テーマ:ヨーロッパ旅行(4157)
カテゴリ:東欧
フランツ.ヨーゼフとsissiの息子、ルドルフはマイヤーリンクで心中したとされている。 1983年長い亡命から帰国したオーストリア.ハンガリー最後の皇后ツィタはタブロイド紙にあのヨーロッパを愕然とさせた大スキャンダルが「暗殺」であったことを語った。 1.暗殺の疑惑があったが政府要人が関与した為、、政治的混乱を回避した。 2.教皇は1度は皇太子の葬儀許可を拒否。暗殺の疑惑をもって2度目に許可。 3.事件後の室内は、家具がひっくり返える等、激しい争いの痕跡があり、壁に弾痕・血痕が多数あった。 4.皇太子は綿の詰められた黒い手袋をしており、(軍服であれば白手袋が常識)手の自由は奪われていた。 5.皇太子の右手は手首から切断されていた。 この時、皇太子30歳、マリー.ヴェッツェラ17歳。 17歳で愛人なのか・・・ 「ルドルフが生きていたら、第一次世界大戦は起きなかった」と言われている。 皇后ツィタは選民思想が強く、ハプスブルグ家は必ず再興すると死ぬまで信じていた人だから、嘘ではないかもしれないが、思い込みもあるかもしれない。それだけプライドの高い彼女が大衆紙にそれを語ったというのも腑に落ちない。 オーストリアは謎を謎のまま封印するだろうか。 それとも墓を掘り返して徹底的に調査するだろうか。(既に墓は荒らされている) ルドルフはベルギー王女ステファニーと結婚し、1女をもうけていた。 彼の死後、「王室とは一切関係なし」と誓約書を書かされ、再婚する。 最後の皇女エリザベート(母と同名)は軍人と結婚後、うまくいかず、社会党幹部と再婚、「赤い皇女」と呼ばれた。 Pepsiをclick! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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