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テーマ:~広島東洋CARP~(4355)
カテゴリ:今日のカープ
客観的には無条件降伏に近い状態であることは動かしようもない事実ではあるが,ついに今日,マーティ・ブラウンは自らの采配を持って今シーズンの終戦を示した。今日の試合の意味はそれだけである。
悪いながらも孤軍奮闘した高橋建こそいい面の皮かもしれないが,それを心から受け入れたのは投手陣ではなくむしろ攻撃陣の方かもしれない。あの程度のピッチャーに3回までで3点しか取れないチームが優勝争いなんておこがましい。1回でお引き取り願うことだって十分可能だったはずだ。それが出来なかった時点で,結局敗戦投手の責任を先発投手にするかリリーバーにするかだけの違いしかなかったのかもしれない。 まあ,そもそも論として,あれだけ攻撃陣が機能不全に陥っているにもかかわらず,その最大の戦犯と目されているシーボルを堂々と5番で起用するということに,カープファンは監督からのメッセージを読み取らなければならない。つまり,目先の勝利とか,これから粘って上位に食らいつくとか,いや同じ相手に続けて負けないという最低限のプライドすら,今のカープには問題ではないのだ。今彼が守ろうとしているものは,シーボルに多大な期待をかけなかればならなくなったチームの客観的状況を昨年むざむざ作り出したフロントである。それ以上でも以下でもない。 まあ彼などはもうどうでもいいのだが,もう一つ理解しておかなければならないのは赤松と天谷への異常なこだわりである。いうまでもなく,監督さんはさかんに機動力野球というものを標榜しておられる。しかし,これだってま昨年の11月以降に付け焼き刃で考えたものでしかない。要はこれだって4番目の打者のFA移籍を受けて,その手際のまずさを指弾されたらひとたまりもないフロントがあわてて考え出した後付けの知恵に他ならない。だからこそ,実際には機動力の「き」の字も見えないような野球をやっておきながら,彼らの起用にこだわるのである。すなわち,これもまたフロントの体面とか保身というものを監督が肩代わりしてやっているに過ぎない。それでもこれまではうまくいっているようにも見えていたが,そういう浅ましいものは野球の神様の裁きを受けるということなのだろう。 おそらく,普通に考えれば,ここ数試合の結果を踏まえれば,6番天谷というのはあり得ない。もちろん彼が絶好調ならその限りではないが,今や赤松と天谷の二人を足して1人分にも満たない程度の調子でしかない。不肖この私などは, そういうときのために 緒方孝市とか 前田智徳が 控えているんじゃないですか と思うのだが,どうも違うらしい。カープの野球の将来形を見せておいて,来年はこんな野球をやりますから期待して下さいというものを見せるのが今重要であるらしい。緒方や前田の力を借りて勝っても来年以降に何も繋がらないから負ける方がまだましだということなのだろう。 こういうメッセージを,現場監督から,おそらくはその後ろで糸を引いているであろう大マツダ帝国の大元帥である将軍様から受け取ったならば,もうそれ以上でも以下でもない。とにかく今シーズンはどんなに恥辱を受けようがひたすらその辱めに耐えよ,来年伸びんとするために今縮んでいるのだということを仰るのである。まあ,蒲焼きや松茸の匂いをかいで飯を食えというレベルの話ではあるが,なぜか広島という地ではそれがまかり通るから仕方がない。 そうなると,ファンのとるべき姿勢はもう限られてくる。すなわち, 宮城前広場で突っ伏してただ泣き叫ぶか, それを是とせず銃を向けるか のいずれかである。 今日の試合でもっとも危惧することは,粘り抜いて耐え抜いてしのいだ高橋建と,序盤からただ一人ヒットを連ねて孤軍奮闘した東出のモチベイションが切れないかである。この試合で自分の存在はシーボルや赤松や天谷よりも軽いことを深く認識したならば,シーズン終了後に彼らがとるべき行動に影響を及ぼしそうな気がする。 当然今日も小ネタなど書いておられぬ。戦争犯罪人訴追の準備でそれどころではない。 BlogPeople ↑ポチッと,クリックしていただけると励みになります。よろしくお願いします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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