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December 23, 2010 楽天プロフィール Add to Google XML

【罪悪感への処方箋】すでに溢れるほど豊かに受けている・・・
[ ★罪悪感への処方箋 ]    

 

《罪悪感への処方箋 Day 17》


「周囲の人々も私と同じように報いを受けるべきだ」というような間違った信念に対して、聖書の真理に対する信仰はこうです。

信仰3.「神様、恵みにより無償で、わたしの罪を赦し、永遠の命をお与えくださりありがとうございます」

わたしたちの信仰に報いてくださるのは神様だけです。その証拠に父のふところにいた独り子イエス・キリストがあなたの救いのためにこの地上に遣わされてきま した。あなたの罪をあがないその泥沼から救い出すために、キリストは十字架で命を捧げてくださったのです。ヨハネ3:16節には、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」と記されています。あなたを愛するがゆえに最も大切な御子イエスの命が捧げられ、最も高価な血潮が流されたのです。

もし自分だけの思いで、悪に対しては悪で報いようとすれば、結局のところ 神様に対して罪を犯してしまうことになります。聖書はこのように戒めています。「だれも、悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。お互いの 間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うよう努めなさい」(1テサロニケ 5:15)。「悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです」(1ペトロ3:9)。

聖書またはこのように言っています。「罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです」(ローマ6:23)。私たち人間はみな罪のゆえに死という報いを受けるべき受けるべき存在でした。しかし、罪をあがなってくださったイエス・キリストを信じることによって、無償で罪が赦されて永遠の命を賜物として受けることができるのです。

2コリン ト5:10はこう言っています。「なぜなら、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行っ たことに応じて、報いを受けねばならないからです」。これは、キリストを信じなければそれに対する報いを受けてしまうが、キリストを信じ従うならばそれに 応じて善い報いを受けることができることを言っています。

そういうわけで、私たちクリスチャンは神さまが報いてくださることを信じ、信仰によって委ねることが大切です。「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める 者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです」(ヘブライ11:6)。

イエス・キリストはわたしたちの罪を 担って十字架で苦しまれたことにより、すべての人の「友」となってくださいました。さらには、キリストを信じた人々を「神の子ども」(ローマ8:14)とし、神の家族の一員としてくださるのです。その神の子とする霊によってわたしたちクリスチャンは、神さまを「アッバ、父よ」と呼ぶ特権が与えられました。(ローマ8:14)

ローマ8:17はこうも教えています。「もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかも キリストと共同の相続人です」。クリスチャンが神の御国を相続するという言葉の意味は、罪の赦しを受けて永遠の命を受けた私たちが、天国において父なる神さまとの親しい交わりを永遠に持つことができるということです。主イエスが父のふところにいたように、わたしたちも大胆にその愛のふところに飛び込んで行くことができます。

つまり、主イエスが父の愛を100%知っていたのとまったく同じように、わたしたちもその愛に100%浸ることができるのです。主イエスは天の父にこのように祈られました。「父よ...あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一 つになるためです」(ヨハネ17:21-22)。 またこのように祈られました。「父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてください。それは、天地創造の前からわたしを愛して、与えてくださったわたしの栄光を、彼らに見せるためです」(ヨハネ17:24)。この主イエスのとりなしの祈りによって、私たちは主イエスと共同の恵みの相続人とされたのです。


その将来の約束の希望を胸に、この地上での生涯においても愛、喜び、平 安、感謝、という素晴らしい良いものだけで満たしてくださっています。この地上で神様に喜ばれることはすべて天に宝として蓄えられます。それは決して虫が ついたり錆びついたり朽ちたりすることがない永遠の宝です。御国を受け継ぐとはそういうことであり、その素晴らしい報いをすでに溢れるほど豊かに受けているのです。「あなたがたは、御国を受け継ぐという報いを主から受けることを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです」(コロサイ 3:24)。


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Last updated  December 23, 2010 10:41:43


December 15, 2010

【ゆるしの40日】いやし=(イコール)交わりの・・・
[ ★ゆるしの40日 ]    

 【ゆるしの40日--DAY 21--】

 

●いやし=(イコール)交わりの回復

魂のいやしとは、罪の告白とゆるしによって神様との交わりが回復することです。これは神様との敵対関係にあった人間と神様との間に和解がもたらされることであたえられるいやしです。

