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テーマ:イタリアの美味しい話(701)
カテゴリ:町
今日は、ミラノつながりで、コストレッタ・アッラ・ミラネーゼと並ぶミラノの名物料理、リゾット・アッラ・ミラネーゼの話です。
サフランの鮮やかな黄金色が特徴のこの料理には、言い伝えが色々あるようです。 私が覚えているのは、「ミラノのドゥオモを造っている画家が、絵の具にサフランを使っていて、それがなんやかやあってリゾットに入ってしまった・・・」、というような話でした。 あやふやだったので、本当はどんな話だったか探してみましたよ。そうしたらこんな話が見つかりました。(出典はこちら) 1574年9月のこと。ミラノでは、200年前に始まったドゥオモがいまだに建設中で、ヨーロッパ中から、大勢の大工や彫刻家たちが集まっていました。 その中に、ヴァレリオ・ディ・フィアンドラという、ベルギー人のガラス職人の親方がいました。 親方の担当は、聖ヘレナの物語を描いたステンドグラスです。ミラノには、選りすぐりの弟子たちを連れてやってきました。 その弟子たちの中に、絵の具の配合にかけてはずば抜けている若者がいました。彼が作る絵の具の色は、驚くような美しさなのです。 実は、それには秘密がありました。絵の具の中に、こっそりサフランを一つまみ加えていたのです。 親方は、一番見込みのある弟子のサフランフェチに気付いてはいたのですが、さほど気にしていませんでした。 「そんなにサフランが好きだと、そのうちリゾットにまで入れてしまうぞ」、というのが、弟子をからかう時のお気に入りのセリフでした。 数年後、弟子は、親方の娘と結婚することになりました。 いつも親方にサフランねたでからかわれていた弟子は、この晴れの席で、飛び切りのいたずらを思いつきます。 料理人を買収して、披露宴のリゾットに、本当にサフランを入れてしまったのです。 テーブルに運ばれてきたリゾットを見た客たちは、みんなぎょっとしました。 それは、巨大なピラミッド形に盛られた、紛れもなくサフラン色のリゾットです。 「とうとう・・・」と誰もが思いました(あっ、これは私の脚色でした)。 客の中で一人、恐い物知らずだったのか、相当好奇心が強かったのか、そのリゾットを口にした人がいました。 それにつられて一人、また一人と、リゾットを食べだしました。 するとどうでしょう、あっと言う間に、山のようにあったリゾットが、一粒残らず平らげられてしまったのです。 こうして、リゾット・アッラ・ミラネーゼが誕生したのでした。 弟子の名前は時と共に忘れ去られてしまい、今では、「ザッフェラーノ」というあだ名のみが伝えられています・・・ 左の写真はシルク・ド・ソレイユではありません。ミラノのドゥオモの細い塔の先端に乗っかっている彫刻です。 こんな高い所にどうやって取り付けたんでしょうか。しかも正面の姿は誰も近くで見れないのに・・・ ↓ この話はミラノ人の空想の産物ですが、イタリアの料理の伝説は、ほんとに面白いものばかりです。 この他にも、結婚するのは親方で、披露宴のリゾットの具を何にするかで悩んでいたら、アブルッツォ州出身の職人が、「私のくにじゃ、チーズとサフランを入れますよ」、とアドバイスしたので、その通り作ってみたら大評判になった、なんて話もあります。 ただし、この話の出所はアブルッツォです。アブルッツォはサフランの産地なんです。 実際には、サフラン入りリゾットのレシピが世に出たのは、現在わかっているものでは、一番古くて1809年でした。 ●ゾット・アッラ・ミラネーゼ レシピの原文はこちら 1) バター20gと牛の骨髄40g(刻む)を鍋に入れて弱火で溶かし、玉ねぎ半個のみじん切りを入れてしんなり炒めます。 2) 火を強めの中火にして米(ヴィアローネ・ナノかカルナローリ)を入れて炒め、白ワイン半カップをかけて水気を飛ばします(米の量は一人当たり3握りって書いてあります。大雑把)。 3) 沸騰したブロード・ディ・カルネをレードルで2~3杯かけてかき混ぜ、後はかき混ぜずに煮ます。 4) 水気が減ったら、その都度ブロードをレードルで2~3杯足します。半ばでホールのサフラン0.5gをレードル1杯のブロードで溶いて加えます。 5) 米がアルデンテで“アッラ・オンダ”(ゆるやかに波打つ海面のような、適度に水分が飛んでいる状態)になったら火を止め、おろしたパルミジャーノとバター20gを加えてよく和えます。 6) 皿に盛り付け、2分休ませて味をなじませます。 今日の1品~リゾット用にはヴィアローネ・ナノを薦めるレシピが多いようです ヴィアローネ・ナノ イタリア米 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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