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かあさん(私)は、ヒマがキライ かあさんは、人が好き かあさんは、おしゃべり大好き そんなかあさんは、40歳を前にして考えた 「このまま」はいや! なりたい自分になりたい! そうして、かあさんはライターになった * * * * * * * 「みんな元気」が自慢の家族だった でも、 長女が病気になった 長女、ものすごく、がんばった 兄弟たちもがんばった、めちゃめちゃ応援した 親は見守ることしかできなかったけど そして、今日も元気です! 心配はたくさんあるけれど… これからも、前向いて歩いていきます! 明日、元気になあれ!!プチプチゆっきーのライター修業道 [全398件]
いろいろ考えて なんだかよくわからなくなって ううう、えい!とお引越ししました。 お手数かけますが こちらにお越しください。 今年からの闘病編のみのお引越しになります。 よろしくお願いいたします。 ライターかあさんと一病息災家族 ~亡き子とともに~ http://ameblo.jp/putiputiyukkii0220 Last updated 2011年10月11日 16時14分54秒
「二重人格者だな…」 自分で大したものだって自嘲していた 「詐欺師になれそうだわ」 娘の前では、普通にふるまえたつもりだ 元気で前向きな娘を見ていると 魔法がかかるらしい。 *****きっと治るから大丈夫***** その魔法にかかったまま、娘の前では明るく過ごした 家に帰るのもイヤだった 家で、元気にしていなくてはいけないのがしんどかった 下の子たちに心配をかけたくないけれど 自分の気持ちがパンクしそうだった それでも なぜか、家でも元気になれた 車中は泣き泣きなのに 家にも魔法があったみたいだ *****おねえは、ゼッタイ治るから大丈夫***** 下の子たちは何にも言わないけれど おねえには、ゼッタイ的な信頼があった 結果を大方知っている私は 時間が過ぎていくのが怖かった 染色体検査の結果が出たら 娘にも事実を報告しなければならない あんなにもつらい思いをしても、薬が効かなかったと知ったら どんなに落胆するだろう そう考えただけで、ゾッとした 医師から第3クールの結果と、その次に待ちうける骨髄移植の説明を聞く日が決まり その日が近づいてくるのが、何より怖かった 7月17日 夫は会社を休み、同席した (こういう話し合いの時、夫は必ず会社を休んだ 風邪をひいて熱があっても休まない会社 「意外と休めるんだ」ってびっくりしたものだ) 夫も来て病室でドクターを待っていたが 予定の時刻になっても誰も来ない ドクターってだいたい時間を守らないことが多いから (いろいろ突発的なことが多いし 他の患者さんやご家族と話し始めるとむげにもできないし 処置が長引いたり… その先生の性格というより「医師業」とはそんなものらしい) 今日もまたそんなものかと話していた 「ドクターの30分は何時間になるか分かんないもんね~」 娘もそう笑っていた 小一時間たって やっと看護師さんが呼びに来た 「ちょっと待っててね。 今日は移植の注意事項とかいろいろあるから 時間かかるかもしれないけれど あんまり心配しないでね」 ドクターと両親の話を待たされるのがいちばん嫌いな娘に そういって、別室へ急ぐ ドキドキだった 親はすでにあらかたの結果を知っている もう、覚悟はできているし さんざん泣いた後だから切り替えもできている 結局、やるしかないのだから 問題は娘にどういうか、 娘がどう思うか、だけなんだ。。。。。 でも、担当の看護師さんがおかしい 「ママ、ゴメンネ。待たせちゃって さっき染色体検査の結果が返ってきたら 結果が良くて!!! 先生たちあわてちゃって、 もう一回、検体出してきてチェックしてたのよ」 飲み込めない。 何を言っているのだろう????? 部屋に行く途中で、担当医にも出会った 「先生なんて、もうひと泣きしたもんね。ウレシナキ」 看護師さんはうれしそうだ 担当医はちょっと恥ずかしそうに、ホッとした顔をしている 喜ばしい結果、なんてあるんだろうか??? 本当に 何が何だか、わからない 「ぎりぎり、非寛解でした」 科長のドクターはそう言った 骨髄検査をして、白血病細胞が全体の5%以下になれば寛解という 「染色体検査の結果、6%だったので。 