政治的キャンペーンとみーちゃん
みー太がある日こんなことを言った。みー太「ぷっちたん、テレビドラマみたいな場面では、必ず、テレビドラマの出てくる人と同じことを言ったり、同じように行動すればいいんでしょ?」ぷっちは目眩がした。それでは政治的なキャンペーン的なテーマを含んだドラマを見せられたら一発でやられるなと。加藤隼戦闘隊という歌がある。朝の連ドラ「おひさま」に登場した井上真央さんの扮する陽子さんの兄は戦闘機のパイロットとなって戦争に行き、生きて帰ってくるが、これがもし命を落としていたら……。ドラマの作中に加藤隼戦闘隊の曲が出てきたことはないと記憶しているが、当時は国防の切羽詰まった必要性からそんな音楽を使って若者を危険な道へ導いた。ドラえもんのひみつ道具「ムードもりあげ楽団」は、色々な楽器を持ったちいさな奏者たちがのび太について周り、ジャイアンに出会って虐められそうになれば勇ましい音楽を演奏し、のび太が普段かなわないジャイアンを撃退してしまう。剣と魔法の世界を描いたファイナルファンタジーというゲームに登場する「光の戦士」たちのジョブ(職業)として、戦士や、魔法使い、忍者やサムライといったものの中に、「吟遊詩人」というものがある。剣を振り回したりして戦う姿からは程遠いものである。しかしこれの役割は上述のムードもりあげ楽団と同様で、「ちからのうた」という「コマンド」を選択して実行させれば、たちまち戦士やサムライの力が上がり、戦闘中の攻撃力が高まる。悪い言い方を選べば、加藤隼戦闘隊もムードもりあげ楽団も吟遊詩人も、「戦闘をけしかける」役割だと言えよう。お国を守るか、自己の命を大切にするか、そんな判断を、ドラマや音楽等のメディアで、作成者の意図に誘導されて動く。これは大変な危険性をもつ問題ではないか。ところで、「教育県」と言われる長野県の高校では、「自己判断」に関して生徒を「2層化」して、学力で分けて2通りの指導をしているようだ。学力強者の高校では、「何をどう判断するかは必ず自分でして下さい。後で何かあっても自己責任です。不安ならば人に聞くのもいいですが、聞くならひとりよりふたり、ふたりよりさんにんに聞いてください。自己責任です。」と指導する。学力弱者の高校、ひいては短期大学でまで、「何をどう判断するかは上の頭の良い人に必ず従ってください。自分で判断しないでください。何があっても【自己責任】です。」これでは破滅的、壊滅的に不条理だ。上の者の判断に従って責任を取るのは自分とは、それではこの世は王権専制なのか?みー太の高校は学力弱者だ。みー太がワクチンを打つのか打たないのか、戦争国家は賛成か反対か、自己の判断に迫られた時に、たまたま見たドラマのテーマに沿った判断を、目を輝かせて、考えもせずに選んだら……、この世は割と地獄、そう思った。ぷっち