ま た、罪が赦されるだけではなく、神様は永遠の命を約束してくださっています。「死」が人生の終わりではなく、その向こう側に永遠の世界があることをを主イ エスは教え、天国を約束しています。「わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろう か。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることにな る」(ヨハネ14:2-3)。

主イエスが、この地上において宣教活動の中で「いやしのミニストリー」を行った目的は、人々がその偉大なる 神の御業を目撃することで、神様信じて救いに導かれることです。繰り返し言いますが、救いとは神様との関係の回復です。さらには、いやしを通して、神の栄 光が讃えられることが目的です。主イエスにいやされた盲人のように、いやされたことを通して、主イエスの後ろに従いながら神様を賛美しました。

も し単に、肉体のいやしだけが目的となってしまうのならば、人間はどうせいずれ死んでしまうのですからそのいやしに意義をみいだせなくなってしまいます。ど れだけ病気がいやされて快適な人生を謳歌したとしても、いずれ死んでしまうのですか、とても空しいものです。罪のゆるしと永遠の命を受けることが、魂のい やしをもたらし、この地上で平安に守られる人生を最後まで過ごすことができるのです。

ヤコブ5:16は罪のゆるしこそが魂のいやしであることを、このように言っています。「主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします」(ヤコブ5:16)。


DAY22「いやし=交わりの回復」へ続く
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※ゆるしの40日バックナンバー
DAY 1 ゆるせない苦しみ/DAY 2 クリスチャンでもゆるせない?/DAY 3 ゆるしは皆、必ず必要?/DAY 4 「ゆるし」が、どうしても必要な理由(わけ)/DAY 5 キリストの苦しみは誰のため?/DAY 6 どれほどの苦しみだったのか/DAY 7 十字架の苦しみ/DAY 8 十字架の痛み/DAY 9 二つの音の狭間で/DAY 10 ド真ん中にあるもの/DAY 11 あなたへの問い/DAY 12 二つの意味/DAY 13 条件付vs無条件/DAY 14 アメイジング・グレイス/DAY 15 あのゆるしを覚えていますか/DAY 16 ゆるしに有効期限?/DAY 17 ゆるしが取り消し?/DAY 18 もし、ゆるす、としたなら/DAY 19 高すぎない?そのハードル/DAY 20 いやしはどこから?




Last updated  December 15, 2010 08:31:02

December 10, 2010

【罪悪感への処方箋】すでに与えられている恵みを数える
[ ★罪悪感への処方箋 ]    

 

《罪悪感への処方箋 Day 16》


間違った信念3.周囲の人々も、わたしと同じように報いを受けるべき


人は生まれながらに見返りを求める性質を持っています。それは、「これぐらいしてくれたら、わたしもこれぐらいしてあげよう」、「〇〇をしてくれないなら、わたしも〇〇をしてあげない」、というような条件付の人間関係を生み出します。

この見返りを求める性質は、ねたみや嫉妬の原因になってしまいます。それは、「せっかく、わたしがこれだけしてあげたのに、あの人は何もしてくれない。お礼もない。感謝もなければ、ねぎらいの言葉もない」というように、批判的になり人を裁き始めるです。

こ の見返りを求める感情は、裏を返してみれば復讐心にも発展してしまいます。「これだけわたしが苦しんだのだから、あの人もこの人も苦しむべきだ」、「わたしを苦しめたあの人に、同じ苦しみを味わって欲しい」という感情です。これは悪意を持って相手を陥れたり、言葉や行動によって意図的に他者を傷つけること へとエスカレートする危険性があるのです。

しかし、聖書はこのように言っています。「復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である」(レビ記19:18)。

私 たち人間はみな例外なく罪人であり、神様の裁きを受けるべき身です。ローマ6:6はイエス・キリストを信じることによって罪がゆるされることの恵みをこう 言っています。「わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであ る...」。

このように、私たち人間を罪に定めることができるのは神様だけであり、私たち人間を裁くことができるの は神様だけであり、私たち人間の罪を赦し裁かれないようにしてくださるのも神様だけです。ですから聖書はこのように言っています。「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」(ローマ12:19)。

ま た、主イエスご自身がこう戒めています。「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる」(マタイ26:52)。イエス・キリストの恵みと憐れみに よって一度救われ罪を赦されたにもかかわらず、他人を裁くことで再び自分の手で罪を犯してしまうことのないようにとの愛に満ちた神様の配慮がそこにあるの です。

