ハワイの小史 4
一八九七年の二月、ハワイへの移民船・神州丸の上陸拒否事件が起きていた。これは、六七〇名の日本人を乗せた神州丸がホノルルに到着した際、契約移民一二二名を除いて五〇〇名あまりの自由契約移民が上陸を拒絶されたのである。続いて入港した佐倉丸や畿内丸も、同様の処置を受けた。相次いで上陸を拒絶された事件は、ハワイ併合派があえて日本との間に悶着を起こし、それを利用してアメリカ大陸でのハワイ併合論を形成しようとして起こしていた事件であった。アメリカ政府は、アメリカ人保護を名目に巡洋艦フィラデルフィアをハワイに派遣し、パールハーバーに停泊した。 (注)神州丸(しんしゅうまる)は、日本陸軍が建造した揚陸 艦であった。上陸用舟艇の母艦として高い能力を持つ今 日の強襲揚陸艦のパイオニア的存在である。その存在秘 匿のため龍城丸などのさまざまな名称が使われたが、そ の乗組員は日本陸軍軍人であった。すでにアメリカ側は 日本軍艦として認識していたため、スパイが乗艦してい たのではないかとの疑惑からの処置であったのかも知れ ない。日本陸軍内での艦種名は特殊船とされていた。 (神州丸 HPより) しばらく沈静化していた日米間が、再び悪化してきた。マッキンリー大統領は、「私には、急速に日本人問題の危機が近づいているように思われる。いうまでもなく、われわれはそれを望んでいない。どこかで断固とした処置が講じられないとあの国(ハワイ)を日本にやってしまうことになる」と発言した。これはまた、「邪教対キリスト教」の問題であり、「アングロ・サクソンをジャパナイゼーションから救え」との世論となっていった。 これに対して帝国政府は、「ハワイ共和国の現状維持を切望する」とアメリカ政府に伝達しながら、星亨駐米公使には「アメリカによる併合を避けられない場合は、極力妨害し遅延させること」との訓令を発し、イギリスやドイツに、アメリカのハワイ共和国併合に反対する共同抗議を提案した。 帝国政府が、アメリカのハワイ併合政策に反対していた最大の理由は、太平洋の中間に位置しているこれらハワイの島々が独立国であった方が、日本とアメリカの軍事的緩衝地帯ともなり、ひいては日本の国益にも叶うと考えていたからである。星公使は、本省に対して事態の急迫を説き、「帝国軍艦を出動させて、ハワイを占領するように」と進言していた。 このような対米強硬路線の意見の出る中で、平和解決を指向していた帝国政府は、上陸拒絶事件問題の早期決着を急いでいた。そのため、ハワイ共和国政府が対日賠償金を払うようアメリカ政府の斡旋を依頼した。しかしアメリカ政府も、ジレンマの中にあった。それはハワイを併合する以前に、ハワイ共和国の問題としてこの問題を解決すべきという考えと、併合そのものをすべきではないという考えとが拮抗していたからである。アメリカも平和解決を望みながら、水面下では危険な駆け引きが続いていたのである。 当時ハワイ共和国政府は、外国人上陸条例や労働契約の外国人移入に関する条例を公布し、移住者の入国取り締まりを強化していた。その上ジョンソン・リード法により、日本人のハワイの市民権獲得は、不可能になっていた。 しかしこの間に、ハワイ共和国併合論争の行方を決定づける事件が発生していた。米西(アメリカ・スペイン)戦争である。スペインの植民地であり、アメリカの裏庭と言われるキューバ島の首都ハバナで、独立運動の暴動が発生した。そこは、アメリカの資本が進出していたハワイ同様、世界有数の砂糖生産地になっていた。そこでアメリカは、在留アメリカ人の生命財産の保護を名目に、アメリカ海軍の戦艦メイン号をハバナ港に派遣したのである。 そもそも、真珠湾が軍港としてアメリカの軍事戦略上、重要な位置を占めるようになる経緯は、ハワイ王国時代にさかのぽって説明されなければならない。ハワイ王国とアメリカの間で一八八七年に更新された米布互恵条約(一八七五年締結)が、アメリカの真珠湾の独占使用権を初めて認めたのであったが、その後、アメリカは一八九八年にいたるまで、この権利を行使することはなかった。しかし、米西戦争がスペイン領フィリビンに波及し、太平洋におけるハワイの真珠湾の地勢的・軍事的重要性を認識するにいたったアメリカの軍事改策立案者らは、軍艦の航行を可能にするため、真珠湾の入口付近の珊瑚礁を剤り取る工事を開始したのである。 とにかく帝国政府の内情を知るにつけ、大変なときに大変なことを引き受けてしまったと思った。今までは第三者的に見ていた世界の歴史に、呑み込まれていく自分をイメージしていた。しかしまた、この風雲急な時期だからこそ、太平洋の中間で日米の架け橋となることができるとも考えていた。 富造は気を落ちつけようとして、大きく息を吐いた。やはり緊張していた。しかし今までの経験から、自信はあった。 ──アメリカは西部劇に代表されるように一本気で正義感の強い国だ。確かにこの国は大きく振れることがある、しかし復元力が大きい。ミスがあれば対外的にもキッチリ認める素晴らしい国だ。それにアメリカ人は実力さえ示せば、われわれとも対等に付き合ってくれる。アメリカは素晴らしい国だ。 富造は講義をしてくれた珍田総領事と別れの握手を交わした。その握手は、富造が最初にサンフランシスコに上陸したとき菅原が握ったあの力強い握手が、いつの間にか自分のものになっていたのを感じていた。