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2007/09/20
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カテゴリ:今日のカープ
思えば,そのデビューから,まさにカープの屋台骨を背負って立つべき宿命を与えられていたのだろうと思う。

1990年。前年2位とはいえジャイアンツを終盤あわやのところまで追い詰め,当然優勝候補にも数えられた(というより,あのころはそれが当然だったのだが)。しかし,開幕戦でタイガースに大野を立てて0-9の惨敗。次の試合を川口で取ったものの,横浜スタジアムでのホエールズ戦。盤石のクローザーであったはずの津田が崩壊して敗れ,次の試合も落として崖っぷちに追い込まれた3戦目,4月12日。プロ初登板初先発のマウンドに立った佐々岡は,見事に完投勝利を収めた。これがなければ,このシーズンのカープは悲惨な大崩壊を起こしたかもしれない。まさにこの1勝は10勝以上の価値のある白星だったと思っている。

その後は,ルーキーイヤーにもかかわらず先発からクローザー,終盤でまた先発という大車輪の活躍。そして翌1991年,そう現時点における最後の優勝を達成した年。数字もすごいが,内容はもっとすごかった。球の速さはもちろんのこと,音を立てて曲がるような高速スライダーで相手打者をねじ伏せていた。2年目にして押しも押されぬ大エースとなった。

その後は,1993年に思わぬ大崩壊を起こし(奇しくもこの年野村謙二郎も極限のスランプに陥ってしまう)チームは最下位,逆説的にその存在感の大きさを示したりもしたが,その後の佐々岡真司は,チーム状態に振り回され,迷走する監督の方針に振り回されと,決してシーズンを通して満足できる結果を残した年は少なかったのかもしれない。しかし,1996年はシーズン通してクローザーとして君臨し,1999年は7年ぶりの二桁勝利が15勝,しかもノーヒッターにもなった星。いや,もう佐々岡は終わったと思われた昨年,前年シーズン終盤に辛うじて1勝から,ただ一人シーズンローテーションを守ってあげた8勝。これこそがまさに佐々岡真司の真骨頂,15年以上もカープ投手陣の屋台骨を支え続けたプライドだったのだろう。

積み上げた勝ち星は138,セーブは106(もちろんまだ増える可能性もある)。ほかにはかの江夏豊しかなしえていない100勝100セーブのレコードホルダー。カープの球団史上に残る大エース,いや球史にその名を残す存在というべきだろう。

やはり,引退を決意させたのは7月29日の東京ドームでの6失点KOだったようだ。その後ファームに落ちたあと,いっこうにその名が聞こえてこないのでもしやとは思っていたが,やはり自分の思う球が投げられなくなったことをあの日悟って,それから何か気力が抜けてしまったのだろうか。そういえば,大野豊氏も引退を決意したのがやはり中継ぎ登板した東京ドームでのジャイアンツ戦,自分のベストピッチを高橋由伸にスタンドに運ばれた時という。やはり,カープとジャイアンツの対決を軸に優勝争いが展開されていた時代を知る投手が天命を知るのがジャイアンツ戦というのは何かの因縁なんだろうか。

カープは,本拠地最終戦を引退試合に当てるという。このままで行けば10月6日のベイスターズ戦。もちろんそれが最良の舞台だろうけれども,個人的には,その前にあるホームでのドラゴンズ戦で登板の機会を見てみたい。もちろん,1999年5月8日にノーヒットノーランを達成した相手でもあるし,1991年のペナントレースで優勝を争った相手。そして,ルーキーイヤーの1990年8月14日,クローザー登板のはずが追いつかれ,その9回裏に打席が回ってきて相手クローザーの郭源治からサヨナラホームランを打って落とし前をつけたという試合もあった。その最後を飾るに,最もふさわしい相手のような気がする。

ただし,問題はドラゴンズが優勝のかかる試合になる可能性があること。となるとやりづらいか。

とにかく,(まだ終わってはいないけれども),本当にカープを支えてくれてありがとうございました,と言いたい。あの1991年10月12日タイガース戦ダブルヘッダー第2試合の,中3日先発で7回無失点。優勝がかかる試合で,市民球場外野席からも感じた絶対自分が抑えるというあのオーラを,絶対に忘れない。そしていずれはそれをふがいない結果ばっかり残しているカープのピッチャーに注入してほしい。

平成の大エース・佐々岡の名は永久に残る。
bana

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なかのひと





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Last updated  2007/09/21 08:44:01 PM
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