ヨハネの手紙第一3:14節はこう言っています。「わたしたちは、自分が死から命へと移ったことを知っていま す。兄弟を愛しているからです。愛することのない者は、死にとどまったままです」。このように、「周囲の人々も私と同じような報いを受けるべきだ」という信念を握りしめている限りは、その信仰は死んだも同然なのです。しかし、「主はわたしに報いてくださった」と、救いと赦しと憐れみと愛と平安と永遠の命などの、既に与えられている溢れるほど豊かな恵みを数え、心から感謝するなら、わたしたちはもはや人から何を得ようと苦しみことなく平安と喜びで満たされるのです。

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Last updated  December 10, 2010 09:31:56

December 8, 2010

とりかえしのつかない事態に・・・
[ 【一言レシピ♪】 ]    


そのうわさ話は

いつまで続けるつもりですか。


聖書は今、このように戒めています。

「愚かな議論、系図の詮索争い、律法についての論議を避けなさい。

 それは無益で、むなしいものだからです」(テトス3:9)。


キリストの体である

教会という場所で、

恵みとして与えられた

神の家族との交わりの中で、

人の悪口、非難、中傷、陰口を

いつまで続けるのですか。


最近聞いた信じられない話ですが、

ある教会の礼拝後の交わりの中で

誰かの奉仕のあり方についてや、

他のグループの活動について

悪いうわさ話を延々としている

クリスチャンがいたそうです。

そこをうわさ話をされている当人が通りかかると、

「まずいぞ!」とばかりに

あわてて話題を変えたそうです。


悲しいかな、その様子はとても、

教会であった出来事とは思えませんよね・・・。

しかし、残念ながら現実のようです。


それではもう

交わりの主である

イエス・キリストが不在


社交クラブや仲良しサロンのようなものであり、

もはや教会の交わりではありません



人はなぜうわさ話をするか知っていますか。


ある人は、

人から愛され認められたいという思いから

共通の敵を仕立て上げることで

 仲間を得よう
」とします。


また、ある人は、

優越感に浸りたいがために

誰かを非難することで

 自分を正当化しよう
」とするのです。


しかし、

あなたが知らなくてはいけないのは、

あなたの口からすでに出てしまった

その悪いうわさ話の炎は

森全体を焼き払ってしまうほどに、

取り返しがつかないほどに、

今この瞬間も

人から人へと

猛スピードで広がり続けているという

罪がもたらす恐ろしい結果です。




映画『ダウト』で、

主人公がこのように言いました。

屋上にあがり、

 あなたの枕をナイフで切ってみよ。

 風で町中に舞い散った羽毛を、
 
 下に降りてすべて拾い集めてみよ。

 二度とかき集めることができない

 その一つ一つの羽毛こそが、

 あなたの口から出た、うわさ話なのだ




ヤコブ3:6はこのように言っています。

舌は火です。舌は『不義の世界』です。

 わたしたちの体の器官の一つで、

 全身を汚し、移り変わる人生を焼き尽くし、

 自らも地獄の火によって燃やされます



また、このように言っています。

「わたしたちは舌で、父である主を賛美し

 また、舌で、神にかたどって造られた人間を呪います」(ヤコブ3:9)。


本来は、神様を賛美するために与えられた

神聖なる口であるにもかかわらず、

悪口や陰口を言う人間の罪深さを語っています。


うわさ話はキリストの体を傷つけ

再び主の御体を十字架で引き裂く

恐ろしい行為です。


あなたがすでにしてしまった

取り返しのつかない

そのような罪をも

主イエスは担って

十字架であがなってくださいました。


悔い改めて、

あなたの口を

神様に喜ばれる道具として

用いるために、

人生を180°方向転換するなら

今です。


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Last updated  December 8, 2010 20:22:09

December 6, 2010

【ゆるしの40日】いやしはどこから・・・
[ ★ゆるしの40日 ]    

【ゆるしの40日--DAY 20--】


●いやしはどこから?

