学校一年間、ホスト先の裏にある学校に通った。小学校、中学校、高校まで一緒の女子校だった。 同じ敷地内に幼稚園もあったような気がする。 道を挟んで向かい側には同様に男子校があった。 スリランカではよほどの田舎(生徒数がすくないため)か都会の私立校でない限り男女共学は無かったように思う。 男女交際には特に厳しいのだ。 勉強のためとはいえ、同じ部屋に若い男女がいるなんてもってのほかなのだ。 だから、放課後なんて女生徒をじろじろ見る男子生徒が道にあふれていた。 すでに登下校で仲良くなった男女は、放課後ラブレターを交換するために待ち合わせをしたりしていた。 制服は白のワンピースにグリーンのネクタイ、白い靴。 浅黒いきれいな肌の彼女達には白のワンピースがまぶしいぐらい似合っていたが、黄色い肌の私には似合わなかった。 男子は白いシャツに白いズボン、白い靴。 女の先生達はいつでも素敵なサリーを着ていた。 これが日本で言うスーツのようなきちんとした格好なのだ。 授業は言葉が全く分からなかったので、美術、民族ダンス、家庭科、英語のクラスのみだった。 いつも暇で本当に時間がもったいなかった。 その後、地元のろうけつ染め工房に通った。 生徒のほとんどが仏教だったので、朝の朝礼では放送でお経が流れていた。 その他にイスラム教、カトリックの生徒がいたが、仏教のお経が流れている間は自分たちで祈りを捧げていたようだ。 生徒の貧富の差が激しく、私にとってはいろいろな事を学ぶいい機会になった。 鞄が買えない子、白い靴が買えないで草履で来る子、宗教の違いなど、、、 ホストファミリーは同等レベル以下の人との接触を嫌ったので、この学校こそが一般スリランカ人を知る源となった。 授業は基本的に教科書無しで行われていた。本は高級品なのだ。 先生が数学などの問題を黒板に書いて、皆でノートに写し取ってそれから解答するという形であった。 英語は教科書があったが、学校の貸出しであった。一年後には返却しなければならない。 もし、鉛筆などで何かを記入していたりしたら返却時に消しゴムできれいに消して返さなければいけない。 授業は午後1時に終了、帰宅後昼食を取った。 休み時間があり、皆はお菓子などを持ってきていた。私が何も持ってきていないと自分たちの分を分けてくれた。時には飴玉を歯で割って与えてくれた。 私だけに特別なのではなく、他の生徒に対してもそうだった。皆やさしいのだ。 爆弾テロ後、学校への鞄の持ち込みが禁止された。 爆弾持ち込みの危険性からだ。 しかし田舎だったので、そんな危険な雰囲気は全く感じられず異文化体験を楽しむ事が出来た。 一年間、勉強と言う勉強は全くしていなかったので、帰国後は大変だった。 |