でも、私たちの見た目ではもう少し悪い結果だと思っていましたので さきほどから、私と担当医の2人でもう一度見てみたのですが どうも、娘さんの白血病は異形成を伴うようで 見た目での判定はかなり難しいようです 非寛解とはいえ、 マイロターグはかなり効いてくれたようでよかったですね」 地獄のような時間だと思っていたが 入院してから始めて聞く「いいお話」だった これで娘を落胆させなくてもすむ… 「いい結果」を報告してあげられる そのことがいちばんうれしかった いくら効いたといっても、まだ非寛解だ 移植はかなりキビシイ この時間はうれしい話だけでは終わらない 「前途多難」ってこんな状況をいうんだろうな。。。 どういうわけだか、そんなことを考えていた Last updated 2011年10月11日 12時6分31秒
6月中旬に第3クールが始まり マイロターグという新薬治療を試み その代表的で、最も恐れられている副作用 VODにみまわれ ドクターの心配をよそに 思ったより早く軽快した娘 VODが良くなってきたら 以前の元気が戻ってきた そうなると、白血病の方はどうなったのか 気が気でなくなる 結局、マイロターグは効いたのか? 血液検査は毎日のように行っているが 白血病の判定は、末梢血では確定されない… 血液は、おもに骨髄で作られ それが血管を通り全身に送られる 末梢血(腕でも足でも胸のカテーテルからでも)は、 骨髄で作られた数日後の形であって きちんとした判定は、骨髄の様子を見るしかない つまり、末梢血に白血病細胞がある場合は「骨髄にもある」は確定できても 反対に 末梢血に白血病細胞がないからといって「骨髄もきれいだ」とは言えないのだ 骨髄検査はマルクと呼ばれ 腰のあたりに太い注射針をずぶっと刺し 骨髄から血液を採取する 骨に針を打つのだから 相当、痛いようだ。 小児では全身麻酔をすることが多い 痛みにめっぽう弱い娘も 当たり前のように全身麻酔をお願いしていたが 麻酔から覚めた後も「痛い」と言っていた マルクの後は 普通、顕微鏡下で白血病細胞をカウントして 判定が下る ただ、娘の場合は判定が難しいらしく 染色体検査をしてもらっていた その結果が出るには1週間くらいかかる 第3クール後のマルクも 「染色体検査に出したからね 判定はそれからね」 担当医はにこやかにそう言っていた 娘はいつものことだから 「1週間だよね?」と 待つしかない、といった感じ ごく普通の、でも、小骨がひっかかったような1週間だった マルクの翌日、夜、帰ろうと1階まで降りたら 担当医とばったり会った いつも私の隣には娘がいて 聞きたくても聞けないことが多いのだが チャンス!とばかりに聞いてみた 怖かった けれど、きっと、いい結果に違いない あんなに痛い思いをして 今まではなかった副作用も経験して それで 今は元気になっているんだから きっといい結果に・・・ 「先生、マルクなんですが、見た目ではいかがでしたか?」 染色体検査に出す前に 担当医は必ず見ているのだ、顕微鏡で その見た目の判定は、もう出ているはずなのだ 病院は静まり返っていた エレベーターの電気がぼっとついていて 昼間とはまったく違う夜の静けさがあった 担当医はうつむき加減に 「あんまりよくなくて…」といった 「ただ、ちゃんとした結果は染色体検査を待たないとわからないのですが」 そのあと、何を話したのだろう そうだ 「先生はよく、ドクターになろうって思われましたね ドクターなんてたいへんな仕事なのに 私は娘がなりたいって言っても反対すると思います こんなに悲しい結果を伝えるのも大変でしょ 悲しいことばかりじゃないですか、ドクターなんて」 そんなヤツあたりをした気がする 夜9時を過ぎていた 若い女医さんだったが 本当のよく面倒を見てくれて そんな遅い時間までいつも病院にいてくれた 土日だって、いつもいてくれて 1日何回も回ってきてくれて 話し相手にもなってくれた 娘が最期まで、一番尊敬する人はこの先生だった 本当に、申し訳ないヤツあたりだった 帰りの車の中で 私は、声を出して泣いた 明日、娘と会うときはもちろん この後、家について下の子たちに「ただいま」をいうときは 普通になっていなくちゃ この車中だけ、本当にこの時間だけ 思い切り、泣いた Last updated 2011年10月5日 12時1分19秒