神様は「いやし主」です。わたしたち人間は、自分自身の罪のゆえに苦しみますが、その罪を背負ってイエス・キリストは「ゆるし」の目的で十字架で命を捧げてくださいました。私たち罪人が受けるべき罰を、主イエスが身代わりとなって受けてくださったのです。そのことをイザヤはこのように預言していました。「彼(イエス)が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた」(イザヤ53:5)。ですから、わたしたちは、神様からゆるされることによっていやされるのです。

神様のいやしは三つの種類に大きく分けることができます。


いやし1.肉体のいやし。

主イエスはこの地上での宣教活動の中で、大勢の病気のひとたちをいやされました。マタイ4:23では「イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた」と、神の権威によって病人をいやした様子が証しされています。


いやし2.心のいやし。

主イエスは、わたしたちの心の傷をいやし、回復させてくださいます。十字架をとおして私たち人間が体験しうるあらゆる苦痛を味わわれた主イエスが、私たちの痛みを理解し、一緒に痛んでくださるお方です。ヘブル4:5はこのように言っています。「この大祭司(キリスト)は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです」(ヘブル4:15)。
例えば、料理をしていて包丁で指を切ってしまったとしても、ある程度の時間がたてば傷口はふさがり元通りになります。しかし、心の傷の場合は時間がたってもなかなか癒えません。人によっては、一生涯その傷を背負ったままの人もいます。「誰もわたしの痛みをわかってくれない」というもどかしさと孤独感が私たちを苦しめます。誰かから自分の存在そのものを否定されたように感じ、「わたしは必要とされていない。役にたたない。生きていても意味がない」と苦しむのです。
しかし、主イエスが「一緒に苦しんでいる」という事実が、「わたしは独りではない。わたしの痛みを理解してくださるお方がいる」という非常に大きな励ましと慰めとなり、心の傷はいやされるのです。


いやし3.魂のいやし。


体と心との両方の傷がいやされたとしても、魂がいやされなければ何の意味もありません。私たち人間は神様から命の息を吹き入れられた霊的な存在であり、体 (Bod)と心(Mind)と魂(Spirit)の三つがそろって初めて一人の人間とされます。第一テサロニケ5:23はそのことをこう言っています。「どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように」(5:23)。

このように体と心と魂はお互いに密接に関係しあっていますから、魂が苦しめば心が痛み、その苦しみと痛みが慢性化すると健康にも悪影響を及ぼしかねません。また、魂がいやされていない状態だと、病気や怪我などで体を痛めると、心も深く落ち込んで悩むことになります。「病気で死んでしまうのでは」「かさむ医療費が不安」「仕事を休まなくてはいけないし、生活していけるだろうか」などと、様々な将来への極度の心配や不安によって直るはずの病気も悪化することもあります。「病は気から」という言葉がありますが、魂のいやしによる「神の平安」が心を支配していれば、体と心のいずれかが悪い状況にあったとしても、平安で守られるのです。


DAY21「いやし=交わりの回復」へ続く
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※ゆるしの40日バックナンバー

DAY 1 ゆるせない苦しみ/DAY 2 クリスチャンでもゆるせない?/DAY 3 ゆるしは皆、必ず必要?/DAY 4 「ゆるし」が、どうしても必要な理由(わけ)/DAY 5 キリストの苦しみは誰のため?/DAY 6 どれほどの苦しみだったのか/DAY 7 十字架の苦しみ/DAY 8 十字架の痛み/DAY 9 二つの音の狭間で/DAY 10 ド真ん中にあるもの/DAY 11 あなたへの問い/DAY 12 二つの意味/DAY 13 条件付vs無条件/DAY 14 アメイジング・グレイス/DAY 15 あのゆるしを覚えていますか/DAY 16 ゆるしに有効期限?/DAY 17 ゆるしが取り消し?/DAY 18 もし、ゆるす、としたなら/DAY 19 高すぎない?そのハードル





Last updated  December 15, 2010 08:18:19

October 27, 2010

臆病になっているなら
[ 【一言レシピ♪】 ]    

 

神様の愛を誰かに伝えることに

臆病になり

自信を失ってはいませんか。

エフェソ3:17はこのように言っています。

「信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように」(エフェソ3:17)。


わたしたち人間は罪びとですから、

もともと「愛」が何であるかもわからずに生きていました。


愛とは神様そのものであり、

真実の愛は、イエス・キリストの十字架を通して

初めてわたしたち人類に現されたのです。 

 

