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QBスニーク

◆骨髄移植一周年◆

 退院後11日目(移植後131日目).体重:66kg.退院後初の外来診察のために地下鉄で病院へ行った.異常は認められなかった.2週間に1回の外来診察をしばらく続けることになった.「2週間に一度の診察であれば,帰省できる」と日記に記した.
退院後の10日間は,とにかくやりたいことをやりまくっていた.毎日のように外出して,生きている喜びを存分に味わっていた.

 退院後25日目(移植後145日目).体重63.5kg.退院後2回目の外来診察のため病院へ.血液検査の結果は問題なく,明日からの帰省も予定通りにできることになった.GVHDがひどくなっている兆候が見られるとの指摘も受けた.口内にカビが生えていることも考えられるため,しばらくファンギゾンを内服することになった.
 前の外来診察から今回の診察までの2週間もとにかくやりたいことをやり続けた.家のことを省みないで遊びすぎて,妻と衝突することも度々であった.また,この頃になると,入院以来,妻に任せっきりにしてきた息子の障害(軽度の自閉症と言語の遅れ)と向き合う日々が始まった.翌年の小学校入学を考えて,養護学校に入れるのか,小学校の障害児学級に入れるのか,普通学級に入れるのか,という問題に直面していた.

 退院後26日目(移植後146日目).体重64.5kg.10:00頃名古屋を出発し,19:00頃には実家に到着した.移動中の風景は,一年前と変わらないものであった.ただ,再び故郷のその風景を自分の目で見ることができた喜びに,胸がいっぱいになった.
 故郷で向かえた約1年ぶりの朝.緑の匂いがした.時間がゆっくり流れていった.口内炎がまだひどいために,楽しみにしていた母の手作り料理を存分に楽しむことはできなかったが,毎日がこんなに貴重に感じたことはなかった.実家での2日目には姉親子が加わり,賑やかになった.4日目には高校のOB会(名古屋○○会)の世話役の方と久し振りに会うことができた.お酒の場での再会を約束して別れた.5日目には入院中に感動的な手紙をくれた尊敬すべき母方の祖父との念願の再会を果たした.祖母の墓参りも済ませた.6日目にはお盆恒例の早朝墓参を済ませた.姉親子は墓参りを終えてすぐに帰ってしまった.名古屋に置いてきた妻と二人の子供たちが無事に妻の実家に到着したとの連絡が入った.7日目には幼友達と夕食を共にした.食事の後,もう1人の幼友達も加わって深夜まで四方山話に花を咲かせた.実家に戻る途中,星空に見とれていたら,2個の流星を確認した.田舎の星空は天下一品である.8日目には楽しみにしていた○○高校水泳部の飲み会に参加した.懐かしい面々の顔を見ていて,生きていて良かったと再認識した.本当に気心知れたメンバーでの飲み会は笑い声が絶えないものである.9日目には高校時代の親友が顔を出してくれた.10日目には名古屋へのお土産の買出しに終始した.11日目には母の妹夫婦が顔を出してくれた.名古屋までわざわざ会いに来てくれた従兄弟の両親である.12日目は午前中に名古屋への帰途に就いた.夏休みの分散化が進んでいるためか,帰省ラッシュの余韻が残っていた.

 退院後39日目(移植後159日目).体重63.0kg.退院後3回目の外来診察があった.検査結果は異常なかったが,次回の診察でマルクを実施すると言われ,憂鬱になった.同じように外来に来ている闘病仲間とも話が出来た.まだ入院している仲間たちのところを一通り巡って,帰宅した.台風が近づいていた.

 退院後53日目(移植後173日目).体重63.0kg.退院後4回目の外来診察.検査結果には異常が無かったが,マルクには手間取り,3~4回針を刺された.麻酔も2回実施した.内服薬が減った.マルクの結果が出るまで3週間かかるので,次回の外来診察は3週間後となった.入院中の仲間のところを巡って帰宅した.
 前回の外来診察から今回までの2週間は色んなことがあった.同じ会社の患者さんが移植後の経過が悪く,亡くなられた.肺炎が悪化してしまったらしい.その後,入院中に可愛い弟分として仲良くしていた30台前半の若者が逝ってしまった.朝方に妹さんから涙ながらの連絡を受けた後数時間は,かなりのショックで何も手につかなかった.移植の準備は出来ていたが,移植前に状態が悪くなり,移植中止が決定していたとのことであった.不運としか言いようがなかった.あんなに退院を切望していたのに・・・.自分が如何に幸運であり,彼らの分まで生きなければならないかを痛切に感じた.

 退院後74日目(移植後194日目).体重63.5kg.退院後5回目の外来診察.検査結果に異常はなく,GVHDが治まりつつあるとのことであった.お産のため主治医が交代するとの内示を受けた.
 前回の外来診察からの3週間は,やりたいことをやって過ごした.そんな姿を見た妻の機嫌は良いはずもなく,冷戦状態に陥っていた.そんな中でも,息子の学校を選択する作業は共同でこなしていた.養護学校の見学にも同伴した.