「キレたって・・・・・?」 何も言葉が出なかった 何か言ってあげたいし、何か言ってあげなきゃ でも、言葉なんて本当に無力だ こんなときに適当な言葉なんてありえない。。。 Hちゃんはずっと友だちを作ってなかったのだとHちゃんママは言う 「初めての入院のときは、そりゃたくさんの友だちを作って 仲良くやってたんだけど 退院したらあわないし それに、自分はまた入院しなきゃならないし。 退院して地元校に戻れば友だちはいっぱいいるのよ。 そんなに気むずかしい子じゃないのよ。 でもね、病院って… それなのに、本当に大好きだったの 久しぶりに心を許したお姉さんだったの」 うちの娘のことをそう言ってくれた 本当に仲良しだった うちの娘だって、Hちゃんのことが大好きだった 特に、うちにとっては最初の入院だったから なんの恐れもなく、友だちも作っていたし 入院生活のあれこれを教えてもらっていた 脳の血管がキレたら、あっという間に亡くなる・・・ そんな勝手な思い込みがあるが Hちゃんは3日間くらい昏睡状態があった 初めは泣いていたHちゃんママも だんだん、笑い声が聞こえるようになってきた 「辛いけど、イヤだけど でも、もうこれで 痛い目も、気持ち悪いのも、入院したり、外を歩けなかったり しなくてもいいんだよ、きっと やっと、病気から解放されるんだよ。。。」 * * * * * * * * つい最近、Hちゃんママと電話で話した 親の気持ちは揺れ動く 「今年の夏、3回忌だったの」 そういうHちゃんママは、まだまだ立ち直れない部分を抱えていると言っていた 「普段は、普通に働いているよ。 今度、お茶しよう」 * * * * * * * * Hちゃんが息を引き取る前日、 私はHちゃんママと話した 「こういうことがあったとき メルアド知っているとお知らせしなきゃならないでしょう。 Hが入退院を繰り返している間に 何度も、悲しいお知らせをもらったの 聞くだけでも、すごく、辛いでしょ。 だから、私は連絡先を交換しないことにしたんだ ひっそり、いつの間にか、病院から消えるから」 その言葉通り、次の日、Hちゃんがいた個室は空っぽになっていた 娘には、Hちゃんの死についてはずっと隠したままだった 「脳外科の病棟に移ったんだって」 そんなウソをついて もしかしたら、気づいていたかもしれない でも、娘は「そうなんだ~」と言ったきり 何も追及しなかった * * * * * * * * 今頃、遊んでいるだろうか 娘が得意だったビーズをHちゃんに教えているだろうか しっかり者の2人は 空の上で、 弱っちい母たちのことを、心配してくれているような気がする Last updated 2011年9月30日 17時32分13秒
娘が3階の大部屋に初めて入ったとき 右隣にHちゃんはいた 当時、小学5年生 うちの末息子、娘から見ると弟と同じ年 だけど、弟より3年分くらいはゆうに大人だった 「○○Hです。よろしくお願いします」 はきはきした声で いちばんに挨拶してくれた これがきっかけになり 和気あいあい大部屋生活が始まったのだ しっかり者、周りの大人たちはみんな、Hちゃんのことをそう言ったが Hちゃんママは「メンタルが弱い」といつもこぼしていた 「抗がん剤の時期になると 副作用以上に、メンタルから落ちて ふさぎ込んじゃうのよ…」 親だからこその心配もあっただろう でも、このころの私や娘には想像もできなかったことを HちゃんもHちゃんママも抱えていたのだ Hちゃんの病気は、脳のなかにできた腫瘍が原因だと聞いている 「抗がん剤はよく効くんだ。 だから、しばらく我慢すれば退院できるのよ。大丈夫なの。 でもね、その固まりが小さくはなるんだけど なくならないの。切り取ることはできない場所だし… 何度も再発を繰り返すのよ。 今回の入院で3回目……」 Hちゃんも、他の子もそうだが 自分の病気のことはよく理解していた。 だから、治療として抗がん剤が必要なことも 抗がん剤の副作用についても、よくよくわかっているはずだった。 「でも、メンタルが負けちゃうのよね」 Hちゃんママは、 まわりからは「しっかり者、を通り越して厳しい人」と言われていた 病気の子どもたちとの暮らしは えてして、親を甘くさせる。 「不憫でならない」そう思うのは普通のことだろう。 