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テーマ:競馬予想(62007)
カテゴリ:競馬予想・競馬結果・競馬情報
(↑いつものように過去のI氏の勝負のリンクです) I氏よ、すごい奴だよあなたは。 私の小さなスケールであなたを計ろうとしていたこと自体過ちだった。 昔、坂本竜馬が西郷隆盛を指して、鐘のような人物であり、小さく叩けば小さく鳴り、大きく叩けば大きく鳴る。 ただ、残念なことに鐘をつく棒が小さすぎたと。 そう評した。 まさに同じ気分だ。 私のような矮小な人間にI氏のスケールの大きさを知ることなどできなかったのだ。 正直、言葉はいらない。 画像がすべてを物語っている。 3連単1点50万円張り。 1着デュランダル3着テレグノシス固定で4点流し。 ラインクラフトの文字はそこにない。 ただ・・・ 驚くべきことに、菊花賞でI氏が的中した馬券の額は135万円。 それに、自分の懐から65万円を加算して勝負している。 こんな真似、逆立ちしたって私にはできない。 ただ・・・ こうでなければ、ギャンブルで蔵を建てることなど不可能なことなのかもしれない。 博打の基本は勝ち逃げだ。 まさに投機。 一瞬の機会にすべてを張るべきなのだ。 それが必勝法。 おそらく、オッズはみなくてもおかしなことになっているだろう。 200万という数字を90秒に張ること。 しかも3連単・・・ なんだか・・・・ 先細る高い山に登りつづけるような感覚だ。 確率の分母を広げていき・・・ 裾野を広くしてただ、1つの点。 それこそ選択した1点が選択されることを望む。 そんな感じがする。 いや・・・ 思えば、奇跡はそれでこそ、それを信じる者にしか訪れないのかもしれない。 奇跡はそれを起こそうと言う人間にしかその姿を現さないのではないだろうか? いくら確率が99%だといっても、1%を引いたらどうにもならない。 そう、確率はあくまで確率だ。 だから・・・ 奇跡的な薄い確率を引き続けることだって不可能な話ではない。 私が、いくら分母が確率がと声高に確率教の教義を叫んだところで・・・ こういった一瞬の奇跡に敵うことはない。 枠連を35点買いしたって・・・ 残りの1点がくれば外れるのだ。 そう言えば・・・ 私はよく枠連を買っているが・・・ 結局、馬連などと一緒で当っていない。 確率は明らかに高いはずなのに、確率どおりに収束はしない。 そう考えると・・・ 自分を捨てれる、保身という概念を捨てられるI氏というこの男を神は祝福するのかもしれない。 我々はI氏のように挑戦ができるだろうか? 億の金を望みながら、それを実現させるための行動とリスクを取っているだろうか? 常識的観点でいえば、ありえない行動だ。 しかし、常識的に言えば、われわれはせいぜい生涯収入2~3億円の間だ。 誰かのために労働続け、閉塞感の中、人生に風穴を開けることはできない。 自分の分を思い知りながら、生きていくしかないのではないか? 本気になればと自分に言い訳をしながら、気付けば生涯本気になったことなどないまま、凡人として生き、凡人として死んでいく。 だが・・・・ I氏は違う。 凡人にはできないリスクを取れる。 素直に・・・ 可能性を信じる人間に祝福が訪れることを祈りたい。 やっぱり、無謀なことをしても駄目なんだと思い知るのではなく・・・ やりつづければ、なんでも可能だと思えるような結果を見たい。 いいじゃないか、歩が金に成ったって。 本当にI氏に神が微笑みますように・・・・ ブログランキング N島の真面目更新のHP:Nアイランド お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005/11/20 11:03:57 AM
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