おわりに
おわりに この話に出てくるJR会津若松駅長であった渡辺光浩氏は、県立田村高校の同窓生である。しかし彼は職業柄転勤が多かったため、私が彼を知ったのは、彼がJR郡山駅長の時代であり、田村高校の郡山支部同窓会に出席された時にあった。そのとき私は、『ああ、偉い人が同窓生にいるんだなぁ。』という感覚でしかなかった。しかしその後、それも何年も過ぎてから、ネットサーフィンしていた私は、その中に彼の名があるのを見つけ、しかもあの東日本大震災のとき、会津若松駅長として、磐越西線での緊急石油輸送列車の運行に関係していたことを知った。そこでこのことについて彼に取材を試みようとしたが、彼が郡山駅長であるということに畏れをなし、また長い日にちを無為に過ごしていた。 私はある日、思い切って行動を起こした。郡山駅に電話をしてみたのである。ところがそこで知ったのは、渡辺氏がすでに郡山駅を離れていたことであった。彼はそれまでに手掛けていた新駅、『郡山富田駅』の完成に取り付け、その開業日である2017年4月1日に、仙台へ転勤したとのことであった。その後連絡を取り合い、彼の協力を得ながらこの『石油輸送救援列車・東へ』を書き上げたのは、今年(2020)に入ってからである。すでにあの大災害から、9年を過ぎた。なにか自分自身の中でも、あの大災害が風化を始めているようで愕然とする。そして原発で使用して不要となった放射性物質の後の処理に、あと何十年掛かるというのであろうか? これらの重大な事故の後始末をするのは、誰なのであろうか? そしてこれを書いたことについて思うことは、政府や東京電力という為政者や関係者だけで、解決が可能なのであろうか。このような大事件で、いろんな人が、そしてボランテアなどが裏で働いて世の中を支えている、ということではないだろうか。そしてこのような人たちこそが、ヒーローと呼ばれるべきではないかと思う。 最後に渡辺光浩氏は元より、福島ペンクラブ五月会会長の菅野輝栄氏、福島民報文化部の皆さん、それに民報印刷の武田優美さんに、多くのご協力を頂いた。そして、次のブログも参考にさせて頂きました。私はこれらのブログなどを通じて、JR貨物の皆さんのご協力を頂いたと同じと思っています。なお文中、煩雑さを免れるため、敬称を省かせて頂きました。 ご教示を頂いた皆様に、心からお礼申し上げます。 https://train-fan.com/banetsu-west-2011/ 東日本大震災・緊急燃料輸送列車https://www.sankeibiz.jp/business/news/170710/bsd1707100500003-n1.htm Sakeibiz 論座https://webronza.asahi.com/science/articles/2011050700001.html 朝日デジタル 論座 <font size="4">ブログランキングです。 <a href="http://blog.with2.net/link.php?643399"><img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/72/0000599372/67/img25855a93zik8zj.gif" alt=バ