で優勝する。このとき、兄の四郎は四位に入った。
 昭和三年大会では四郎は三位。四年大会では六郎が五位、四郎十九位。六年大会になると、もう一人の赤星五郎(彼のみが留学しなかった。のちに大正火災副社長)も活躍した。
 昭和八年大会では、赤星三兄弟がそろって出場している。この赤星兄弟は、ゴルフが終わると決まって新橋の料亭で豪遊し、迎えの自家用車で帰宅している。
 いったい一年でいくらのゴルフ代を使ったかというと、当時の金で千円(東京ゴルフ倶楽部の入会金が千円)は下らなかったという。六郎は仕事についていな かったので、父親の残した古美術品を売ったお金(一個で一年間生活できた)の中からプレー代や料亭代を支払っている。
 夜の支払いは、負けた者が全顧支払ったそうだから、昔のオーナー社長たちは、今日のようなシケたチョコレートではなく、夜の料亭代を賭けていた。さぞかし賭けゴルフも、真剣だったろうと想像する。

ネタ元:早瀬利之「風たちのレジェンド」 

 ※早瀬利之氏に無断転載のお詫びを申し上げます。このブログは私のスクラップブックのようなものですので、どうぞお許し下さい。赤星一族については、もう少し知っておきたいと思います。

 

ちなみに鳥居坂の館の食堂に藤島武二が壁画を描く予定だったが、下絵だけに終わったという。






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最終更新日  2007年01月10日 05時21分35秒
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