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カテゴリ:「奔放」(次男)系のネタ
このところ天気が良い。
初夏の陽気である。 家内は自転車を押して、ボクはその横に並んでテクテク歩きである。 今日は「忍耐」と「奔放」(ほっと一息、水無月家の阿呆な家族たち)の授業参観なのだ。 従って、サッカーも休みである。 帰りに買い物をすると言う家内は自転車なのだが、我が家には大人用の自転車は1台しかない。 子供が3人いると、人数分の自転車は必要である。 5台揃えるのも何だし、スペースもないので大人用は家内とボクで兼用なのだ。 後からボクに追いついた家内は、ゆっくりこいでいるが歩いている方は、何となく急かされているようだ。 何だか、下校時の中学生のカップルみたいなので「降りて押せ」とぼやいた。 家内は少し不満そうだが、並んで歩き始めた。 小学校の参観は朝から昼までのどの時間帯でもOKである。 で、ボクらは午前中最後の授業とクラブ活動を観ることにしたのだ。 末っ子の「奔放」のクラスへ行ってみると、生徒はいなかった。 授業参観はどの時間帯でも良い代わりに、時間割を把握していないとこういった時に困るのだ。 男親のボクはだらしないので、機転が利かない。 家内のあとをトボトボついていくと音楽室に「奔放」はいた。 音楽室は、正面から入るようになっている。 大抵の教室は南側に窓があるとすると、教壇(黒板側)は西側にあると言う。 生徒がランドセルや道具を置く棚は東側に位置し、出入り口、つまり廊下は北側にあるらしい。 つまり、授業参観で教室に入るときは右側が先生で左側に生徒が互いに向き合った光景を目にすることになるのだ。 これは、ほとんどの生徒が右利きなので、太陽光が体の左側から当たることを意識して設計されているそうである。 教師と生徒の位置が逆だと、体の右側から光が差し込む。 すると字を書くときに自分の右手がノートに影を落とし、目が疲労しやすくなるからだ。 ボクらが音楽室につくと「奔放」は正面に座っていた。 普段は授業参観と言えば、後姿しか見ないので違和感を覚えた。 ボクらは、入り口で様子を見ることにした。 もう一目見て分かってしまうのだが「奔放」はふてくされているのだ。 ヤル気がないのである。 先生の顔は見ようともしない。 歌は口パクである。 家内は音楽会やコンサートへは幼少から足を運んでいたし、ピアノも弾いていた。 ボクもピアノは少々、トランペットはまあまあ、程度である。 学校の成績は悲惨だったが、体育と音楽の評価は良かったのだ。 子供たちも音楽は苦手ではない。 問題は音楽の教師なのだ。 保護者の間でも悪い評判しか聞かない。 で「奔放」は昨年、先生がいやでサボリかけたことがあったほどなのだ。(10月19日「似たもの親子で学校サボリ?」) 授業参観で聞いている限りでは、いくらか教条的な物言いが気になったがそれほどのことはない。 が、家内に言わせればボロクソである。 授業参観で感じる程なのだから、普段の授業はもっと悲惨だと言うのだ。 まあ、そう言われればそうなのかも……と、ボクはまったく鈍感なのだ。 もともと教師は多いのだ。 一方で児童は少子化の影響を受けて、少ない。 採用する教員が少ないので、年寄りばかりがヤケに目立つのだ。 ヘタをすると自分のおじいちゃん、おばあちゃん位の開きがある先生に授業を習うことになるのだ。 年の開きはさして問題ではない。 ベテラン先生でなくては解決できないことも多いのだ。 だが、中には教師に向かないような先生もいるのだ。 それでも若いうちは、体力と気力で何とかカバーできることもあろう。 だが、体力や気力が落ちると、もともと生徒たちから信頼に足りない教師は更に相手にされなくなる。 それでは授業が成り立たないので、老害一歩手前のような教師が半ば力づくで自分を振り向かせようとする。 そうして、その行為がますます子供たちを離れさせて行くのである。 言ってみれば、子供の心を掴んで指導(必ずしも勉強だけではなくて)できる先生と、そうでない先生の差がハッキリと分かるようになってきているのだ。 「奔放」もヤル気はないが、全く授業に参加していないワケでもなかった。 心配になったので家内が「忍耐」の授業へ回ったあともしばらく見ていた。 笑ってしまったのは、ふてくされながらも人の話は聞いていることである。 授業中は、ボクの顔をみると変な顔をしてサインを送ってくるのだが、先生が質問をすると皆と一緒に手を挙げる。 聞いていないくせにイイ加減だな、と思っているとどっこい違っていた。 ちゃんと質問に答えて、合っていた。 もっとも、ソッポを向いて答えていたが。 ボクが同じくらいの頃は、みんなにつられて手を挙げて運悪く指されて質問に答えられなかったほどなのだ。 ボクは内容のデキ不出来に関わらず、態度や姿勢には厳しい。 その意味で「奔放」の授業態度は、我が家では厳禁である。 家内から音楽の先生の話を聞いていなければ、ひっぱたいていたところである。 その場の一面を見てすべてを判断して子供にあたってはイケナイと言うことらしい。 因みに、真ん中の「忍耐」の授業はまったく問題なしで安心である。 先生も長女の「堅実」が2年間世話になっており「忍耐」も今年で2年目である。 つまり、長女が卒業してスイッチするように「忍耐」の担任になっているので、我が家でも4年目の付き合いなのだ。 長女は卒業して2年になるが、いまだに年度変わりには友達と一緒に先生の教室の引越しの手伝いに行っているほどである。 授業は歴史で古墳の話であった。 小学校周辺の地図を縮小コピーしたものが配られ、大阪の「大仙古墳」がどのくらいの大きさか赤ペンでなぞらせるのだ。 ボクとて、想像はつかない。 子供の反応も様々で面白い。 地図一杯に「前方後円墳」を書く児童や、はみ出して書く子もいるのだ。 それに対して、先生は「大仙古墳」を同程度の縮尺にしたコピーを生徒に配り、切り取って比較させる。 『ほほう、ウチあたりは学校の位置に古墳があるとすっぽり隠れてしまうではないか』 とボクの方が関心して、フランクリンプランナーにメモったりしてしまうのであった。 あー面白かった。 追記: ボクと同じように授業参観へ行かれた方はいないかと探していたらAdvanceさんのblogを発見。(2005年04月29日 授業参観日とets) ウチと家族構成が似ていることもあり、親近感を持ちました。 どこの親も同じだなあと、しみじみ。 水無月悠里の「元気まぐ」はこちら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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