 退院後95日目(移植後215日目).体重65.5kg.退院後6回目の外来診察.検査結果に異常はなかった.飲酒は移植一周年までお預けとのことであった.
前回の外来診察からの3週間は,娘の運動会の応援や息子の小学校見学会などで忙しく過ぎて行った.

退院後116日目(移植後236日目).体重64.5kg.退院後7回目の外来診察.検査結果では炎症反応がやや高かったが,それ以外に異常はなかった.数日前から微熱が出ていたのが原因と考えられた.帰宅後38.5℃まで発熱した.
 前回診察からの3週間で,妻との冷戦状態も“雨降って地固まる”の諺の如く終息し,仕事(研究レポート作成)にも精を出すようになっていた.

退院後137日目(移植後257日目).退院後8回目の外来診察.検査結果は一応異常なしとのことであった.ただし,白血球数はやや多めであった.肝機能が正常値に近づいてきたが,これは免疫活動が不活発になっていることを示すものであり,悪性の細胞が出易い状況であるとのコメントがあった.油断できない状況に変わりはないことを再認識した.二週間ほど前に危篤状態に陥ったとの連絡を受けていた小児科の男の子は小康状態を保っていた.ご両親も疲れてはいたが,“やれるだけのことはやっている”という充足感が伝わってきた.
 前回の外来診察からの3週間は,会社の元上司が主催する温泉合宿に参加したり,会社の若手との飲み会に参加したりと,かなり活発に動き回っていた.自重するように言われていた飲酒も勝手に解禁してしまった.

退院後158日目(移植後278日目).体重62.5kg.退院後9回目の外来診察.検査結果に異常はなかったが,原因不明の嘔吐の所為か体重は明らかに減少していた.
前回の外来診察からの3週間は,幼児園のお遊戯会や会社の同期会などのイベントがあった.気温が下がってきたこともあって,コタツに入ってゴロゴロすることが多くなっていた.

退院後179日目(移植後299日目).退院後10回目の外来診察.今回の診察から主治医が交代になった.若い男の先生であった.10日程前から続いている風邪症状は肺炎までは至っておらず,気管支炎と診断された.とりあえず入院を避けられてホッとした.
前回の外来診察からの3週間は大晦日を挟んでいろいろなことがあった.年末にとうとう風邪をもらってしまった.おかげで退院後初の正月は寝正月になってしまった.妻の実家から名古屋に戻った翌日に,気掛かりであった小児科の男の子のお父さんから男の子の訃報が届いた.ショックも受けたが,僅かの望みに掛けて看病し続けてきたお父さんに掛けてあげるべき言葉が見つからなかった.お母さんの悲しむ姿が目に浮かんだ.この子の分まで生き抜かなければと意を新たにした.

 退院後200日目(移植後320日目).退院後11回目の外来診察.検査結果に異常は認められなかった.ドライアイがひどいことから次回は眼科も受診することになった.外来に来ている仲間たちとの情報交換は有意義であった.先日亡くなった小児科の男の子のことを話すと大粒の涙を流して悲しがる若者もいた.一緒の病室でゲームボーイをし合う仲だったから,その気持ちは良くわかる気がした.
 前回の外来診察からの3週間は,子供たちの来春入学に備えた部屋作りやデスク&ロフトベッド組立てに注力した.前半は気管支炎の影響が残り体力的にきつかったが,後半は闘病仲間との鍋パーティーに参加するなどして,かなり回復してきたことを実感した.

 退院後221日目(移植後341日目).退院後12回目の外来診察.血液内科の検査結果は問題なかったが,眼科では,重度のドライアイで眼球に傷がついているとの診断を受けた.しばらくは1日6回の点眼を続けなければならない.
 前回の外来診察からの3週間は,インターネットの環境を整える作業に注力した.家庭内LANの構築も完了し,ついにHP(1号館)を開設した.同じ病気と闘っている人たちに少しでも役に立てる情報を発信することが目標であった.闘病仲間とのスッポン鍋パーティーにも参加した.スッポン鍋は身体に良さそうであった.

退院後242日目(移植後362日目).退院後13回目の外来診察.体重60.0kg.検査結果には異常が無かった.
 前回の外来診察からの3週間は,翻訳サイトでの翻訳JOBの処理やHPの管理に明け暮れていた.ほとんど会社関係の仕事には手をつけられない状態であった.

 退院後245日目(移植後365日目).骨髄移植一周年を無事迎えることが出来た.あくまで仮退院して245日.あの再発の疑いはいったいなんだったのであろうか?次の目標は退院一周年を何事もなく迎えることと決めた.
[2002.08.10更新]
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