もし、いまあなたが

「なかなか、あの人を愛せない」、とか

「この人に神の愛を伝えて、拒否されたらどうしよう」とか

不安の中にあるということは

もしかしたら一つ重大なことを忘れてしまっているのかもしれません。


その重大なこととは

「生きているのは、もはやわたしではありません。

キリストがわたしの内に生きておられるのです」

とガラテヤ2:20が証している事実です。

クリスチャンであるあなたの内には

キリストが住んでくださっています。


もし、その事実を

いま、ふたたび認め

もういちど受け入れるならば、

あなたには

えもいわれぬ勇気と平安が与えられるはずです。


あなたの内に住むキリストが

あなたの家庭、学校、職場において

かかわるすべての人たちを愛してくれるのであれば

何も恐れるものはないからです。


あなたの内に住まわれるキリストを

しっかりと見つめ続けるなら、

あなたは愛に根ざし

愛ににしっかりと立つ者へと

作り変えられるという、聖書の約束です。


あなたの内に住むキリストを

いまどのように見つめていますか。


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Last updated  October 27, 2010 17:58:31

October 8, 2010

「できない」とあきらめる前に
[ 【一言レシピ♪】 ]    

 

最初から、 「わたしにはできない」とあきらめてはいませんか。

フィリピ3:13はこのように言っています。

「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」(フィリピ3:13)

 

もちろん、 全能なる神様の前で「わたしにはできません」と認めつつ

「神様、あなたには何でもおできになります」と告白することはとても重要です。

なぜなら、神様はあなたの弱さの中でこそ力強く働くからです。

逆に、「わたしにはできる」という高慢さが

神様の働きを妨げる場合もあります。


いずれにせよ、

神様の御前に立つ前に

最初から「できない」とあきらめてしまっては、

もともこもありません。

なぜなら、神様はあなたを通して働かれる、

共同作業だからです。


ですから、いつもこれらの二つフレーズを

セットで心に刻みましょう。

「わたしにはできないことも、神様にはなんでもできる」と。

謙遜と傲慢は紙一重です。

「できません」とあきらめる前に、

「すべてを可能とされる神様」が

あなたの内に働かれることを感謝しましょう。


神様にはできることなのにも関わらず、

あなた自身だけが一方的に

できないとあきらめているものは何ですか。


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Last updated  October 8, 2010 11:20:13

August 31, 2010

ホームページ移転のお知らせ♪


日本バプテスト連盟 小倉キリスト教会の公式ホームページが移転に伴いリニューアルしました。

新しいサイトのアドレスは

http://kokura.jpn.org/です。

(旧:http://kokurabaptistchurch.radilog.net/

これまで使用していたプロバイダーが不況のため8月いっぱいで閉鎖を決断したようです。これまでの約6年間本当にお世話になりました。トータルで4万2千3百余名のたくさんの方々が閲覧利用してくださった恵みを心から主に感謝します。現在ではホームページを見て教会に訪問される方も毎年100名にものぼります。

新しいサイトは再びゼロからのスタートで、まだ完成ではないですが、引き続きご利用いただければ幸いです。教会サイトの編集作業に結構な時間がかかってしまい、ブログのほうもしばらく更新できていない状況ですが、ひと段落できますようお祈りください。

お手数ですが、新アドレスのブックマーク登録をよろしくお願いいたします。

新アドレスは

http://kokura.jpn.org/

です。

それでは、皆さまお一人お一人の上に主の祝福が豊かにありますようお祈りしてます。

角本尚彦



Last updated  August 31, 2010 09:13:42

August 11, 2010

【一言レシピ♪】プロセスを楽しむ
[ 【一言レシピ♪】 ]    

 

□一言レシピ♪

 

山登りは、

頂上に至るまでの

途中の様々な道のりに景色があるからこそ

頂の景色はより美しくなる。

あなたの人生の山頂にたどり着くまでの

プロセスを大いに楽しみまショ♪



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Last updated  October 8, 2010 11:01:44

August 5, 2010

【一言レシピ♪】変化
[ 【一言レシピ♪】 ]    

 

 

■一言レシピ♪

 

人生を変えたい

だけでも、なかなか変えれない。

 

でも本当は、

心のどこかで

変わることを恐れてはいませんか。

 

もともと人間は

生まれながらにして

変わり続ける者。

 

そろそろ

ブレーキから足を離して

ただ自然体で

変化を楽しんでみては。

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Last updated  August 5, 2010 09:51:32


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