そんななか、自分のペースを守ろうとするHちゃんママは まわりの目には、厳しく映ったのかもしれない 「連絡先は交換しないことにしている」 Hちゃんママは常々言っていた。 学校のママ友と同じように 病院ママ友も、すぐにメルアドを交換して 「何かあったとき」や「なんにもないけどヒマなとき」に メールしていた 「のちのち、面倒になるのよね……」 そういうHちゃんママの気持ちは 娘が再発したあと、やっと納得できたのだが この時は理解できなかった 「人付き合い、嫌いなのかな?」って 失礼なことを思ったものだ そのHちゃんが自家移植をすることになった。 自家移植とは 自分の血液中の幹細胞を採取しておき 大量強力な抗がん剤や放射線の治療をして 徹底的にガン細胞をたたいてから 保存してあった自分の幹細胞を体に戻してやる。 そうすると、抗がん剤や放射線治療で骨髄がダメージを受けても 後から入れた幹細胞のおかげで 新しい血液が早く作り始められる。 つまり、白血球0状態が短くなる。 それがあるおかげで、大量強力な治療が行える、というもの。 白血病患者は 自分の幹細胞は病気なので、 他人からもらった幹細胞を移植する。 移植前の大量強力な治療は同じだが 幹細胞がもともと自分のものだから 適合しない、ことはなく 自家移植の方がリスクが少ないと言われている。 第3クールでダメージを受けた娘の移植を翌月に控え 私はとてもナーバスだった そのころ、Hちゃんの自家移植の話を聞いた Hちゃんママはとても不安そうだった 今までの長い闘病生活がある 入院と退院を繰り返してきた歴史がある 今までだっていろんな治療は行ってきただろう でも、ここへきて 一発逆転の自家移植 不安だったに違いない でも、私は素直に聞いてあげられなかった 「うちは初めから高リスク群だし 来月、移植が控えているけれど うまくいくかどうか…… うちらの一般的な移植と比べたら 自家移植はすごくリスクも低いし きっと大丈夫だよ」 「大丈夫だよ」と慰めてほしかったんじゃないよね? 今ならわかる。。。 そのとき、わかっていなくて本当にごめんなさい。。。 あの時にフィードバックして そのセリフをやり直したい Hちゃんは無事、自家移植を終えた と思っていた もちろん、私たちだけじゃなく、Hちゃんママも、Hちゃん本人も 自家移植後、1ヶ月近くたった日 Hちゃんは急変したのだ 「今まで、すごくたくさんの抗がん剤も放射線治療もしていたから 脳の血管が予想以上に細くもろくなってたんだって。 だから、キレちゃったの……脳の血管…」 私は息をのむことしかできなかった Last updated 2011年9月28日 14時36分46秒
「胃がイタイ」 身をよじって痛がった翌日 腹部のエコー検査を受けた 検査とか処置とかいうと母は廊下で待たされるものだが エコー室には同席してもいいという 「お母さんはここにどうぞ」 椅子も用意してもらって 検査がスタートした 母が同席しているからと言って 説明しながら検査が進むわけではなく ゼリーを塗りぬり お腹をくるくる… 検査技師さんの手元と エコーの画像を見ても私にはさっぱりわからない 娘の担当医も同席していたが 顔色は変わらない この画像がいいのか悪いのか 水がどうのって言ってたけれど どれが水なのか、まったくわからない なんにもわからない、不安だけの検査は 30分以上かかったと思う 娘は痛いところを時折おさえられて そのたび「いたっ」とうめいていた 私は娘に声をかけていいものかもわからず 身を固くしているしかなかった 結局、娘の肝臓の血管が細くなってしまい 腹部に水がたまっているらしい この状態が長く続くとかなり怖い、みたいだ 何がどう怖いのかは、この時点ではよく理解していなかった ただ 「時間をかけて経過を見ていくしか、 ゼッタイ的な治療法はなくて…」 と言われたことが一番怖かった 怖くて、痛くて そして肝臓が悪くなるととにかくだるいらしい 大部屋で他の子たちの騒ぎ声が 普段は何にも気にならないのに それさえもうっとおしいほどに、ダルがっていた 娘の病院には重篤な患者が多く 個室はいつも満杯だったが この騒がしさの中に置いておくのはかわいそうだということになり。。。 1週間限定で「無菌室」に移動することになった 「無菌室」とは骨髄移植の際に使用する部屋で 使用する前に完璧に消毒をし 特殊な空調設備のおかげで無菌状態を保てる部屋をいう。 