あとがき・参考文献
あ と が き 郡山で歴史の話を訊こうとすると、ほとんどの人が「郡山には歴史がない」と言われる。謙遜してそう言われるのかと思ったら、結構本心なのには驚く。 確かに江戸時代、郡山は二本松領であったし一介の宿場町に過ぎなかった。そのため郡山の歴史は二本松のそれに包含されてしまい、独自のものがないように思われるのも仕方がないことであったのかも知れない。しかし人が住む以上、そこには必ず歴史があるはずである。そのようなこともあって、私は郡山の歴史についていろいろ調べてみた。そしてその歴史が結構多いのに驚かされたのである。 『郡山の種痘~天保五年の事はじめ』は、『疱瘡の記』として二〇〇四年の第五十七回福島県文学賞に応募した『種痘事始』であった。ただ私としては、この中に出てくる『癘疫』という文字が、当時『疱瘡』を表していたということの証明が出来ぬままでの苦渋の出版であった。つまりここの部分は、「今になると証明できない」ということなのかも知れない。素人の私としては結局結論を見え出すことができなかったが、いずれ歴史家にこれの結末をつけて頂ければ有難いことと考えている。今後の読者のご賢察に待つところの多い話である。 この『種痘事始』は第五十七回福島県文学賞予選には通過したものの、正賞には至らなかった。当時福島民報に載った書評を転載する。 審 査 経 過 (前略) 第一次審査を通過した作品は次の通りである。◆一般の部〈小説〉吉田健三「嚢公」、木村令胡「火色の蛇」、綱藤幸恵「風と星の調和のとれたリズム」、小林綿「死綿花」〈ノンフィクション〉橋本捨五郎「種痘事始」、古内研二「津軽海峡」鎌田慶四郎「『降伏命令』なしー収容所までの道」、 (中略) 各委員から提出された結果をもとに審査は始まり、まずはすでに準賞を受けている吉田、橋本両作品の正賞への可能性を論議した。前者は十分な筆力があるものの物語のもつ迫力および感動に欠けるとの評価が、そして、後者は調査記録には感服するが、内容の整理に工夫が欲しいとの評価がなされた。両作品の正賞受賞は見送られた。(後略) 参 考 文 献 熊田家の墓碑銘 新家譜 明和霞城武鑑一八三四 天保五年諸願申立留帳一八五八 安政五年諸願申立留帳、その他の資料一九八二 郡山市文化財 研究紀要第二号 郡山市教育委員会 石橋印刷 郷土乃歴史 三穂田町史探会 ガリ版二〇〇一 北天の星 吉村昭 講談社二〇〇二 科学医学資料研究 松木明知 野間科学医学研究資料館 HP はこだて人物誌http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/soumu/hensan/jimbutsu_ver1.0/index.htm HP 福井市歴史人物 笠原白翁(良策)http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/soumu/hensan/jimbutsu_ver1.0/index.htm福島県史 函館市史 二本松市史 梁川町史 保原町史福島県医師会史 お世話になった方々 (敬称略・五十音順) 郡山図書館 郡山歴史資料館 郡山市埋蔵文化財調査センター 二本松資料館 三春歴史民俗資料館 梁川町図書室 仙台図書館 大内寛隆 大久保甚一 熊田修 鈴木八十吉 飛田立史 前田利光 山口篤二 吉川喜代衛 故・安芸幸子 故・田中正能 故・吉村昭