よくドラマなどでは ビニールの幕のようなものにぐるっと囲まれているような部屋 そこが次の移植予定まで1週間あいているから 無菌状態にはせずに 普通の個室扱いで入っていいよということになったのだ 「ま、移植のときの予行演習と思って 無菌室に慣れておいて」 なんて看護師さんには明るく言われた 静かな部屋で、痛い思いをしながら… と思いきや その週は私の母が来ることになっていた 突然、肝臓が悪くなったが ずっと前からの約束だったので 母は予定通りやってきたのだ 娘も私も 肝臓の様子は気が気でなかった 担当医にも看護師にも いつもいつもいろんなことを聞きたかった でも、母がいる 「おばあちゃんはすぐに心配するから」 娘は母を思って 「それほどしんどくないよ、大丈夫だよ」という姿勢を続け 担当医にもあまり深く質問せずに3日を過ごした いつも私と2人きりが多いのだが 母がいるとまた雰囲気がいつもと違って 時間も早く過ぎる気がしたし。。。 母が帰った日、またエコー検査があった その日も同席したが やはり何もわからず ドキドキしただけの私だったが 結果的には 娘の腹水はかなり減っていたのだ!!!! VODはそれほどひどくならず 快方に向かっていた。 「おばあちゃんのおかげだね」娘と話した 「おばあちゃんがいたから あまり深く考えず、いろいろ楽しく過ごしていたら いつの間にか、ちょっと良くなってた」 ドクター陣はかなり心配してくれたらしい このままVODがひどくなれば 移植はあきらめなければならないし 命だって危なかったらしい 娘と私は 母のおかげで そこまでの緊張感はなく 危機は乗り越えられた ・・・・・・・VODの危機は、だが ゆっくり肝臓が治ってきて そう言えば、白血病の方は? マイロターグでこんなに肝臓にダメージを受けたけれど 白血病には効いたの??? それが 一番問題なのだが Last updated 2011年9月20日 17時41分11秒
その頃の娘は 第2クールでの感染症もすっかり治り とっても元気だった 髪の毛もうっすら生えてきて 野球少年のようだった もちろん、元気だったから大部屋にいたのだが 明日から第3クールが始まるという日に個室に移動した それまでは熱が出てから移動、だったが 何も始まっていないのに、 何が起こるかわからないから移動するという ますます、不安になった マイロターグ自体は本当に少量だった こんな少しで、ガン細胞をみんなやっつけて 体にも大きなダメージを与えるの??? そんな話をした気がする 少量なので投与はあっという間に終わるが それから30分だったか、看護師さんがずっと娘の個室にいた 10分か15分おきに血圧と体温を測る 呼吸数や脈拍を測るモニターを4時間もつけていた 本当に厳重警戒態勢だった それでも、特に何も起こらなかった モニターもはずれたし 晩ご飯も普通に食べられた。 やっと安心しかけたころ ガーーーンと熱が出た!! 一気に39℃超え 「来たね、やっぱり来たね」 そんな感じ 私はそろそろ帰りたい時間だったが 娘は高熱にうなされている どうしよう? どうなってしまうんだろう? やっぱり、キツイ化学療法を選んだのは間違いだったのか?? 数時間後、ステロイドが効いて 熱が下がってきた 娘はそのまま眠ってしまった 「お母さん、たぶん朝まではステロイドが効いていると思いますから 大丈夫。お帰りになって下さいね」 看護師さんの言葉にホッと一息つき 私は病院を出たのだ それから翌日も熱は出なかった 安心感がまた戻ってきて 「私たちの選択は、間違ってなかったね」 なんて言いながら 大部屋に戻っていった それから1週間 それも夜9時ごろ 突然、娘が「痛い!」と言いだした 熱があってダルイとか、しんどいとかはあっても 「痛い!」は初めてだった 胃のあたりを指差している 「胃が痛いの?」と聞いても、 「胃ってどこ?」と娘 入院前は、本当に健康優良児で 胃痛なんて知らないのだ その夜は、宿直の先生に鎮痛剤の点滴を入れてもらい なんとか眠りに落ちた が、その痛みは 胃ではなく、肝臓だったのだ 予測された副作用の一つ、VODと呼ばれる肝障害だった しかも、最も恐れていたものだった Last updated 2011年9月10日 12時58分2秒 |一覧| |
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